第2話 世界の真実
中央を分かつように枯れた木が植わった、広い道。
左右には、空高くそびえる廃墟が立ち並ぶ。左右の建物の間に渡る道をくぐり、地下へと続く階段の前でアテネは立ち止まった。建物も地面もかすかに色が残っていて、元々は明るい茶のレンガ色だったのだと分かる。
「ここです」
階段の向こうに広がる闇を見据え、アテネは言う。
「この下は、広大な地下通路が広がっています。あの魔物達は、そこを棲家にしているんです」
「うわあ……真っ暗」
「光なら、お任せください」
イリサが言って、いつもの呪文を唱える。向かい合わせにした両手の間に、青い光が玉のような形で現れた。
「それでは、イリサさんは、私のすぐ後に。イリサさんの治癒が必要な時は、私が代わります」
アテネは言って、先頭を切って階段を駆け下りる。イリサはそのすぐ後に続いた。
「コーヘイ? どうしたの?」
ティアナが問う。耕平は、道の反対側にある建物をじっと見つめていた。
「いや……やっぱり何だか、見覚えがある気がして」
白く風化し、所々が崩れた高い建物。
道の上に渡された通路と、更に高い位置を通る渡り廊下が頭上で交差している。建物と共通する細い柵のようなデザインからして、高い方の通路はあちら側の建物に付随するのだろう。
交差する通路の向こう側、通路の一方と同じ模様をしている建物は、この辺りでも一際高かった。二本の塔の間を塔より低い建物が繋ぐ様は、まるで「凹」の字のよう。
「コーヘイ、一度ここに来た事があるの? こんな大きな建物、あったとしたら相当大きなお城ぐらいだろうけど、とてもお城なんて見た目じゃないし……」
「いや、ここへ来るのは初めてのはずだよ」
「じゃあ、気のせいよ。ほら、早く行こっ」
「おわっ……」
ティアナに手を引かれ、耕平は階段を降りて行った。
階段は二方から向かい合うように同じ踊り場にたどり着き、踊り場からはレンガ色の建物の入口と更に下への狭い階段とに分かれていた。耕平達が向かうのは、階段の方だ。
階段は左半分が陥没したかのように潰れていた。
頭上には、白い看板のようなものがある。文字はほとんど剥がれ落ちてしまい、下の方の小さな四角二つと右端の「リ」のような形が辛うじて残っていた。
階段を降りた先は、細い通路だった。
青い光に二匹のクモが照らし出される。クモが反応を示す間もなく、光の矢と鋭い剣撃が二匹を仕留める。
非常に足場の悪い道だった。壁や天井は随所で崩れ、大理石のような石製の床も、魔物の重みのせいかヒビだらけだ。その上気を抜くと、目の前に巨大なクモの巣が張っていたりするのだから、タチが悪い。
通路を抜けると、フッと空気の流れが変わった。
イリサの青い光に照らされたそこは、だだっ広い空間だった。一定間隔に太く四角い柱が立ち、低い天井を支えている。
広間の中央には更に下へと続く、吹き抜けのようになった場所があった。吹き抜けの端には下から続く金属製の箱のようなものがあり、どこか近代的な印象を受ける。
広間からは、いくつかの道に分かれていた。
「どの道を行く?」
耕平はアテネに問う。アテネは、厳しい顔をしていた。巣の位置は知っていても、さすがに中まで入った事はないのだろう。
「……そっち」
ティアナが、一番手前にある左へと伸びる道を指差した。彼女は目を閉じていた。
「そっちの方に、たくさんいる……連れ去られた人達も同じ場所かどうか、分からないけど……」
目を開け、自信なさげにティアナは付け加える。
耕平はアテネを振り返る。アテネの表情に、もう迷いの色はなかった。
「では、そちらへ行きましょう。あの魔物はエサを溜め込むために、捉えた獲物を厳重に糸で包む習性があります。巣へ戻ってから、そんなに経っていません。あれだけの数の人をさらったなら、まだ糸で包む作業の最中のはず」
時折遭遇するクモを確実に仕留めながら、耕平達は奥へと進む。中央に丸いオブジェのある次の分かれ道では、右の道を選んだ。
階段を上った所では、崩れた瓦礫の間から一瞬外が見えた。どれほど地下を進んだのかと考える間もなく、すぐにまたトンネルのような通路に入る。
ここまで来ると、大グモもその数を増していた。
邪魔になる粘着性のある巣は、耕平が水で洗い流す。イリサの光を頼りに、アテネの矢、ティアナの剣、そして耕平の短剣がクモ達を襲う。
ふっと辺りが明るくなった。トンネルを抜けたのだ。
とは言えそこも外とは言いがたく、大きな建物の下のようだった。中央に丸い吹き抜けがあって、円を描くように外と同じような広い道が上へと続いている。
耕平達が向かうのは、建物の下の方だった。ここへ来て、白い糸の塊を持ったクモをようやく見つけたのだ。
そのクモは、楕円形の柱の間を抜け、奥へと逃げて行く。
「コーヘイ! あれ!」
「ああ、追うぞ!」
襲い来るクモ達を斬り捨てながら、奥へと進む。短い階段を下り、瓦礫の山を越えてすぐ右手の広い階段を降りて行く。
そこには、異様な光景が広がっていた。
階段の下は、前方へと続く長いトンネルのような空間になっていた。中央の部分だけが人一人分ほど高くせり上がっていて、階段は高くなった部分に降りるようになっている。
そしてそこには、繭のように固められた白い塊がぎっしりと敷き詰められていた。
「ひどい……こんなに……」
突如、上から黒い巨体が降って来た。
「うわっ!?」
突然の襲撃に反応できず、耕平は押し潰されるようにしてその場に倒れる。
顔を守るように掲げた腕に、ベッタリした糸が掛かる。クモは、すぐに動かなくなった。
「コーヘイ、大丈夫!?」
黒い巨体が眼前を覆っていて何も見えないが、ティアナが剣で倒したようだ。返事をする間もなく、アテネの厳しい声が響いた。
「次が来ます!」
目の前の大グモがずずっと動く。ティアナがクモの下から耕平を助けようとしていた。アテネが、イリサを小脇に抱えて跳ぶのが見える。
「おい、バカ! お前も逃げないと――」
声は最後まで続かなかった。四方八方からの糸を食らったティアナが、耕平の顔の上に倒れ込んだのだ。
「きゃあっ」
「うわっぷ」
耕平の眼前が再び覆われる。今度はやや弾力のある、柔らかな感触だった。
「やっ、どうしよう……!」
ティアナは糸から抜け出そうともがくが、もがけばもがくほど糸は絡まり耕平とティアナの自由を奪って行く。
「ティ、ティ……ア……とりあえず、どい……」
「ひぁっ!? だ、ダメ、コーヘイ、そこで喋らないで! い、息もなるべくなら、止めてくれると嬉しいなって……」
――ムチャ言うな!
しかし、ティアナの胸に口をふさがれれば叫ぼうにも叫べない。
「わ、私だって、退こうとしてるのよ? で、でも、どんどん重くなって……っ」
クモ達が糸をかけ続けているのだろう。しかしそのわりには、耕平への負荷は大して変わっていない。上側になっているティアナが、背中で支えてくれているらしい。
動けば動くほど、糸は絡まる。洗い流しても、周囲を大グモに囲まれた中にこの態勢で現れれば、またすぐ糸を掛けられるのが落ちだ。
しかし、このまま耕平とティアナが捕まっている訳にもいかない。アテネとイリサだけでこのクモ達を倒すのは厳しい。このままでは、全滅だ。
(全滅……そうか……!)
耕平は、逃げようともがくティアナを遠慮がちに抱き寄せる。そして、もう一方の手でティアナの口を覆った。
(ごめんなさいごめんなさい……!)
しかし、口で伝える事ができないなら、行動で示す他にない。
ティアナが、これで理解してくれれば……。
「ひゃっ、な、何!? 私も息止めろって事? そりゃ、悪いとは思うけど……!」
耕平は、両手にぎゅっと力を込める。念を押すような仕草にティアナも察し、黙り込んだ。
(よし……! 思い出すんだ、ここがどんな様子だったか……見えない周囲が、どんな所か……!)
暗い地下通路。中央だけ高くせり上がった地面。そこに並ぶ、糸に包まれた街の人々。地面の低い部分や壁、天井に群がっていた大グモ。地面の低い部分は、前後共に長く続いているようだった。
耕平は、すぐに襲われ見えなくなったその光景を、思い描く。
たぷん、と液体の音がする。耕平達を包む糸にも、じんわりと外から染み込んで来る。
水よりもどろりとしたその液体は、ゆっくりと糸を溶かしていった。
クモの糸から解放され、ティアナは呆然と辺りを見回す。
一度耕平達の全身を飲み込んだ液体は、くるぶしの辺りまで引いていた。クモが特に大量にいた両端の溝については、とっぷりと浸かってしまっている。
クモ達は頭まで液体に浸かっていようといなくとも、身動きしないかあるいはピクピクと震えていた。
「何……何が起こったの?」
「あの……ティアナ、そろそろ……」
「えっ、あっ、ごめん!」
ティアナは慌てて立ち上がる。離れてしまった感触に少しもの惜しく思いながら、耕平も立ち上がった。
イメージした通り、液体でダンジョン内を満たす事が出来たようだ。糸に包まれていた人々は解き放たれ、きょろきょろと辺りを見回している。
クモはどれも、もう襲って来ることはできそうになかった。
アテネとイリサが、ぱしゃぱしゃと水飛沫を上げながら駆けてくる。魔法で防いだのか、二人とも濡れていなかった。
「勇者様!」
せっかくきれいなままなのに、構う事なくイリサは耕平に抱きつく。
「良かった……良かったです、勇者様……!」
「あの魔物達が一瞬で瀕死状態になってしまうなんて……さすがです、コーヘイさん」
「水じゃないわよね、これ。なあに? 何だか、ヌルヌルする……」
足元の液体を手ですくいながら、ティアナが問う。
耕平は口の端を上げて笑った。
「家庭の友、害虫駆除の神器……中性洗剤さ」
「チューセーセンザイ……?」
聞きなれない言葉に、ティアナもイリサも首をひねっていた。
囚われていた街の人々は、おどおどと辺りを見回していた。暗闇とクモの死骸に怯える者も少なくない。
「いやあっ! 助けて……ママ……!」
パニックを起こし叫ぶ子供に、耕平は歩み寄る。
「もう大丈夫だよ。君達は、助かったんだ」
「おにーさん、だれ……?」
キョトンとする子供に、耕平は微笑みかけた。
「アテネの友達だよ。おれたちを連れて、彼女は君達を助けに来たんだ」
「アテネ……エルフさんの……?」
女の子は、目を丸くして、アテネを見上げる。他の人々も、耕平の話を聞いてさざめき合っていた。
「アテネが俺達を助けただって?」
「本当に? 人間なんて他人事の、あのエルフが?」
「私、彼女の姿を見たの初めてだわ。おばあさんから聞いた話ばかりで……」
「あのエルフのねーちゃん、アテネって言うの?」
困惑の言葉が飛び交う中、助けられた住民の一人が言った。
「あのエルフが、街に穢れを持ち込んだんだろう。俺達まで巻き込みやがって」
「な……っ」
耕平とティアナの声が重なる。
しかし、二人が言葉を発するよりも早く、幼い声が彼を咎めた。
「助けてもらったら、お礼言わなきゃいけないんだよ」
先ほどの、小さな子供だった。その子は立ち上がり、アテネに向かってぺこりとおじぎした。
「助けてくれてありがとう、エルフのお姉ちゃん」
顔を上げ、にっこりと笑う。その子に続くようにして、他の者達もアテネにお礼を言い始めた。
「俺も、ありがとう。もうダメかと思ってたよ」
「私、エルフって誤解してたかも。優しくて勇気のある種族だったのね」
「俺も。もっと気難しくておっかない魔女みたいなものが住んでるのかと思ってた」
「ありがとう、アテネ」
「アテネさん、ありがとうございます」
街の人々はアテネを取り囲み、口々に礼を述べる。
耕平は大きくため息を吐き、ヘロヘロとしゃがみ込んだ。
「コーヘイ?」
「良かった……あんな無責任な事言っちゃって、アテネを傷付ける事になったら本当にどうしようかと……」
中には助けられてもなおアテネや廃墟の街へのイメージをぬぐい切れない者もいるようだが、それは決して多数派ではなかった。
誤解を続けている者達も、アテネが人々と関わるようになれば、アテネの人となりも分かるだろう。和解まで、きっとそう長くはかからない。
耕平に合わせるように、ティアナが正面にしゃがみ込んだ。
「……ありがとね、コーヘイ」
耕平は首をかしげる。
「なんでティアナが礼を言うんだ?」
「だって、あんな風に言ったの、アテネさんのためだけじゃないでしょ? 私やイリサのためでもあったんじゃないの?」
「え……」
周りと異なる存在だから、居場所を失った。思えばそれは、ティアナやイリサにも当てはまる事だった。
イリサも、ティアナの隣にしゃがみ込む。
「ありがとうございます、勇者様」
「そんな……俺はそんな、たいそうな人間じゃないよ。アテネの事だって、自分のためだったんだ」
アテネと街の人々は、アテネの遺跡研究について話していた。
廃墟の街は決して穢れなんかではなく、ただの古代文明の遺跡なのだとアテネは熱く語っている。研究について話すアテネは、生き生きと輝いて見えた。
「かつての文明には、文字もあったんですよ。看板の文字はほとんど剥がれて読めなくなってしまっているのですが……。あ、そうだ。同じ文字が書かれた紙を、この街で拾ったんです。恐らく、私と同じように研究に来た人が落として行った物だと思いますが……でも、一部が人間ともエルフとも違った技術で書かれていて……」
そう言ってアテネが取り出したのは、くしゃくしゃに丸められた紙だった。
広げると、紙は二枚に重なっていた。四角い枠と、その上にある二行の文字が見える。
「え……?」
耕平は目を見開き、立ち上がる。
「コーヘイ?」
耕平は、アテネを取り囲む人々の輪に割って入った。
アテネが気付き、振り返る。
「ご紹介が遅れましたね。この方々は――」
「アテネ、その紙を見せてくれ!」
「は、はい」
耕平に気圧されるように、アテネは紙を差し出す。
この世界ではなかなか見かけない、真っ白できっちりA4くらいのサイズに切り分けられた紙。二枚は同じ内容だった。広げられた中央にあるのは、真っ白な四角い枠。
そして、その上にある『文化祭看板デザイン案』と『柴田耕平』の文字。
「なんで……これが、ここにあるんだ……!?」
チクチクと、脳の奥を何かが刺激する。
一定に連なる窓枠。
屋根の向こうに見えた背の高いシルエット。
狭い階段と天井の低い通路。吹き抜けを貫くように設置された金属製の箱。
トンネルのように細長く、中央だけが高い台になったこの空間。
看板に残っていた小さい四角と、「リ」のような形――あれが、文字の一部だとしたら。
「まさか……!」
「コーヘイさん? どうなさったんですか?」
アテネの問いかけにも答えず、耕平は人垣を掻き分けて駆け出した。
「あ、戻って来た。いったい……」
声をかけようとしたティアナとイリサの横を走り抜け、階段を上って行く。二人の呼び止める声が聞こえたが、構いはしなかった。
あのプリントは、耕平が学校で貰ったものに間違いなかった。文化祭の看板のデザインを任され、提出用紙として渡されたもの。
階段を上ると、すぐに左へ。元来た道へ。
改札はない。
エスカレーターも、日本語で書かれた看板も、ここがどこだかすぐに判るようなものは、片っ端から粉々になるか剥がれ落ちるかしていた。
大グモは皆、息絶えていた。
すぐにまた短い階段があって、狭い通路を抜けると、外へと繋がる広場に出る。
地上と吹き抜けになった道路。円を描くようにして地上へ出る広い道。いたる所にある地上への階段。
手近にある階段の一つを、駆け上がる。
息が上がる。足が重い。
空はもう、白々と明け始めていた。
目の前に広がるのは、廃墟の街。窓も液晶も割れ、壁や地面もあちこちでヒビ割れ崩れている。
ぐるりと回るような広いロータリー。その向こうに見えるのは、大きなビル群。特に目立つのは、手前の建物よりも一際高く、細長い卵のような特徴的な形のビル。
「ウソ……だろ……?」
廃墟となったのは、古代文明などではない。
耕平の生まれ育った世界だった。
そして、アテネの持っていたプリント。シャーペンで書いた文字が、何十年何百年と残っているはずがない。
『転生したこの世界、存分に楽しむがいい』
男の声が、脳裏をよぎる。
耕平はトリップした訳でも、タイムスリップした訳でも、ましてや転生した訳でもなかった。
「転生したのは……世界の方だったんだ……」
誰に迷惑がかかる訳でもない。この新しい世界でなら、何でもできる。
――そう、思っていた。
耕平が希望を抱いたこの世界は、多大な犠牲の上に作られたものだった。
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