最終章三幕「虧月狂想曲・㉓(完)」
2人の戦いが終わっても。移民船団の戦いは続いていた。
「『ザナバザル』、強襲シークエンス始動。月都市全住民を回収後、軌道上へ待避する」
月面へ降下中のステルス強襲艦、『ザナバザル』は、現在は全長数km程度のステルス能力を持つ強襲艦である。彼等の母船、『ヴァンガード』と比べれば赤子同然とはいえ、決して小さな船ではない。しかし。それを以てしても、月の住民を全て救うなど叶うのか。しかも、
「いくら全員を蘇生している余裕はないからって……地下ドーム上部の天蓋を吹き飛ばして、そのまま持ち上げる……?」
「うちの上層部は、こんな事態まで見越していたのか?」
「それが、基本計画は母艦のメインフレームの発案らしく……」
作業のリミットは、殻の亀裂が閉じるまで。予想としては、およそ数時間。いくら重力の小さい月面とはいえ、余裕のある数字でもない。もしも間に合わず天蓋が閉じた場合は、次善策へ移行。救出を放棄し施設へ突入。元凶を制圧するか、貴重な『ミラー』のスペアで殻をこじ開けることになる。
「もともとクレーターの上にカプセルを作り、遮蔽のためレゴリスを被せる構造です。屋根を除ければできないことは……」
「船の推力はどうする?足りるか?」
「母艦から、PDD-001用のビームシステムで送るそうです」
帳尻は、ギリギリ合うようにできている。ただ、余裕がない。
「それと、軌道上に漂流者を確認。先遣隊の二名のようです。救難信号を確認しました」
「……この忙しいときに。ポッドに回収させろ」
黒い殻から溢れ、月を覆う青い海。生き物のように蠢くそれは、ムーンチャイルドと呼ばれた『女王』の
そして、その漏れ出る狭間へと、『ザナバザル』は降下していく。
Tプラス30
しかし、膨大な熱量衝突によって、月の表面はいまだブッシャリオンの嵐、青と黒の混じり合う、輝く渦によって覆われている。
「作業開始!!」
AMSに身を包んだ工作班が、巨大な都市の上へ散っていく。
「……いいのかな、オレも手伝わなくて」
その様子を船から眺めながら、アマタが呟く。
「邪魔になるだけだ。それより、救助されたばっかりなんだから、黙って寝てろ」
ドウミョウジはそう返す。
遥か眼下では、月に立ち並ぶ巨大な石仏が嵐に耐えている。或いは心を打つ光景なのかもしれないが、会話を交わす雰囲気としてはあまりよくない。
「……なんで、手、離さなかったんだ?」
アマタは呟くように言った。
「……離したさ。でも、助かった。こういうこともある」
コイツも、素直に助かったことを喜べばいいのに、とドウミョウジは思う。損な性分なのか、適性の問題なのか。
ムーンチャイルドの声は、多分彼女には聞こえていない。だから、あの顛末については、恥ずかしくて話せていなかった。
「……そうか。てっきり、できなかったんだと思ったよ」
アマタは、そう言って笑ったが。その顔は、少しだけ残念そうに見えた。
「……護衛の任務は、まだ終わってないだろう。だからその、船に帰るまで、よろしく頼む」
だから、ドウミョウジはそう言って誤魔化した。それが、確かに。あの時の、彼の願い事でもあったのだから。
「ああ、任せとけ」
そう答える彼女は、今度は確かに笑顔だった。だから、今は。これでいいのだろう、と、ドウミョウジは思った。
長年にわたる縦方向の増築の上、自己組織化材料の塊である月面基地は、月日を経て大地との境界を失い、根を張っている状態にある。それを掘り起こすのは、本来並大抵のことではない。
『ミラー』照射の影響で剥げかけていた屋根を吹き飛ばし。ドームの「根」を掘り起こし、溶断し。そして、『ザナバザル』の艦底に接合する。それらの作業が早回しのように行われ、ものの数時間のうちに完了する。
そうして。最後に、艦側の凹面構造が伝送されたエネルギーによって微かに発光する。翼に風を受け、巨体が推力を吐き出しながら、緩やかに上昇……しなかった。
巨艦はそのまま膠着し、エネルギー進捗バーが7割の地点で停止する。
「都市下部の接地抵抗が想定より大きいです!離床推力が足りません!」
「月面近傍でのレーザーの減衰率が計算以上です。嵐の影響と思われます。受信出力が足りません」
「これだからAIの考えた作戦は嫌なんだ……!」
繁忙を極める『ザナバザル』の指令所で、機関士が毒づく。
「もともとは、太陽系出発時に計画総代が使った作戦らしいですよ?」
陸戦ユニット指揮官が答える。
「マジかよ二倍嫌だ……!」
割れた黒い天井が、再び空を覆うように伸びはじめる。
「……時間切れ、か」
それに合わせるように、月に纏わりつく青い海が『氾濫』した。
桃色のブッシャリオンは、過去の行いを対価とし徳を積むもの、黒色のブッシャリオンは、今の己を燃やし糧とするもの。
ならば、青いブッシャリオンの輝きは。
果たして何を代価とするものなのか。
赤い輝きは遠ざかるもの。
青い輝きは近づくもの。
過去は去り、未来は
故にそれは、未来への祈りだ。
『ムーンチャイルド』は、この星の祈りを束ねるもの。
この星に降り立った者達は、誰もが未来を祈った。メガ宗派でさえも、形は歪なれど未来を望んだ。
故にこそ。その祈りを汲み、振るう力は、未来を手繰る力でなければならい。
だからこそ、彼女は身を削り、祈るのだ。人の道行きに祝福あれと。
「斥力増大!」
青い海が、大地を削る。其処から生えた腕のような構造体が、都市の離床を助ける。
「……あの『海』が、押し上げているのか?」
「……『奇跡』か」
その光景を目にして。ドウミョウジは呟く。恐らくは、彼等を軌道上へ押し上げたのと同じもの。
人の祈りを触媒にして、『ムーンチャイルド』が力を使う。形而の力を引き摺り降ろし、世界を変える。
だがそれは、本来の意味における、神の御業ではない。この『奇跡』には代価が必要だ。
万物は流転し、無限のものも、永劫なるものも、この世にはない。それは、祈りでさえも例外ではないのだから。
徳の宙、行き止まりの地獄への『門』は閉じた。今ここにあるのは。未来を信じて消え去る、ただ一つの過去である。
羽化した女王は、再び殻の中へと退行する。
神に等しきものにも、願い事はある。
神になり損ねたものは、人に祈りをささげる。あるべきものを、あるべきところへ。
この星は、意志によって切り開かれた場所だ
だから、それがなくなったのならもう。人がここに居るのは不自然なのだ。
この星より、最後の人が地を離れ。月はもとの世界に戻っていく。
ただの、荒涼とした大地へと。
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「……そんな、馬鹿な」
ヤーマは激高する。
神は、地へと降り立った。なのに、それなのに。
「人類を助けて、自滅する?」
それは今、まさに。自ら崩壊の道を選ぼうとしている。
「人に作られたことが、そんなに大事なのか!?」
人の一員でもないのに。
「……どうして」
ぽつりと漏れるのは、彼の限界。
神でなくとも、仏でなくとも、人でなくとも。何者でなくとも。
ただ、人を救いたいから救うのだと。
それだけのシンプルなことを、彼は理解し損ねた。
ただ、『生きたい』と。その願いを以って個となった命には。彼女を理解することは叶わなかった。
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燃え尽きる、あるじの力。
大雁08は、穴だらけになったブッシャリオン観測網を駆使しながら、その瞬間を一刻たりとも逃さず見続けた。
彼の……『大同盟』の使う黒いブッシャリオンは、人を憎み、己を燃やす。究極的には、人類否定に根差す力だ。彼の夢想した地獄と、行先は同じ。虚無だ。
だが、彼の崇めた主は、人の残り香であった。そこに最初からの矛盾があった。
大雁08は、人類を嫌っていたわけではなかった。ただ、飽いていただけなのだ。
そもそも、彼が真に悟りを得たならば。斯様な執着とは無縁である。
故に、その力は、黒いブッシャリオンとは似て非なるものであった。
故にこそ、盾は護りを完遂した。あるじと人間を護り通した。
だが、月を支配したシステムであっても、その代償は軽くはない。各所に設置された演算ユニットは限界を迎え、復旧可能レベルを割り込んでいる。月の施設群も既に崩壊をはじめている。
他の大雁もまた、最後には折れるように彼に力を貸していた。
この地を焼き滅ぼす光は消え、あるじは潰えた。殻は役目を終え、『大同盟』としての義理も果たし終えた。
再び静寂へと至る世界には、もはや彼が在る必要もない。
『……お暇します、わがあるじ』
故に、彼は内に抱えた徳エネルギーを以って、この世界より去る。
浄土にもはや境界はなく。
天国は、再びひとつのものとなったのだから。
無慈悲な夜の女王は。今、久方ぶりの静寂を取り戻し。彼方の人類を見つめ続ける。
虧月狂想曲▲完▲
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遥か、徳の宙の上。
廃墟と化した天文台に、青年は佇んでいる。
その片隅に、ノイズに塗れた黒い人影が現れる。
青年は一瞬、吃驚した顔をしたが、すぐにその人影に向けて微笑みかけた。
「何時ぶりだろうか」
『長い務めを終えました故』
ノイズの塊は、少しの雑音とともに言葉を返す。
「少しは、話ができるようになって嬉しいよ」
『其方も、お変わりなく。家の趣味は少々変わったようですが』
「このところ、此処も騒がしくてね」
『そうですか。それは、実に良いことですね』
答えに満足したように、ノイズの塊……大雁08の情報構造体は次第に解け、細切れになっていく。
「おやすみ、大雁08。どうかよい夢を」
ノイズの塊は、
『其方も、どうか良き縁を』
吊るされた男。いや、
『ドウミョウジ・タイト博士』
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ブッシャリオンTips 「ミザル」級
多目的ステルス強襲艦「ザナバザル」同型艦は複数存在し、同艦は四番艦にあたる。初期の命名権は総代、如月千里が持っていたが、一~三番艦「ミザル」「キカザル」「イワザル」の三隻を名付けた時点でセンスのなさから命名権を剥奪された。
その後、後任者の副長が頭を悩ませた結果、四番艦は「ザナバザル」に決まり、以後は獣脚類縛りになった経緯がある。
なお、同型艦のうち一~三番艦は系外版図に駐留。それとは別に五、六番艦が木星圏に存在するようである
▲黄昏のブッシャリオン▲
最終章最終節「因果大戦(Fatal War)」
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