第3話 覚醒

 陽は完全に落ちた。気温はグッと下がり、辺りは霧に包まれている。

 森の中一人取り残されたティアナは、身を震わせる。マントを羽織っているとは言え、その下が首元の広く開いたドレスローブだと肌寒い。


 腰に収めた剣に手を添え、漂う霧をじっと見据える。

 フッと霧が揺れ動いた。流れ込む禍々しいオーラは、間違いなくヤマガミのもの。

 踏み込むにはまだ遠い……十時の方角。


 ティアナは油断なく闇を睨み据える。カサカサと幽かな足音が聞こえて来る。ぬかるみを踏む音が、時折ぴちゃぴちゃと鳴る。


 ――ここだ!


 剣を抜き、地を蹴り、霧と闇を突き破る。

 黒い巨体が霧の中から姿を現し、一瞬の内に眼前まで迫る。黒光りする身体へと、ティアナは剣を突き刺す。


 手応えは、なかった。


「えっ……」


 対象が大きく身を振るい、ティアナは弾かれたように地面へと叩きつけられた。

 痛みを堪えながら、ティアナは身を起こす。


 ヤマガミは、巨大な蜘蛛のような姿をしていた。優に五メートルはありそうな黒い巨体に、八本の足。

 顔は無く、代わりにお面が被さったようになっていて、牙だけがその下からのぞいている。お面は、鼻が大きく赤ら顔の人間のようなものだった。

 つやつやと硬そうな背中には、ティアナの剣が突き刺さったままだ。


「我に刃を向けようとは、思い上がりも甚だしい人の子よ」


 低い、地を揺るがすような声。ヤマガミは、カチカチと牙を鳴らしながらティアナに迫る。


「神にたてつくつもりか。大人しく我の供物になっていれば良いものを」


 ティアナはふらりと立ち上がった。傍らの木に手をつきながらも、ヤマガミを睨み据える。


「神? 冗談言わないで……あんたなんて、魔王が生み出した、ただの化物じゃない。村をメチャクチャにしようとする奴なんて、人を殺す奴なんて、崇める気はないわ」


 再び、地面を強く蹴る。

 ティアナは宙高く跳ぶと、一回転してヤマガミの背中に降り立った。剣を引き抜き、また高く跳び上がる。

 落下速度を利用し、雄叫びを上げながら再び剣を突き刺す。剣は確かにその刀身を黒い巨体に半分ほど飲み込まれているのに、やはり手応えはない。


 剣を抜き、今度は一閃を浴びせながら地面に飛び降りる。

 一撃目も、二撃目も、そして三撃目も、確かに当たっているのに手応えはなく、ヤマガミは傷一つ付いていなかった。触れる事自体は出来るのだから、幻影などではない。


「愚かな娘よ。我に、剣は効かぬ。魔導士なら、それくらい知っておろうに」

「え……」


 剣撃が効かない。


 そしてそれは、村の者達は知っていた事。


 ヤマガミを倒すと言うティアナに、村の者達は何も言わなかった。ティアナが魔法を使えない事は、皆知っているのに。

 村の者たちは初めから、ティアナを、ヤマガミに始末させるつもりだったのだ。


 ティアナは剣を握る腕を下ろし、その場に崩れ落ちる。

 地面にへたり込んだティアナの前へと、ヤマガミは迫る。カチカチと牙を鳴らし、先の鋭く尖った前足を振り上げる。


 コツン、と手の平大の石がヤマガミのお面の横に当たった。

 コツン、ガツン。投石は続けてヤマガミを襲う。


「やーい! この、天狗野郎! 俺が、相手になってやる!」


 耕平だった。剣を両手で握りしめ、振り被りながら走り寄る。

 足は遅く、構え方もなっていない。ヤマガミは鬱陶しそうに一本の足を払う。耕平はあっさりと弾かれ、木々の間に吹っ飛んだ。


「いてて……」


 膝をつき身を起こす耕平に、ティアナの叫び声がかかった。


「コーヘイ! 危ない!」


 ティアナの前にいたヤマガミが、耕平へと迫っていた。

 振り下ろされる鋭い前足を、間一髪、転がって避ける。


「う、うわっ。ちょっ、待っ……」


 何とか起き上がり、もつれそうになる足を精一杯動かしてヤマガミから逃げる。ヤマガミはカチカチと牙を鳴らしながら、耕平を追って来た。


「今の内だ、ティアナ! 逃げろ!」


 そう叫ぶ事が出来ればせめてもの格好はついただろうが、そんな余裕はなかった。

 体育は大嫌いな授業の一つだ。剣を握った途端、不思議な事に瞬時に剣術の才能に目覚める……などと言う事はなかった。いつもと変わらぬドタドタ走りで、剣を振り下ろす事さえも出来ずに弾かれただけ。

 間違いなく、ティアナの方が剣技も身体能力全般も上だろう。彼女に逃げられたら、耕平一人では太刀打ち出来る気がしない。せめて耕平が囮になっている内に、ティアナが何か反撃の一手を考えてくれれば良いのだが……。


「ぐわあっ」


 背後から突き出された前足が、耕平の肩を切った。傷口は熱を持ち、じんわりと血が滲み出る。

 あまりの痛みに、耕平は肩を押さえ、うずくまる。

 走り回ってすでに息は上がっていた。これ以上逃げられそうにない。


 このままここで、死んでしまうのだろうか。退屈な日常から抜け出せた。そう思ったのもつかの間、こんな所で、こんな訳の分からない化物に食われて。

 どうせ異世界に迷い込むなら、それ相応の力もオプションで付いてくれれば良かったのに。


「力が欲しいか……」


 不意に、頭の中で声が響いた。声は繰り返し、同じ言葉を囁きかける。


「力が欲しいか……」

「……は?」


 あまりにもベタなその台詞。

 危機的一面にあって、耕平の口から出た答えは、何とも間の抜けたものであった。




 月明かりさえも消え、辺りが闇に包まれる。

 唐突な変化に、耕平はきょろきょろと辺りを見回す。木々は消え、霧も消え、ティアナの姿も見えない。すぐ後ろに迫っていたヤマガミさえも、その姿を消していた。


「こっちだ」


 声がして、正面へと顔を戻す。闇の中に、一人の男が立っていた。

 明かりが全くない真っ暗闇だと言うのに、不思議とその男の姿ははっきりと見る事が出来た。背丈は耕平と大して変わらないだろう。青と黒の着物を、何枚にも重ねたような姿。


「お前は、いったい……」

「俺はお前で、お前は俺だ」


 男は、意味深な事を言ってクツクツと笑う。姿は暗闇にも関わらずはっきり見えるのに、その顔は判然としない。


「もう一度問おう。力が欲しいか? ――と言っても、この場で与えるまでもなく、お前はすでに、あんなのろまな蜘蛛ごとき簡単に倒せるだけの力を持っているんだけどな」

「え……」


 そんなはずない。剣を握ってもどう動いて良いか分からなかったし、例え攻撃を当てたところで、ヤマガミに剣は効かないのだ。

 耕平に、対抗手段は無い。


「お前の得意なもの、好きなものは何だ?」


 男は問う。

 耕平の得意なもの。好きなもの。アニメや漫画、ゲーム、そして絵を描く事。しかし、そんなものが戦いに役立つとは到底思えない。


「この世界はもう、お前の知っているあの世界じゃない。お前も、魔法を見ただろう? 信じろ、そして思い描け。この世界は、お前のためのもの。絵と同じだ。お前が描けば、それはそこに生み出される」


 重ねた着物をはためかせ、男はふいと背を向ける。


「さあ、筆休めはここまでだ。転生したこの世界、存分に楽しむがいい……」


 次の瞬間、男は消え、辺りに色がついた。闇の中に生える木々、漂う白い霧。

 そして、背後に迫る、天狗の面をかぶった蜘蛛。


「う、うわっ」


 振り上げられた鋭い前足に、耕平は怯み後ずさる。


『思い描け』


 あの男の声が聞こえた気がした。


「シールド展開!」


 某AT何とかのごとく、耕平は叫ぶ。防御として咄嗟に明確な形を思いついたのが、それだったのだ。

 見えない壁に遮られ、黒く細い前足が止まる。


「ほ、本当に出来た……」


 いける。これなら、勝てる。


「小癪な……!」


 ヤマガミはカチカチと牙を鳴らし、そしてふいとシールドから前足を引き、背を向けた。八本の足をカサカサと動かし、去っていく。

 向かう先にいるのは、呆然として地面に座り込んだティアナ。


「させるかよ!」


 剣や弓と言った攻撃は効かない。ならば、武器でなければいい。

 ボッとヤマガミの背に火が灯った。まるで灯油でも被っていたかのように、火は瞬く間に黒い巨体を包み込む。


「ぎゃああああああ!!」


 炎の中の影が崩れる。

 闇の中に断末魔を響かせながら、ヤマガミは消えて行った。




 先程までとは一変、しんとした静寂が訪れる。耕平の創った炎のせいか、霧はずいぶんと薄れていた。

 沈黙を破ったのは、耕平の「あっ」と言う声だった。


「どうせならゲットすれば良かった……!」


 神を使役。それも、なかなか良さそうじゃないか。耕平の思い描いたものは、具現化される。それなら、某ポケットの中のモンスターのような事も出来るのではないだろうか?

 しかし、今更気付いても後の祭り。ヤマガミは浄化されてしまった。もう、あの村を脅かす事もないだろう。


「……倒しちゃったの? あれを? 本当に?」


 声がして、耕平はハッと我に返る。

 ティアナが、ハシバミ色の大きな瞳をパチクリさせて耕平を見上げていた。

 耕平は首を縦に振る。


「ああ。もう、大丈夫だよ」

「勇者様……」

「え?」


 ティアナは立ち上がり、耕平へと駆け寄った。手袋の上からとは言え手を両手で握られ、耕平はドギマギしてしまう。


「あなた、やっぱり勇者様だったのね!」

「え……いや、俺は……」

「詠唱も魔導書や陣も無しに魔法を発動させるなんて、そしてあのヤマガミを倒すなんて、勇者にしか出来ないわ! ヤマガミは、魔王に生み出された化物だもの。だから、討伐に来たのでしょう?」

「え、あ、ああ。うん、まあね」


 まさか「可愛いヒロインを救うヒーローになりたくて」なんて下心満載な本音を言うわけにもいかず、耕平は適当にうなずく。

 ティアナは、ぱあっと顔を輝かせた。


「やっぱり! 助けてくれて、ありがとう。あなたがいなかったら、私……」


 そして彼女は、驚くべき事を言い出した。


「ねえ、私もあなたと一緒に行ってもいい?」

「え!? でも、村は……」

「村になんて、戻れないわよ。皆、ヤマガミに剣は効かないって知っていて、私を送り出したのよ? ……それがどういう事なのかくらい、私にだって理解できる」

「ティアナ……」


 ティアナはその場に正座をしたかと思うと、三つ指をついて土下座した。


「この通りお願いします、勇者様! 何でもしますから、だから、どうか私をあなたの仲間にしてください!」

「わ、わかった! 分かったから、頭を上げて……!」


 耕平はあたふたと答える。

 ティアナは顔を上げ、肩をすくめてにっこりと笑った。耕平がこれまでの十六年間の人生で向けられた事のない、太陽のような笑顔だった。


「ありがとう! これからよろしくねっ、コーヘイ」


 特殊な力で活躍し、女の子に感謝され、更には助けた女の子との二人旅。教室の隅でノートやプリントの裏ばかり見つめていた今までの世界とは、大違いだ。

 勢いで勇者を名乗ってしまったが、この力があればどうとでもなるだろう。とりあえずは魔王の城を目標に適当に旅して、女の子にモテモテになってハーレムを形成するのも悪くない。


 動機が不純? 何とでも言え。もう、底辺ぼっちとはおさらばだ。

 ――俺は、この異世界で、この力で、成り上がる!

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