過去2

「子供がそんなまずそうな顔をしてモノを食べるな」


 向かいの席でテラが言った。大人たちは、珈琲のような香りの、温かい飲み物を飲んでいた。


「俺、そんな顔してる?」


「してる。美幸の菓子がそんなに気に入らないか」


「気に入らなくなんかないよ。おいしい。すんごく」


「なら、もっと美味しそうに食べればいいだろう。子供らしく」


「中身は高校生だよ。……にしても、なんでこんなことに」


「それは君が、時空嵐の中で余計なことを考えたからだ。お陰で私まで“こっち”に来てしまった。いい迷惑だ」


 突然、芳野美幸が噴き出すようにして笑う。

 テラは美幸の様子に慌てふためき、どうしたと顔を覗き込んだ。


「可笑しい。深紅、私といるときと違うわね。とっても……、なんていうか、楽しそう」


「なにを言い出すんだ。美幸、私は君に従っていたときの方が、ずっと幸せだった。穏やかに過ごせたし、愛情を感じた。私は、君と居たとき、自分が竜であることさえ忘れてしまうほどに――。いや、よそう。凌の前だ。余計なことを言って、戻ってからいじられても困る」


 んんっと咳払いし、テラは姿勢を戻した。俺の視線が気になったのか、眉間にシワ寄せて睨み返してくる。

 やっぱり、俺と居るときとは何か違う。そう思うと、色々と一人で考えて悶々としていたのが馬鹿らしくなり、ふと、思ったことをそのまま口にしてしまった。


「主従関係と言うよりは、恋人みたいに見える」


 困らせるつもりはなかった。

 が、テラは口に含ませていた飲み物を詰まらせ、ゲフゲフと咳き込み始めた。


「ば……、馬鹿言うな。私は竜だぞ。いくら美幸が美しく聡明でも、そういう対象にも、関係にもならない。今こうして人間の姿で側にいるのも、きちんとした理由があってだな。彼女と美桜を守るためには、どうしても必要だったのだ。――そういう君こそ、何故ここに迷い込んだ。いくら美桜のことが愛おしくても、こんな過去に現れるなんて不自然ではないか。一体何が原因で、過去の君はここに来たのだ。まさか、幼かった君が自分の意思でレグルノーラに入り込むことなど、できなかったろうに」


 強烈なカウンターパンチに、一瞬たじろいだ。

 チラッと幼い美桜を横目に見て、それから美桜の母、その後にテラの顔を順番で見ると、それぞれ別の表情をしていて、俺に興味が集中しているのがわかる。美桜はお菓子を食べる手を止め、首を傾げて不思議そうな顔。その母親は『美桜のことが愛おしくても』に反応して両手で顔を覆い、顔を赤くし、テラはしてやったりと口角を上げている。

 居心地が悪いったらありゃしない……。

 しかも、テラが投げかけた疑問の答えを皆、今か今かと待っている。


「か……川に落ちたんだ」


 俺はカップに注がれた白いミルクを眺めながら、小さく呟いた。


「川?」と、テラ。


「農業用の用水路だよ。堰……って言って、わかるかな。田んぼに水を送るため、田舎では広めの堰があっちこっちに伸びてるんだ。あー……、ここには田んぼ自体、あるのかどうかわからないけど、主食用の作物を植える場所って言ったらいいのかな。じいちゃん家の裏に田んぼが広がってて、その直ぐそばに堰があった。堰の周りには草が生い茂っていて、小さい頃、じいちゃんとこに遊びに行くと、そこでよく虫を捕ったり、草を弄ったりした。俺が住んでいた住宅街じゃなかなか見ることのできない小さな虫がたくさんいたし、草を引っこ抜いたり、花を千切ったり、とりとめない遊びを一人でするのが楽しくてさ。多分俺はその日も、一人で遊んでいたんだよ。何でじいちゃんとこ行ったのかな……、祭り、だったかな。農繁期で川が増水してたし、半袖だったところを見ると、初夏だったろうから、それで間違いなかったと思う。あの日、どこを探しても俺が居ないもんで、あっちこっち探し回ったんだと、今でもたまに聞かされる。村中大騒ぎになって、家々回って尋ねたり、消防団が草むら捜索したり、とにかく大変だったらしい。流された俺は、葉っぱや枝と一緒に堰の隅っこに引っかかって、冷たくなりかけてたのを救われた。そのときだ、俺が“ここ”に来ていたのは。聞き慣れない言葉を喋る親子がいて、一緒に遊んだ記憶がある。ただ、本当にぼんやりとしか覚えていなくて、『川の底に女の子が棲んでいる』と、誰に言っても信じて貰えなかった。その女の子が美桜で――、俺はその事実を、さっき知った。美桜とは高校で一緒になるまで面識がないとばかり思っていたんだから」


「四歳の……頃、か。川が“ここ”に繋がっていたと言うよりは、意識を失ったとき、偶然“ここ”に迷い込んだと言うのが妥当か。記憶が曖昧なのは、未来から迷い込んだ君の意思で身体が動いていたからかもしれない。身体を貸している状態だったから、おぼろげな記憶になってしまったのではないか。言葉がわからなかったというのも、四歳の君はまだ干渉者として未熟で、異世界の言葉を理解するまでに至っていなかったと考えれば、納得できる」


 テラは腕を組んだまま、低く唸った。


「とすると、凌は潜在的にかなりの力を持っていたということになる。下手したら、かなり小さな頃から常態的にレグルノーラを訪れていた可能性だってある。その辺、どうなんだ」


「いや。美桜に干渉者でしょと言われても、俺には何が何だかわからなかった。『夢を介して何度か来ているはず』って、言われたんだったかな。それだって、俺には全く覚えが」


「“無意識下での干渉”ね」


 俺とテラの話を黙って聞いていた美幸が、ふと声を上げた。


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