カフェの待ち人3

「もしも」


『凌、支度してる?』


「はひ」


 案の定、美桜だった。俺は口の中でもぐもぐさせていたハムの欠片をグッと飲み込んで、やっとこさ返事した。


『肝心なこと忘れてた。よく考えてみたらあなた、“ゲート”以外で飛んだこと、なかったのよね』


「そ、そうだけど」


 よかった。やっと思い出してくれた。

 多少暴走気味な美桜に、俺が自分のことまで考えて欲しいなんて言えるはずもなく。心のどこかで、彼女自身が気付いてアドバイスしてくれることを待っていたのだ。


『右腕の刻印を、左手でゆっくりとさすりながら、目を瞑って“レグルノーラ”へ飛ぶ感覚を思い出して。“ゲート”じゃない分、ちょっと時間はかかるかもしれないけど、何もしないよりは早く飛べると思うわ。コレを毎日続けていれば、いずれその場所が新たな“ゲート”になる。わかった?』


「あ、ああ」


『じゃ、待ってるわね』


 ブチッと回線が切れた。

 いつもながら一方的だ。相手の都合など全くお構いなし。それが“芳野美桜”なのだが。

 ベッドの上にスマホを放り投げ、無難な服に着替える。“向こう”で何をするのかさっぱりわからないが、動きやすい服装の方がいいだろう。結局Tシャツにジーンズぐらいしか思い浮かばず、我ながらセンスの悪さに愕然とする。

 が、迷ってる場合じゃない。

 時計の針は刻々と進んでいて、美桜の言うリミットに迫っていく。

 果たしてどれほど集中できるのか、やってみないとわからない。

 本当に“ゲート”じゃないところから、“あっち”に飛べるのだろうか。

 勉強机に向かい、椅子に座って右腕を見る。“干渉者”にしか見ることができないという“刻印”。さっきの話が本当だとすると、美桜は、単に嫌がらせのためにコレを刻んだわけではなさそうだ。

 もしかしたら、美桜自身にも“刻印”があるのだろうか。腕や足にはそんなもの見当たらなかったが――、胴体、なんてことは。

 そこまで考えて、俺は首を横に振った。

 危うく美桜の裸を想像してしまうところだった。彼女をそういう対象として見てはいけない。考え出したら歯止めがきかなくなってしまう。

 美桜はあくまで“干渉者仲間”。二人の距離はこれ以上縮まらない。今の状態を保ち続けることがお互いにとって一番いいんだって、何度も言い聞かせてきたじゃないか。

 ――集中、しろ。

 “裏の世界”に沈むんだ。深く……深く。

 目を閉じて意識を沈ませ、身体の力を抜く。

 大丈夫、いつもやっていることだ。授業中だってできるようになってきたんだから、“ゲート”以外の場所でだってできるはず。

 美桜が近くにいなくったって――、“力”は発揮できた。

 彼女曰く、俺はどうやら『覚醒した』らしいのだから、今までできなかったことだって少しは――。

 ゆっくり息を吐いて呼吸を整える。

 “向こう”に行くのは、眠るときと感覚が似ている。ただ確実に違うのは、意識を沈めた先で、自分の思う通りに動けるかどうか。

 摩天楼と薄暗い森、それから、果てしない砂漠。竜と魔物。“こっち”じゃ見たことのないようなテクノロジーで動く乗り物に、不思議な服装の住人たち。外見は様々だけど、何故かみんな共通の言語で喋っていて、俺もそれを理解する。奇妙な文字列、魔法、武器。

 最初は夢の一部にしか思えなかったそれらは、いつの間にか俺の生活の一部になりつつある。

 無理やりとはいえ、美桜に導かれ、自分の力でたどり着けるようになったそこへ、俺は今日も行かなければならないのだ――。





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