生死の狭間2
バタバタと人が走る音、慌てたような声。
俺のことを両親が心配している。
何度も俺の名前を呼んでいる。
堰に落っこちた幼少の頃と、場面が被った。
あのとき、俺は自分がどうしてそこにいるか理解に苦しんでいた。堰に行った覚えも落っこちた覚えもなくて、濡れてびちょびちょの服で震えが止まらず、思うように息もできず、ただただ気持ち悪かった。
そして今も。
ディアナに掴まれた心臓はどうなってしまったのだろう。
俺はどうして起き上がれないのか。
よく、わからない。
身体にディアナの腕がめり込んでいた。悲鳴を上げそうなほど胸が痛かった。あの感覚は夢だったのか、現実だったのか。
・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・
“レグルノーラ”とは、なんだ。
“干渉者”とは、なんだ。
二つの世界を行き来して、それぞれに影響を及ぼしながらも決して溶け込むことはない。
そんなところに足を突っ込んで、それどころかもうどっぷりと浸かってしまって、逃げ出すことすらできなくなって。
――『誓いを忘れるな』
ディアナの声が頭に響く。
――『お前は、“レグルノーラ”を救うのだ』
真っ直ぐな目で、俺を見ている。
――『私たちが、異界の少年に運命を託していると言うことを』
――『くれぐれも、忘れぬよう』
・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・
白い天井、腕に繋がる点滴。
それから、医師らしき白衣の男と看護師の女性が数人。
俺は、病院にいる。
うっすらと開いた目でそれを確認すると、俺は何となく安心して、そのまま目を閉じた。
・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・
身体が、だるい。
息が、苦しい。
汗が、止めどなく出てくる。
どこにも行くことのできない意識は、闇の中でさまよっていた。
このまま目が覚めなければ、俺は、死ぬのだろうか。
あまりにも簡単に考えてしまっていたのかもしれない。
“能力の解放”ってヤツは身体に負担を強いる。
『死ぬことはない』なんてディアナは言っていたが、コレは生死をさまようレベル。
俺の身体が、自分のモノであってそうじゃないような、変な感覚。
例え意識が戻ったとしても、果たして俺は……。
………‥‥‥・・・・・━━━━━■□
ディアナの術にかかってから、どれくらい経ったのだろう。
汗でべっとりと肌に布地がまとわりついて気持ち悪い。
硬直していた手足は、少しだけ自由に動かせる。呼吸器のおかげで、なんとか息もできている。
久々に、視界に色が戻ってきた。
白い天井、桃色のカーテン、青空が見える窓と、半分まで垂れ下がった白いブラインド。
近くに誰かがいる。ベッドのそばで椅子に腰かけ、俺を見ている誰か。
まだ、視界がぼやけていた。
が、茶色い髪と制服姿で、俺は無意識にそれを彼女だと断定してしまっていた。
「美……桜……?」
まさかそんなことはあるまい。思ったが、口からは自然と彼女の名前がこぼれてしまう。
ガタッとシルエットの人物は立ち上がり、俺の名を呼ぶ。
「凌!」
やっぱり、美桜だ。
頬が緩んだ。
心配してくれてたのか。それだけでも、収穫だ。
――と、彼女の身体がふいに、覆い被さった。ずっしりと心地よい重さが胸の上にのしかかる。ファサッと彼女の長い髪の毛が頬を掠めた。
「馬鹿……。凌の、馬鹿」
心なしか彼女の肩は震えている。病衣を掴む指に力が入って、俺の胸をひっかいた。
痛い、とは思ったけれど、それよりも美桜のことが急に愛おしくなり、俺は痺れた手でゆっくりと彼女の頭を撫ぜてやった。
「ごめん。何とか、戻った」
まだ唇が痺れていて、まともに喋れそうにない。
短い言葉だけ伝える。
彼女はそれだけで何のことかわかったらしく、
「無茶するからよ」
と顔を俺の胸に埋めたまま小さく呟いた。
「ジークに、問い詰めた。ディアナにも、どうしてこんなことをしたのか詰め寄った。あなたが……、凌が、“レグルノーラ”のために、自分を犠牲にする必要なんて、ないのに。馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿……」
ゆっくりとこちらを向いた美桜の顔は、涙でぐちゃぐちゃで。せっかくの美人が台無しだ。濡れた頬に張り付いた髪の毛を、そっと払ってやる。白く柔らかい肌が、耳まですっかり紅潮していた。
「ごめん、本当に、ごめん」
何故謝っているのか。どうしたらいいのかよくわからなくて、俺はただ、美桜にそう言い続けた。
「ナースコール、しなくちゃ」
身体を震わせ、ヒックヒックと鼻をすすりながら、枕元のコールボタンを押そうと手を伸ばす美桜。
「待って」
止めようと差し伸べた手が彼女の柔らかい腕に当たり、白い肌を少し爪でひっかいた。
「まだ、いい」
声が呼吸器に跳ね返り、少しこもっていた。
「美桜が、落ち着いてからで、いい」
そこまで言うと、彼女は静かに笑ってもう一度俺の胸に顔を埋めた。
彼女の制服は、いつの間にか夏服になっていた。眠っている間に季節はどんどんと移り変わっていたらしい。
夏の高い日差しが、ベッドの真上に降り注ぐ。
雲一つ無い青空が、窓の向こうに広がっていた。
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