42.言えないこと
言えないこと1
堰に落ちた幼い俺は、地元消防団に発見され、事なきを得る。
誰にも言わずに外に出て遊んだこと、危ないから近づかないよう注意されていたにもかかわらず、堰の縁で遊んでいたことを、回復したあと両親にこっぴどく怒られた。
「でもね、川の中には小さな女の子が居たんだよ。僕とおんなじくらいのね」
何故堰に落ちたのか――。
あの日幼い俺に何があったのか、後日、同じ時間に確認に行っても全くわからなかった。
ただ一つ、こうやって過去に迷い込んではっきりしたのは、その“女の子”というのが美桜だったということ。幼い日の芳野美桜と俺は出会い、また遊ぼうと約束を交わしていた。それがどんな意味だったかはさておき、俺は自分でそう言って、彼女が首を横に振ったことを記憶していた。
美桜ももしかしたら、同じように記憶していたのだろうか。俺と、出会っていたことを。
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すっかり元に戻った身体を見てホッとしていると、幼い美桜が肩をすくめてサッと母の影に隠れるのが見えた。
「ねぇ、誰? りょうは?」
幼かった俺に見せていたのとは全然違う怯えたような目で、美桜は俺をチラチラと覗き見ていた。
同じくらいの背丈だった美桜が、今は俺の背丈の半分くらい。細くて脆い、か弱い存在に見える。
俺はそっと腰を屈めて、美桜に視線を合わせた。
「俺が、凌なんだけど。信じてくれるわけ……、ないか」
友達になった小さな男の子が消え、高校生の男が現れたんだ。信じろという方が難しい。
「わかんない……。でも、お兄ちゃんはりょうとおんなじ臭いがする」
美桜はそう呟いて、難しそうな顔をした。
「この子は臭いで能力を感じるの。不思議よね」
美幸が美桜の頭を撫でると、美桜は恥ずかしそうにまた、母の後ろへ身体をすっかりと隠してしまった。
もうこんな幼い頃から美桜は、能力の片鱗を覗かせていたのか。
「もっと、怖がられるかと思った。俺、強面だから」
安堵のため息を吐き言うと、
「そんなことないわ。凜々しくて、素敵だと思う」
美幸はとんでもない言い方をして、俺を驚かせた。
「ものは言い様だな」
皮肉を込めたテラの言葉に納得し軽く頷くが、美幸はそんなことないわと否定する。
正直なところ、女性の容姿に対する褒め言葉というのはお世辞でしかないだろうし、話半分程度にするのが妥当だろう。相手を貶してしまえば会話しにくくなる。この何とも居心地の悪い雰囲気を切り抜けるには、彼女のセリフはそうならないための処世術的なものだったに違いないと、自分自身を納得させるしかない。
「ところで……、俺が元の時間軸に戻る方法って、あるのかな」
立ち上がりながらテラと美幸に目配せすると、テラは少し思案してから、
「戻ろうと思えば直ぐにでも戻れると思うが」
と、美幸の方に視線を向けた。
「ディアナに会えば、戻してくれると思うわ。彼女なら、時間を超える方法を知っているはず」
――ディアナか。
参った。まさかここで、彼女の名前が出てくるとは。
俺は思わず額に手を当てて、深くため息を吐いた。
ディアナにいい思い出はない。恐ろしい勢いで迫られ、生死の狭間をさまよった。即座に力の使い方を覚えろと砂漠に投げ出された挙げ句、時空嵐に飛ばされてこんな所に来てしまった、その、諸悪の根源だ。
会うのが怖い……と言ってしまうのは簡単だが、事態が事態だけにそういうわけにもいかないだろうし。
一人思い悩んでいると、美幸は柔らかな手をそっと差し出し、俺の左手をギュッと握りしめた。
「大丈夫。一緒に頼んであげるから」
美桜とそっくりなのに――、母子でもここまで違うのだろうか。高校生の美桜なら、同じセリフでも全然違った表情になるに違いない。
美幸は、美桜の持ち得ない天使の笑みを向けてきた。
ドキッと心臓が高鳴って、顔が火照る。相手は過去の人間で、しかも同級生の母親なのに。
「あ……ありがとう、ございます。助かります、美幸さん」
「美幸でいいわよ。凌君」
「え、でもそういうわけには」
「私たち、それほど年は変わらないのよ? 気にしないで」
「気にしないでって言われても」
「君は高校……何年?」
「2年です、十七です」
「私は二十歳だから、3つしか違わないじゃない。ね、だから、気にしないで」
は、二十歳――?
つまり美桜は、十六のときの子。清楚そうな彼女が、そんな幼くして母になったなんて、一体何があったのか。変な妄想にかき立てられる。
「でも今からディアナのところに行くとなると……、美桜はそろそろ帰った方がいいかもしれないな」
テラはそう言って、美幸の後ろに隠れた美桜をヒョイと抱き上げた。
眠たそうに目を擦る幼い美桜。疲れたけど、まだ起きていたい。例えるならそんな表情で、テラの肩に身を預けている。
「帰るって、どこに?」
「“向こうの世界”だ。昼寝の合間、就寝後なんかを利用して、美桜はちょいちょいこっちに来ている。美桜にとって、二つの世界を行き来するのは夢の中で遊んでいる感覚なのだろう。まだ、ほんの子供だからな。それに、こうやって別世界にやってくることが、美桜にとっていい逃げ場になっているのかもしれない……と、口が滑った」
美幸の視線を避けるようにして、テラはんんっと咳払いする。
幼い美桜は咳に反応し、ピクッと身体を動かしたが、次第にグッタリと力を抜き、やがて目を閉じた。
「おやすみ、むこうで」
美桜の額に美幸がキスした瞬間、幼い身体はスッと消え、跡形もなくなってしまったのだった。
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