第5章 破壊された文明

第1話 ひとりぼっちのエルフ

 森を抜けたそこには、廃墟の街が広がっていた。

 森の中の小さな町でヴェロニカ達と別れてから、三日。山は終わり、ここから先は平地が続くらしい。木々が減り、小高い丘からは遠くまで見渡す事ができた。


「ずいぶん広いけど、街……って感じではないな」


 丘を下り、人気のない道を歩きながら耕平が言った。


 これまでの街に比べて、道は結構広い。狭い道でも、馬車が容易にすれ違えそうな広さが保たれている。

 通りの両側には石製の建物が立ち並ぶ。それらも、これまで見たどの街の建物より高いものばかりだった。


 建物はどれも風化し、半壊していた。この世界にしては珍しく、どの建物も装飾がない。あっても、とても飾りとは思えない謎の四角い枠やデコボコぐらいだった。窓枠も最低限しかなく、ガラスを失った四角い穴が一定に連なっている。

 一階の入口部分は、足元の方までガラスが残っていて全面ガラス張りだったと思われるものが多い。

 崩れた壁から、鉄筋のようなものが飛び出しているものもある。


「珍しい形の建物ばかりよね。やっぱり、山の麓となると、違うのかな」

「巨人か何かの街だったのでしょうか」


 街中には、一定間隔で柱が立っている。

 地面も踏み固められた土でもなければ石畳みでもなく、所々ひび割れた黒いコンクリートのような道。これまでの中世ヨーロッパ風の街並みと比べると、明らかに異色だった。


 ピタリと突然、ティアナが立ち止まった。真剣な表情で、斜め後ろの曲がり角をじっと見据えている。


「ティアナ?」

「どうしましたか?」


 ティアナは剣を抜き、腰を落とす。


「……ここも、魔物が出るみたい」


 皆まで言わぬ内に、曲がり角から黒い巨体が現れた。


「ヤ、ヤマガミ!? ――いや、ただの巨大グモか」


 巨大なクモをベースにした姿は耕平がこの世界で最初に出会った魔物とよく似ているが、その顔に天狗のお面はなかった。そして何より、ヤマガミからは感じられたあの禍々しい気配がない。

 ティアナはすでに、特攻を仕掛けていた。鋭い斬撃が、クモの身体を真っ二つにする。


「おおー、さっすが……」

「終わりじゃないわよ」


 縦に長い建物の向こうから、次のクモが姿を現わす。一体、二体、三体……クモは群れをなし、数え切れないほどいた。


「うわっ。何だあれ、気持ち悪っ!」


 黒い巨体の群れは、ワラワラとこちらへ向かって来る。ティアナはその群れの中へと飛び込み、舞うようにクモを蹴散らす。


「ティアナ、下がれ!」


 大量の敵相手は、範囲攻撃に限る。

 思い描くは、燃え盛る炎。


「ファイヤーっ」


 耕平が炎を出現させると同時に、ティアナが叫んだ。


「……何だよ、それ」

「え、いや……詠唱必要なくても、何か技名発声あった方がカッコイイかなって」

「いらないし、付けるとしてもファイヤーは無いだろ……」


 突如、イリサが叫んだ。


「勇者様、まだです!」


 炎の中から、粘着性のある白い糸が噴き出した。糸は、一番近くにいたティアナを絡め取る。


「きゃ!? や、やだ、ベタベタして気持ち悪い……!」


 頭からかぶった糸を取ろうとするティアナを、炎の中から出て来たクモ達が取り囲む。

 クモは糸を噴き出しながらぐるぐると回り、中心に立つティアナをがんじがらめにしていく。


「や、ウソっ……! ん……っ」


 ティアナを取り囲むクモたちの上に、複数のナイフが降りかかる。ナイフはグサグサと的確にクモを貫いていく。全身にナイフを浴びたクモたちは、今度こそ動かなくなった。


「大丈夫か、ティアナ!」


 耕平が出した水で糸は洗い流され、ティアナは解放された。

 イリサは、クモの死骸の一つをまじまじとそばで見つめる。


「このクモさん達、身体が湿っています。それで、勇者様の炎が効きにくかったのですね」

「なるほど。見た目は似てるが、性質的にはヤマガミと正反対って事か。エンカウントエリアかぶってたら悲惨だったな」

「反省会はもうちょっと待った方が良さそうよ」


 緊迫した声で、ティアナが言う。彼女は剣を抜いたままだった。


「人の能力に合わせて『ファイヤー!』とか叫んでたやつに言われても……」

「う……! も、もう言わないから! ほら、コーヘイも構えて! あれかぶると、本当に気持ち悪いんだからね!?」

「はいはい。要するに、こっちのクモはレベルを上げて物理で叩けばいいんだろ?」


 耕平は手にピストルを、空中に何本もの剣を出現させる。

 ピクリとティアナは肩を揺らし、通りの向こうを振り返る。


「……来るわよ!」


 ティアナは剣一本で、耕平は銃やら剣やら弓やらを駆使しながら、大グモを蹴散らし通りを突き進む。

 どうやらここは、この大グモの棲処のようだ。とにかくここを抜けなければ、キリがない。


「えいっ。……やあっ」


 イリサも、耕平の創り出した槍で、接近したクモを突き刺す。


「イリサも結構、筋がいいじゃないか」

「あ、ありがとうございます……!」


 息を切らし、頬を高揚させながら答えたイリサは、ふと道の横を見て立ち止まった。


「イリサ?」


 イリサに襲いかかるクモに散弾銃をお見舞いし、耕平は駆け寄る。イリサは、建物が崩れ瓦礫の山となっている場所を指差した。


「あそこ……人が倒れてます……!」

「な……!?」


 イリサの指差す先を振り返る。白く風化した瓦礫の中、横たわる少女の姿があった。

 耕平は、クモを蹴散らしズンズンと進んでいくティアナを呼び止める。


「ティアナ! 待ってくれ! おーい!」


 精一杯声を張り上げたが、全く聞こえていないようだった。


「ったく、あのバカ……!」


 耕平の手から赤いリボンが伸び、ティアナに巻き付く。そして一気に引き寄せ、抱きとめた。


「ぴゃっ!?」

「あんまりそばを離れるなよ」


 ティアナは慌てて耕平から離れる。


「わわわわ、だ、だからっていきなりこんな引き寄せ方しなくても!」

「とっさに思いついたのがこれだったんだよ」


 耕平自身、戦闘ヒロインの定番のような技を使うのは不本意だ。見るのは好きだが、やはり自分で使うならカッコイイタイプのものがいい。




 ナイフの一斉投下でクモの群れを一時的に退け、三人は瓦礫の中の少女へと駆け寄る。


「大丈夫ですか!?」


 年の頃は耕平達と同じくらいだろうか。背丈はティアナよりも高く、耕平と同程度。上は白、スカートは緑のワンピースのような服を着ている。白い顔にかかる長い髪は薄いベージュ色だが、光の加減によって緑色にも見えた。


「息はあるわ。コーヘイ、負ぶえ……私が背負うわね。手を貸して」


 一度耕平を見上げたティアナは、思い直したように言った。


「い、いや、それくらい、俺がやるよ」

「でも……ここ切り抜ける間は戦い続ける事になるだろうし、コーヘイより私の方が体力は……」

「見くびるなよ! 俺にだって、それくらい出来る!」


 ティアナの口癖をマネして、耕平は言い放つ。


「それに、戦い方考えたら、ティアナより、中遠距離攻撃が使える俺の方が適任だろ」


 ティアナとイリサの手を借りて、少女を背中に乗せる。柔らかな感触が、耕平の背中に押し付けられる。――でかい。


「この人、耳が尖がっています。人間以外の種族なのでしょうか……」

「コーヘイ、大丈夫?」


 黙り込んだコーヘイの顔をのぞきこむようにして、ティアナが問う。耕平は慌ててうなずいた。


「ヘイキ、ヘイキ! 結構軽いよ、この子」


 強がりではなかった。

 人間でないならば、重力に対しても何か人とは違った原理が働いているのだろうか。人間では考えられない軽さだった。

 せいぜい、テスト期間の教科書が詰まったカバンと同程度か、それより少し重い程度か。背中へのエネルギーチャージを差し引いても、その程度しか重みが感じられない。


 三人は身を寄せ合い、再び廃墟の街を進む。

 耕平の銃が道を切り開き、接近したクモはティアナとイリサで倒し、耕平の背中の少女を守る。そうしてやっとの事で、お馴染みの西欧風の街へとたどり着いた。




「やっと着いたー!」


 ティアナがもろ手を挙げて喜ぶ。イリサは槍を地面に着き、ヘロヘロとその場にしゃがみ込んだ。


「大丈夫か、イリサ?」

「だ、大丈夫です……少し、疲れました……」

「いったん、どこかその辺で休もうか。この子も、あまり連れまわさない方がいいだろうし」


 ほどよく、そばには公園があった。噴水と広場があるだけの小さな公園で、人の姿はない。

 耕平は、少女を木陰へと降ろす。ティアナとイリサをそばに残し、耕平は大通りへ食べ物を調達しに向かう。


 全体的に中世ヨーロッパのような世界だが、食べ物は現代と大差なかった。さすがに餅や味噌汁のような純和風の食べ物は見当たらないが、どのようにして加工や流通が成り立っているのか、ハンバーグやらシチューやらパスタやら、ボリュームも味も現代とそん色ない。


 サンドイッチを売っている店を見つけ、耕平は四つ買って公園へと戻った。

 サンドイッチと言っても耳をとった食パンではなく、コッペパンのようなパンにサラダやたまごを挟んだものだ。


「おーい、戻ったぞー」


 隣り合って座り何やら話しているティアナとイリサに、耕平は手を振る。

 その時、二人の更に横で眠る少女が身動きした。


「う……」


 気が付いたらしい。

 身を起こす少女に安堵したのもつかの間、少女は耕平に飛びかかって来た。


「ゴハンー!」

「うわっ!?」

「コ、コーヘイ!」

「勇者様!」


 押し倒されるようにして、倒れ込む。


「ちょ、ちょっと、あなた何なの!? コーヘイから離れなさいよーっ」


 ティアナは真っ赤になって叫び、イリサはグイグイと少女の服を引っ張る。


「ゴハン……ゴハン……パンの匂い……」


 少女は耕平に馬乗りになり、ブツブツとつぶやき続けていた。






 てんやわんやの末、やっとの事で引きはがされた少女は、理性を取り戻したらしく恥ずかしそうにうつむいていた。


「すみません……ここしばらく、何も食べていなかったものですから……」


 少女は地面に正座し、肩をすくめて話す。耕平は、紙袋の中からサンドイッチを一つ取り出し、少女に差し出した。


「とりあえず、食べながら話そう。君の分もあるから」

「ありがとうございます……!」


 木陰に並んで座り、耕平達はサンドイッチを食べる。

 少女はアテネと名乗った。この街に住んでいるらしい。耕平達は図らずも、少女を街へ送り届ける形となったのだ。


「でもまた、どうしてあんな所に? 見たところ、どこかへ遠出しようとしていたとも思えないけど……」


 少女の服装は胸元の開いた丈の長いワンピース。マントさえ羽織っていない。

 荷物も首から下げた紙の束と紐にくくり付けられたペンだけで、とても魔物のはびこる街へ潜り込む格好とは思えなかった。


「コーヘイさん達は、古代文明の話は知っていますか?」

「コダイブンメイ?」


 単語さえも聞いた事がないというように問い返すのはティアナだ。耕平ももちろん、首を振る。

 イリサが答えた。


「詳しくはありませんが……。大昔にあったと言われている、今とは違う文明の事でしょうか……」

「そう。かつて栄華を極め、魔王によって滅ぼされてしまった文明。その文明の遺跡が、あの街なんです。私達の街とは全く違う建築技術。地面も、表面に石を敷き詰めただけじゃなくて、すごく深い所まであの岩のような硬い状態が続いているんですよ。地下にも、所々崩れちゃってますけど、すっごく広大な通路があって……」

「その遺跡を調べていたって事か?」


 アテネは大きくうなずく。


「はい! 私、集中すると周りが見えなくなっちゃうタイプで。ここ数日、寝るのも食べるのも忘れていたものですから……」

「数日って……いったい、何日調べまわってたの?」

「えーっと……」


 アテネは両手を出し、順に指を折っていく。

 しかし正確に数える事はできず、首をひねっていた。


「よく飲まず食わずでそんなに長い間無事だったな……。あそこは、魔物も出るだろ?」

「私、エルフなんです。だからちょっとやそっとの事では死にませんし、こう見えて、一応身を守る程度になら戦えますから」

「それでも、死なないからってそんなに無理しちゃ、身体に悪いわよ。実際、それで今回倒れちゃったんでしょ?」

「ハイ……気を付けます……」


 ティアナの説教に、アテネは大人しく肩をすくめる。それから、耕平達を見回した。


「コーヘイさん達は、どうしてあそこに?」

「ただの通りすがりだよ。山を下りてきたところで……」

「コーヘイは、勇者なのよ! 魔王を倒すために、旅をしているの。私もイリサも、コーヘイに助けられて……」


 ティアナが得意げに話す。

 耕平は、居心地の悪さを感じていた。


 確かに耕平は、旅をしている。流れでティアナやイリサも助けた。しかし、その目的については、全くの嘘っぱちだ。

 まあ、戦ってみてもいいかくらいには思っているが、積極的に動いている訳ではない。魔王がどこにいるのかさえ、知らないのだ。

 勇者と言うのも、それっぽいからそう言う事にしているだけ。実際、この世界の耕平が何者なのか、それは耕平にも分からないままだった。


 幸い、その話は長くは続かなかった。アテネがパッと立ち上がったのだ。耕平達を振り返り、彼女は言った。


「ではもしかして、今日の宿もまだでしょうか? もしよろしければ、今夜はうちに泊まりませんか? せめてもの恩返しと言う事で」


 耕平達は顔を見合わせる。特に断る理由はなかった。


「じゃあ……お邪魔させてもらおうかな」

「やった! 旅のお話、たくさん聞かせてくださいね!」


 アテネは両手を合わせ、にっこりと笑った。






 街の人々は、アテネを避けている様子だった。アテネの姿に気が付くと、スーッとどこかへ歩き去って行く。あるいは、視線をそらし距離をとってすれ違う。

 最初は気のせいかと思ったが、これが何人もいるとなれば気になる。


 そしてアテネの家は、町はずれの丘の上にあった。周囲に近所と呼べるような家はなく、広い土地なのに畑や牧場さえない。

 庭の外側には木々が植えられ、まるで家を封じているかのようだった。


「アテネ……あの、失礼な事を聞くようだけど……君って、街の人達とは……」

「ああ、気付いちゃいました? 私、変わり者だと思われているみたいなんですよね」


 確かに変わり者だろう。それには、耕平も同意だ。

 しかし、それだけでこんなにもあからさまに避けたりするだろうか。


「それから、文明の遺跡……この街では、あの場所を穢れていると考える人が多いんです」

「魔物が出るから……?」


 ティアナが問う。アテネはうなずいた。


「どういう事だ?」

「魔物って、私達みたいに旅をする人にとっては街を出ると当たり前にいる存在だけど、ずっと街の中で暮らすような人達にはそうでもないのよ。私やイリサみたいに、一歩出れば森だったりする山奥の村出身なら、旅人でなくても魔物なんてどこにでもいるものなんだけど。山や森とも離れたこんな大きな街では、魔物なんて災いの象徴でしかないでしょうね」


 なるほど。魔物は確かに、危険な存在だ。戦い慣れしていない街の住人にとっては、脅威でしかないだろう。

 この街の近くで出る魔物と言うと、廃墟の中に巣食う大グモ。気味が悪いと思うのも、無理はない。


「と言う事は、あの街を通って来た私達も、街の方々にとっては穢れを運ぶ存在と言う事になるのでしょうか?」

「……恐らく。宿も、この街では少ないですから……。たぶん、そう言う事なんだと思います。それでも存在すると言う事は、お客様としてもてなす気のある方もいると言う事でしょう。私の場合はエルフって事もあるんだと思います。人より長く生きる私は、皆さんにとって魔物と大差ない存在でしょうから」

「そんな……」

「人より長く……って、それじゃ、アテネってもしかして俺らより年上なの?」

「ええ。こんな見た目ですけど、実際の年齢は……」


 アテネは、片手の指を折り数える。中指まで折って、手は止まった。


「……三十代?」

「348歳です」


 耕平は膝をつきうなだれた。


「ど、どうしたのコーヘイ?」

「いや、気にしないでくれ……背中にチャージされたエネルギーが消失しただけだから……」

「勇者様が何をおっしゃっているのか、よく分かりません……」


 ティアナもイリサも、困惑顔で顔を見合わせていた。


「あっ。アテネさん、行っちゃうよ!」


 ティアナとイリサは、慌ててアテネに駆け寄る。

 耕平も立ち上がり、ふと横に目をやった。


 丘からは、街を一望する事ができた。

 赤茶けたレンガの街。赤や青の屋根が連なる向こうに、まるで塔のように何本もの細長い建物がそそり立つ。


「あれ……?」


 屋根の向こうに見える、背の高いシルエット。それは妙に、既視感を刺激される光景だった。


 何だろう。この風景を、耕平はどこかで見たような気がする。

 この世界に転生して、この街を訪れたのは初めてだ。見た事なんて、あるはずないのに。


 それとも、この世界にいた耕平の記憶なのだろうか。

 耕平にこの世界での記憶があるのは、魔導士村のそばの森に倒れていた、あの瞬間からだ。しかし、耕平の装備は整っていた。唯一現代と同じだったのは、メガネだけ。

 これがトリップではなく転生だと言うならば、この身体自体には、生まれてから現代の耕平の記憶が受け継がれるまでの間の記憶が存在しているはずだ。


「コーヘイー! 何やってるのー? 早くー!」

「あ、悪い悪い」


 ティアナ、イリサ、アテネの三人は、少し先で立ち止まり耕平を待っていた。耕平は正面に顔を戻すと、三人の元へと駆けて行った。






 カンカンと激しい鐘の音が響いたのは、太陽が西に傾き始めた頃の事だった。

 アテネの作ったスープを食べていた耕平は、思わずスプーンを取り落とす。ティアナがパッと立ち上がり、椅子の横に立て掛けていた剣を手に取る。


「何があったんでしょう……?」


 イリサも腰を浮かしながらアテネを見る。アテネも、マントをワンピースの上に羽織っていた。


「分かりません。でも、ただ事じゃないのは確かです」


 ティアナはすでに外へと飛び出していた。

 耕平もスプーンを机の上に戻し、アテネとイリサの後に続いて外へと飛び出す。


「何だこれ……!」


 街を見下ろし、耕平は驚愕に目を見開いた。

 赤茶けたレンガの街。そこにはびこるのは、黒い巨大。


「魔物が、街中に……!?」

「ア・クラン」


 アテネがつぶやくと共に、彼女の手に淡い光をまとった弓矢が現れる。

 声をかける間もなく、アテネは丘を駆け下りて行った。




 狭い路地の多い街は、大グモの巨体であちこちを破壊されていた。クモの通った後には白い粘着性の糸による巣が張られている。

 クモの群れに向かって、一本の矢が放たれる。矢は空中で何本にも分離し、一匹一匹を確実に仕留める。


 アテネは道の真ん中に佇み、次の矢を弓につがえていた。


「うぅ……痛いよぉ……」


 道の端に、うずくまる子供の姿があった。クモにやられたか、崩れた瓦礫に当たったか、子供の足からはおびただしい血が流れていた。


「イリサ、行ってやれ。他にも怪我をしている人達がいるかもしれない。ティアナは、イリサの補助を。俺は、アテネを支援する」

「はい、勇者様」

「りょーかいっ」


 イリサは子供へと駆け寄り、その隣にひざまずく。


「ア・ドーウィン・トーィル・メー・ハーリン・ソーラス」


 呪文を唱えるイリサの後ろ姿へと、大グモが襲いかかる。

 黒い背中に、一本の細い剣が突き立てられた。どさりとクモはその場に崩れ落ちる。

 ティアナ剣を払い、倒れたクモの背に乗ったまま次に来ようとしているクモを見据える。


「さあ、来なさい。イリサには、指一本触れさせないわよ」


 この二人なら大丈夫だ。耕平は、光の矢をつがえるアテネの元へと駆け寄る。

 遠距離攻撃型だから、クモとは距離をとっている。ふと、正面のクモが身体を膨らませた。


「アテネ!」


 白い糸がアテネに向かって吹き出される。

 糸は、空中に生じた見えない壁にべたっと貼りついただけだった。


「大丈夫か!?」

「はい。ありがとうございます、コーヘイさん」


 アテネの矢と耕平の短剣が、群れの上に降り注ぐ。

 身の危険を悟ったのか、クモ達は後退を始めた。


 アテネが、道の端に座り込む男性へと駆け寄る。この男性も、ケガをしているようだった。


「大丈夫ですか? 今、治し……」

「やめろ、触るな!」


 差し出されたアテネの手を払い、彼は後ずさった。


「お前が……お前が、この街に穢れを持ち込んだんだろう。お前のせいで、街はメチャクチャだ!」

「な……っ。そんな言い方……!」

「コーヘイさん」


 憤る耕平に対し、アテネの声は静かだった。


「イリサさんに治してもらう事はできますか?」

「あ、ああ。あいつなら、たぶん俺が頼まなくても怪我人見たらすぐ……」

「ゴルァー! 待てー!!」


 怒鳴り声と共に、オレンジ色の光が耕平とアテネの横を駆け抜けて行った。

 剣を手に大グモの群れへ突進しようとしたティアナは、吐き出された糸に、慌てて後ろへ跳ぶ。


「ティアナ!? いったい……」

「勇者様!」


 イリサが、後から駆けてくる。よほど急いだのか、イリサは息も絶え絶えだった。


「た……大変です……! 街の人が、クモさん達に、お持ち帰りされてしまって……!」

「な……っ!?」


 クモの群れは、もう通りにはいない。耕平は、慌てて後を追った。


 クモは、すでにほとんどが街の外まで出て行っていた。最後のクモが、街を取り囲む高い塀をカサカサと乗り越えて行く。後に続いて、ティアナが地面を蹴り高く飛び上がる。

 塀を乗り越えようとしたティアナを、白い糸が襲った。宙にいるティアナは避ける術もなく、糸を全身に受け、塀の向こうに落ちる。


「ティアナ!」


 地面を柱のようにせり上げて、耕平も塀を乗り越える。塀の高さを超えた途端、糸の攻撃があったが、ついさっき目の前で見たのだから想定内だ。シールドを展開して糸を防ぎ、ティアナを糸で包もうとしているクモを短剣で貫く。

 他のクモ達は荒野を超え、廃墟の街へと向かっている。黒い群れの背中に乗せられるようにして、白い繭のような丸い塊がいくつか運ばれていた。

 耕平は、再びティアナの糸を水で洗い流した。


「大丈夫か?」


 ティアナはすぐさま剣を拾い、立ち上がる。


「皆を助けなきゃ!」

「待て、一人で先走るな。ミイラ取りがミイラになったら元も子もないだろ。今から後を追っても、高い廃墟で見通しの悪い街の中で見失うのが落ちだ。最悪、囲まれて俺たちまでエサになるかもしれない」

「でも、それじゃあどうするの!?」

「私、あの魔物達が巣にしている場所を知っています」


 アテネだった。門の方から出て来たらしい。イリサも、一緒にいた。

 アテネはキリッとした表情で耕平達一人一人を見据え、そして頭を下げた。


「危険がないとは決してお約束できません。でも、どうかお願いします。皆さんの力を、私に貸してください……!」

「あんな事を言われたのに、それでも助けたいんだな?」

「街の人達が私の事をどう思っているかは、関係ありません。私は、この街で唯一のエルフです。自分達に理解し得ないものに恐怖心や嫌悪感を抱くのは、人として普通の感情ですから」

「……そっか」


 耕平はうつむきがちにつぶやく。


「コーヘイ……? まさか、見捨てるなんて言わないよね?」

「言わないよ。目の前で人が連れ去られたのにそれを放置するなんて、こっちも寝覚めが悪いからな。……でも、アテネ。一つだけ条件をつけてもいいか?」

「条件……? 私にできる事でしたら、何なりと」

「人間と、歩み寄って欲しいんだ」


 アテネは、明るい緑色の目を瞬かせる。そして、苦笑した。


「歩み寄るって……私は彼らを避けてなんかいませんよ? 現に、コーヘイさん達ともこうして……」

「俺達みたいな旅人じゃなくて、街の人達とだよ。確かにアテネは、人を嫌ってはいないんだと思う。でも……受け入れられる事を、あきらめてる」


 アテネは黙りこくる。


 嫌われているからと、街の端に住んで。

 身を隠すように、家の周りに木を植えて。

 古代文明の調査だけに打ち込んで、自ら関わりを絶つ。

 自分を受け入れない人々を恨みはしない。でも、受け入れてもらおうともしない。


 耕平はうつむいたまま、アテネの目を見ようとはしなかった。見られなかった。


「酷な事を言っているかもしれない。三百年の間に何があったのかもさっぱり知らないくせに、無神経かもしれない。でも、嫌なんだ。周りと違えば受け入れられなくて当たり前だなんて、そんな考え方……せめてこの世界は、希望に満ちていて欲しいから……」


 耕平は、ギュッと両の拳を握る。


 ――これは、俺のエゴだ。


「いいですよ」


 歌うようななめらかな声が答えた。

 耕平は顔を上げる。目の前のエルフは、微笑んでいた。


「有限の命の者達を、危険に巻き込もうとしているんです。その程度の事でしたら、喜んで受け入れましょう」

「……ごめん」

「どうして謝るんですか? コーヘイさんは、私のためを思っておっしゃっているのでしょう? 私も、こう見えて三百年生きているんです。もちろん、おっしゃる通り色々ありましたが、その分たくましくもなりましたよ。

 それに、歩み寄るよう言いながら『ごめん』なんて、まるで失敗が決まっているかのような言い方、なさらないでください」

「でも……」

「それじゃ、条件を飲む条件です」


 そう言って、アテネは口元に人差し指を当て、いたずらっぽく微笑んだ。


「もしも私が傷付くような事があったらその時は、コーヘイさんの胸で泣かせてください」

「んなぁっ!?」


 声を上げたのは、耕平ではなくティアナだった。真っ赤になって口をパクパクさせている。

 耕平は思わず笑みをこぼし、うなずいた。


「うん、分かった。ありがとう、アテネ」

「お礼を言うのはこちらの方ですよ」


 ドン、とイリサが耕平の胸に飛び込むかのごとく抱きついた。


「もしエルフさんが皆さんと上手くいかなかったら、私も、泣いてしまうかもしれません……」

「えっ、ええ!?」


 イリサはじっと耕平を見上げている。

 白い頬には、赤みが差していた。小柄なイリサだが、決して幼い訳ではない。年も、恐らく耕平やティアナと変わらないだろう。わずかに開いた小さな唇も、こうして見るとなかなか色っぽく感じられ――


「コ、コーヘイ!」


 ティアナが上ずった声で叫んだ。


「あ、ああ、あ、あのっ、わた、私も……っ」


 ドォンと低い震動が、ティアナの言葉を遮った。

 音は、廃墟の街の方からだった。見れば、空高くそびえる建物の一つがガラガラと崩れ落ちて行っていた。


「何が起こったんだ……!?」

「たまにあるんです。どの建物も、すごく古くて朽ちてしまっているから。あの魔物達も、丁寧に扱うなんて事するはずがありませんし」

「……急いだ方がよさそうだな」


 ティアナは、仲間たちを振り返る。

 イリサはもう耕平から離れていた。ティアナ、イリサ、アテネの三人は、真剣な表情で耕平を見つめ返す。

 耕平は戦いにあまり使っていない剣を抜くと、廃墟の街の中心、空高くそびえる細長い幾本ものシルエットへと突きつけた。


「行くぞ! 大グモからの奪還作戦、開始だ!」

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