美桜の告白3

 ベランダへと続く掃き出しの窓から微かな風が入って、カーテンを揺らす。チチチと鳥のさえずりが耳に入ってくる。

 美桜がお茶を注ぐまでの間、俺は黙って、この非日常的な光景を何とか受け入れようと必死になっていた。

 一体全体なぜこんなことになってしまったのか、俺には未だ理解できていなかった。同じ“干渉者”とはいえ、俺たちはあくまでクラスメイト。家政婦にも俺のことを交際相手だと紹介していたようだが、そういった事実は一切ない。恋や愛など全く縁のない関係だというのに、彼女は俺のことを表面では彼氏扱いする。

 なんだって彼女は俺を自宅へと招き入れたのか。その答えは後々はっきりすることになる。


「どうぞ」


 出されたのは紅茶だった。花柄の上品なティーカップは、お嬢様という肩書きにぴったりの少女趣味だ。

 一緒に勧められたケーキは飯田さんの手作りなのだと、彼女は付け加えた。


「家政婦雇ってるなんて凄い金持ちなんだな。親は何やってるの? 会社経営とか?」


 俺は何の気なしに尋ねたが、途端に美桜は目を逸らした。


「お金持ちなのは、私の伯父よ。親はいないわ」


 ……聞いてはいけないことだった。

 俺は思わず立ち上がり、


「ゴメン! 何も知らずに」


 と謝ったが、彼女は、


「気にしないで。いいから座って」


 と、いつも通り冷静に受け答える。

 それの態度がまた、俺の胸をチクチクと刺す。彼女のことを何も知らない自分に、顔から火が出そうだった。

 言われた通りに座り直そうとしたとき、ふとキッチンカウンターの隅に綺麗な女性の写真が飾られていることに気付いた。美桜をそのまんま大人にしたような、顔立ちのいい女性の写真。その隣に、小さな子供を抱えた女性の写真もある。


「母は私が四つのときに事故で亡くなったの。父親はいないわ。飯田さんは元々伯父の所に勤めていた家政婦で、私が伯父に引き取られたときからずっとお世話になってるの」


 美桜は母親の在りし日の写真を手に取り、ギュッと握りしめた。


「私の所に残っている写真は、この二枚だけ。他の写真は全部、伯父が捨ててしまったから」


「なんで、伯父さんは、自分の妹の写真を」


 恐る恐る顔を覗き込むと、彼女は苦しそうに目に涙を浮かべ、


「気持ち悪かったからよ。“干渉者”である“妹”と“姪”が」


 ――俺は、耳を疑った。


「え、ちょっと待って。つまりは、美桜の母親も」


「“干渉者”よ。“レグルノーラ”のことを、私は母に教わったの。時折“裏の世界”へ意識を飛ばす私たちのことが、伯父は心底気持ち悪かったようね。母が死んで一人きりになった私を引き取るのも、本意ではなかったらしいわ。身寄りが他にいないから仕方なく。放棄して養護施設に入れてしまうこともできたでしょうに、どこかの会社社長という肩書きが邪魔をして、それができなかった。中学に入るとすぐに、伯父は私にこのマンションの一室を与えたわ。距離を置かなければ、耐えられなかったのでしょう」


 そんなこと、無理にそんなこと、言わなくてもいいのに。

 美桜は写真立てを握りしめた手を震わせながら、自分の生い立ちを説明してくる。

 違う、俺はそんなことを聞くためにここに居るわけじゃない。だが、美桜は俺の気持ちなんか構いなしに、どんどん身の上話を振ってくる。


「飯田さんはそんな私を見かねて、朝晩世話に来てくれるの。伯父はしぶしぶ了解している状態ね。あそこには他にも若い家政婦がいるし、飯田さんがいなくても全然困らないでしょうから。私ももう十七なんだし、自分のことは自分でできる、来なくてもいいのよって言ったんだけど、飯田さん、私のことが放っとけないって。困るわね。いつまでも、小さな子供ではないというのに」


「――ちょ、ちょっと待って」


 俺は耐えきれず、バンと大きくテーブルを叩いた。

 ビクッと背筋を震わせ、美桜が大きく開いた目でこちらを見ている。


「俺、そんなことを聞くためにここに来たわけじゃないんだけど」


 思っていた通りのことがなかなか口から出てこない。もっと気の利いたセリフならばよかったのに。これじゃ、美桜を傷つけてしまいそうだ。

 だけど、俺にはそんな言い方しかできなくて。

 しまったと額に手を当てたときにはもう遅かった。美桜は眉をハの字に曲げて、唇を強く噛んでいる。


「ごめんなさい。そういう……、つもりじゃなかった。もう、こんな話やめるわね」


 パタンと美桜は手の中の写真立てを伏せ、スッとテーブルの隅に追いやった。

 違う。そういう意味じゃなくて。

 そんなに辛そうに自分のことを無理して語る必要はないと、そう言いたかったはずなのに。

 ティーカップの中を覗き込むと、どうしようもないくらい凹んだ自分の顔が見えた。美桜にもこんな情けない顔が見えているのかと思うと、俺はいたたまれなくなって、中の紅茶をぐいっと飲み干した。


「初めて……、知った。俺、美桜のこと、何も知らないのな」


 突いて出たセリフが、また素っ気ない。そんな自分に嫌気が差す。


「私だけが凌のことを知っているっていうのは、ずるいと思って。いつかちゃんと話さなければならない。それが今なんじゃないかって」


 高くなってきた日差しが、美桜の表情をそっと隠した。

 そういえば、いつだったか言われたんだ。



――『“裏の世界”に来たことがあるはず』


――『“夢”を介して、何度か来ているはず』



 美桜は俺の知らないところで俺を見ていた。それが、“ずるい”“話さなければ”に繋がっていた。

 わかるような、わからないような。

 俺をレグルノーラに連れ込んだ最初の『見つけた』も、もしかしたら彼女なりに考えてのことだったのか。


「信頼しているから話すのよ。凌のこと、心から信頼しているから」


 美桜は真っ直ぐに俺を見据えていた。

 カーテンが揺らいで日が差すと、彼女の表情がくっきりと見えた。その曇りのない眼差しは、五月晴れの空の色に似ていた。


「あなたがもし最低の人間なら、“レグルノーラ”にも“ここ”にも誘わなかった。これから先、もっともっと恐ろしいことが待っている。“裏”に干渉している以上、いずれあなたは“私”のことをもっと知ってしまうことになる。それでも、あなたなら“私”のことを“私”として見てくれるんじゃないかと、そう信じることができたから、私はあなたをここに連れてきたのよ」


 それはあまりにも重い、彼女の初めての告白だった。

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