第45話 応急処置

 俺が校舎に着くと人だかりができていた。

 学生たちは俺に気づくと道を空ける。

 まるでモーセのごとく人ゴミが割れて行った。


「あ、すいません」


 俺は反射的に頭を下げる。

 こういうときに無意味に畏まるクセは前世のものだ。

 この年になっても、どうしてもこういう日本人的な感覚が抜けきらない。

 みんなが道を空けたのは俺が王だからだというのに。

 俺はヘコヘコと頭を下げながら移動する。

 こういう態度は悪いことばかりではない。

 頭の悪い学生たちには王としてふさわしくないと陰口を叩かれているが、それ以外の大多数には理知的で謙虚と高評価だ。

 さらに第一軍から第三軍までを手中に収めた武闘派という評判からのギャップで庶民出身者にも完全に顔を憶えられているのだ。

 だからこういうときは話が早い。

 俺は急いで事故現場に急いだのだ。

 現場はカフェテリアだった。

 俺が向かっていた食堂である。

 天窓があった場所に穴が空いていて、その下に男子学生が倒れていた。

 俺は近くにいた学生に聞く。


「医者は呼んだ?」


「あ、陛下! ええ、数人が看護室に向かっています」


「そうか。診ますよ」


 俺は倒れている学生の横にしゃがみ込んだ。

 俺は学生の顔に手を近づける。

 息はしている。

 胸も上下していた。

 頭からは血が出ていない。

 その代わり手や足は酷いものだった。


「聞こえますか?」


 今度は声をかけた。

 応答がない。

 顔を軽く叩く。

 目を開けた。

 だが目がとろんとしていて意識が混濁している。

 これはまずい。

 俺は指示を出す。


「悪い。大きな布を持ってきてくれ!」


 いきなり俺の口調が荒くなった。

 焦ったせいで被った猫がお出かけしてしまったのだ。


「テーブルクロスでいいですか?」


「ああ。二つ頼む!」


 学生がテーブルクロスを持ってくると俺はそれを丸めて頭の横に置く。

 そして頭の両側に丸めたテーブルクロスを置いた。

 頭の両側を挟んで動かないようにしたのだ。

 首や背骨の骨折だったら洒落にならない。

 この世界の技術水準で命が助かるかはわからないがやらないよりはマシだ。

 次に俺はベルトを外して男子学生の頭とテーブルクロスを縛った。

 テーブルクロスの枕に頭を固定したのだ。

 これで動かないだろう。


「どいてくれ!」


 何者かの声が聞こえた。

 医者だろう。

 俺はやってくる何者かに怒鳴る。


「意識混濁。問いかけに答えない。両足と腕に切り傷。血は多いが噴き出してない。急所は外れている。背骨と首はわからない。両腕両足骨折。板で運ぶぞ!」


「は、はい!」


 やってきた医師は若かった。

 俺の顔を見て驚いた顔をしたがそこはプロだ。

 すぐに気を取り直して俺の横へ来た。


「運ぶか?」


「は、はい! 運びます!」


「聞いたな? シーツと担架を持ってこい! あと運んでくれる連中をかき集めてこい! 王命と思え!」


 俺は最初に部屋にいた学生に指示を出した。

 慌てていたので少し偉そうだったかもしれない。

 なぜ俺が焦っていいたのか?

 それは5年前のあの事件。

 俺への暗殺事件のことを思い出していたからだ。

 今から思えばもっと上手に立ち回ることもできたはずだ。

 俺はそれをずっと気にしていたのだ。

 俺が焦っていた以上に学生も焦っていたらしい。

 命令口調に反感をおぼえることもなく学生は素直に俺に従った。

 しばらくすると男子学生たちがやって来て全員で担架に乗せて運ぶ。


「陛下はここでお待ちください」


「却下。使える人材は王でも使え! わかったな!」


 俺は率先して担架を運んでいく。

 どけどけどけどけー!!!

 体力の余りまくった十代男子である俺たちは怒濤の勢いで医師の診察室へ学生を運んだのだ。

 今度はパシれメロスではなかった。本当に走った。



 俺たちは息を切らせていた。

 久しぶりに本気で走った。

 いつもの鎖かたびらを着ての行進は役に立ったようだ。

 騎士学科の俺がこの状態なのだから他の学生はもっと酷かった。

 廊下に寝転がっている。

 体が細いので政治か法律学科の学生だろう。

 ここは褒めてやらねばならないだろう。


「みんなよくやった! 諸君らと力を合わせて事を成し遂げたことを嬉しく思う! 今は彼の回復を願って静かに立ち去ろうではないか」


 学生たちは顔を見合わせた。

 そして全員が胸を手を置き頭を下げ帰って行った。

 あー……失敗したかも……一人ずつ名前を聞いてから個別に褒めればよかったかも……


「ふふふ。陛下は実に面白い」


 俺が軽く反省していると後ろから声がかかった。

 振り向くと身なりの良い男子学生がいた。

 俺と目が合うと胸に手を置き会釈した。


「き、貴公は?」


 舌を噛みそうになりながらなんとか言えた。

 王様語はどうしても自然に喋るのが難しい。


「エドワード・リンチ男爵です」


 栗毛のさわやかそうな少年だ。

 俺はフルに頭を働かせた。

 誰だっけ?

 こんなさわやか少年の知り合いいたっけ?

 ええっと……ええっと……


「申し訳ありません。家督を継いだばかりで夜会などにはまだ出席しておりません。はじめまして陛下」


 お、おう。

 危なかった。

 思い出せないはずだ。

 この世界では貴族データベースなんて気の利いた物はない。

 だいたい貴族なんて自称まで含めれば数千家はあるだろう。

 いちいち憶えてなんかいられない。

 さて相手は貴族だ。ちゃんと臣下へは個別に礼を言わねば。


「こ、今回はお手を患わせました。ありがとうございます」


 俺はあくまで丁寧に礼を言った。

 偉そうにふんぞり返るのは苦手なのだ。


「いえ臣下として当然のことをしたまでです。それと……フィーナ嬢が廊下の先でお待ちです」


「なななななな! なんでフィーナが!」


 実はフィーナも同じ学校に通っている。

 五年前の事件ではほとんど役に立たなかったことを気にしているのか今では俺の秘書のようなことをしているのだ。

 学校でも法学科に所属している。

 俺とは行政学や政治学、統治論の講義が一緒だ。

 聞いた話では相当優秀なようだ。


「あれだけの騒ぎですから。心配しておいでですよ。けなげではありませんか」


「けなげ……」


 それにはいろいろ思うところがある。


「なにか?」


「ううん。ナンデモナイヨ」


 余計な事は言うべきではない。


「では失礼します。フィーナと話さないと」


 怒ると怖いんだ。

 と心の中だけで言うと俺はフィーナの方へ走った。

 廊下の端に行くとフィーナがいた。

 もう五年同じ部屋に住んでいる俺の共犯者で大事な子分一号だ。世間では幼なじみというジャンルに入るだろう。

 五年という年月はちびっ子が少女になるには充分だった。

 泣き虫メイドだったフィーナも今ではすっかり美少女になっていた。

 学校でも理知的で静かな美少女と評判だ。


「陛下。人助けもいいですがあなたはご自分の立場というものを……」


「レオン」


 俺は自分の名前を強調した。

 「名前で呼ばないと相手してやらないよ」という宣言だ。


「ちょっと人前で……もう! レオン、あなたは王なのですからそういうことは人に任せるべきです」


「応急処置の知識があるのはその場で俺しかいなかった。応急処置の訓練を受けた騎士学科の学生は全員中庭だったから仕方がないだろ?」


「もう! そうやってお節介ばかり焼いて!」


 フィーナは顔を膨らませた。

 クールビューティ(笑)

 実はそれがフィーナだ。

 人前と俺の前だと態度が違うのだ。


「まあねそれが俺だ。こいつは曲げるつもりはない。さあてメシでも食うか。フィーナも一緒に食べる?」


「食堂は封鎖です」


「おー……」


 それは困る。

 お腹すいた。


「騎士学科の皆さんも食事を取ることができずお怒りです」


「忘れてた……」


 ガッデム!

 食事を抜きになった体育会系の凶暴性は洒落にならない!

 俺ちゃんいきなりピンチじゃねえか!


「フィーナえもーん! ぼくもう困ちゃって困ちゃって……うわあああああん!」


 でも俺はそれでもめげない。

 俺はの○太くんの真似をしながらフィーナの弱点である薄い胸目がけて飛び込む。

 フィーナは俺をさっとかわす。

 セクハラ失敗。


「えもーんってなんですか! わかりました! 私も講義が中止になったので、女子寮の子たちと調理室でなにか作ってあげますから! レオンは騎士学科の皆さんを連れて来てください!」


「フィーナちゃん大好き! 愛してる!」


 ひゃっほー!

 俺は小躍りした。

 これで使えないやつとは思われないですんだ。

 だが俺は気づいていなかった。

 調子に乗って言った『愛してる』発言の効果を。

 フィーナは顔を真っ赤にしてぷるぷる震えていた。

 あれ……?

 セクハラより反応が激しくないですか……


「あのフィーナさん?」


 反応が新鮮すぎてどうすればいいかわからないのですが。


「あの……」


「いいからお友達を連れて来てください!!!」


 そう言うとフィーナはどこかへ行ってしまった。

 なに……この反応……ねえ……

 俺は困惑するのだった。

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