【12】記憶の奥底

38.森へ

森へ1

 散々騒いだ割に、船はいつも通り、穏やかに航行を続けた。

 砂漠という名の広大な海原には、相変わらず湿った空気が漂っている。行き場のない水分は上昇し、雲となって日の光を遮る。稲光は走っても、砂漠に雨の降る気配は全くない。雨は全て森か都市部に降るというのだから、“この世界”はどうなっているんだと首を傾げてしまう。

 砂漠は広大で、進んでも進んでも果てが見えない。代わり映えのない景色の中で唯一目を楽しませるのが、魔物たちの姿だというのだから皮肉だ。

 砂蟲たちはまるでくじらのように悠々と砂漠を泳ぐ。砂漠狼や岩オオトカゲは、岩山の間から顔を出し、帆船を見つけるなり向かってきては遠のいていく。

 巨大化した動物たちのことを、人は魔物と呼ぶ。実際、極端に餌の少ないこの場所で彼らが生きながらえるには、血に飢え、血を求める必要がある。砂漠へ迷い込んだ人間を襲ったり、帆船を襲ったりするには十分すぎる理由だ。


「船に乗っている間は、ずっとその姿でいるつもりなのか」


 グラウンド一周分もありそうな甲板の隅。船と並行するようにして野生種の竜がキィキィ声を上げながら飛んでいくのを傍目に、俺はテラに尋ねた。

 船に助けられてから三日経つ。乗組員とも難なく会話できるようになったし、彼らの好奇な目さえだいぶ和らいできた。人間の方のテラにも慣れたはずだったが、時折、妙に疑問が湧くときがある。


「そりゃ、その方がいいだろう。竜のままでは、思うように動けないからな」


 テラは船縁に寄りかかって腕組みをし、何を今更と眉を上げた。物騒なほどに刻み込まれた右腕の刺青は、彼の人相を更に悪く見せているのだが、テラ当人は気付いていない様子。ピアスにしてもそうだが、テラという竜は何故こんな姿に変化へんげしたのか、多少なりとも疑問が残るというものだ。


「昔、美桜の母親の竜だったって、言ってたよな。まさかその時もこんな感じだった? 人間の姿をして寄り添ったり、いっしょに暮らしたりした?」


 俺はテラの隣で船縁に身を預け、砂漠を眺めていた。


「そうだな、時折は彼女の側にいた。人間の姿になって街へ出ることもあったが、本当に稀、だった。必要に迫られて長い間人化していたこともあったが、あの時はもう少し、落ち着いた姿をしていたはずだ。なにせ、竜は性格も姿も、あるじに依存する生き物。君と彼女では雲泥の差なのだから、察しも付くだろう」


「何それ。つまり、俺の人相が悪いって言いたいの」


「……自覚しているならいいじゃないか。君の性格、君の力が私に影響を与えているのだ。そのトゲトゲしさがなくなれば、私の姿も多少変化するのではないか」


 テラはそう言って、フンと鼻で笑った。

 変化へんげしている間、テラはまるで最初から人間だったかのように振る舞った。普段は何を食べているのかわからないが、食堂できちんとナイフとフォークを使って食事をするし、本も読めば字も書く。見た目はチャラチャラした怖いお兄さんだが、中身は案外紳士なのだ。そればかりか、竜独特の崇高なオーラでも出していたのか、いつの間にか乗組員たちの中で“テラの兄貴”と呼ばれるようになっていた。

 結界に守られた帆船での旅は、穏やかだった。砂擦れる音を耳で感じながら、ただ時間が過ぎるのを待つ。砂漠に飛ばされてからあまりにも長い時間が過ぎた。

 結局のところ、船長室の奥にある魔法陣には触れていない。芝山の好意は本当に嬉しかったんだけど、テラの助言はもっともで、俺には森を抜けるための道は一つしかないのだと思い知らされる。

 もし仮に――、あの時帰ってしまっていたら、どうなっていたのか。ディアナの術は強力だ。彼女は俺の一挙手一投足を把握していて、この世界を救うつもりがなくなったのだと判断すれば、即座に命を奪っていたはずだ。考えすぎかもしれないが、考えすぎるくらいでないと、この先、通用しない気がしたのだ。


「そういえば、美桜って小さい頃、どんなだったの」


 時間をもてあましすぎていた俺は、ふと、そんなことを考えた。


「気になるのか?」


 と、テラ。


「まぁね……。美桜のヤツ、巻き込むだけ巻き込んどいて殆ど喋らないから。ざっくり聞いたことはあるんだ。母親が“干渉者”で、美桜自身も小さい頃から“二つの世界”を行き来していて、それから“向こう”では肉親に見捨てられて大変な思いをしてるってこと。普通に生きてたら、世界を救うだなんてこと、考えもしなかったろうに……、何が美桜を突き動かしてるんだろうと思ってさ」


 もう随分長いこと、美桜とは会っていない気がする。学校の後、美桜のマンションに呼ばれて、それから家に帰ってディアナに連れてこられて。“表”の時間でどのくらいなのか全く察しが付かないが、砂漠ではいろんなことが起こりすぎて、時間の感覚がどんどん狂っていく。

 テラは、「そうさな」と小さく呟き、思案していた。

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