最終章三幕「虧月狂想曲・⑨」

 『大雁オオガリ08』。『月天』の従える、鵞鳥の一羽。

 その内に宿る葛藤は、決して嘘ではない。

 しかし、『それIt』は機械だ。生死と世界を預かるシステムにとって、幾つもの本来矛盾するタスクを処理することは、基本的機能の範疇だ。

 だからそ、其処には人にない悪辣さが宿る。ただ、最適な解法として。真摯であるべき葛藤を、躊躇うことなく別のタスクをこなすための餌にできる。

 そう、「手足」に対して裁量を越える問題を与えれば、必ず「頭」へ相談を行う。彼がまた、解決不能な課題を人間に相談する、という古の手引に頼ったように。

 異星からの使者に、母艦と通信を試みさせる。そして、その信号を「中継」する。中継したデータリンク信号をリレーする際に、コードを巧妙に紛れ込ませる。

 つまるところ、救難信号を踏み台にして、母艦への侵入を試みる。『大同盟かれら』の種子を、辿り着かせるために。

 その試みは、「手足を見捨てる」という野蛮な方法によって妨げられた。しかし、

『まだ、手は残されている』

 彼は、この既に死んだ都市を見守ることに「飽いて」いた。

 だからこそ、新たに果たすべき責任と、そのための「力」を与えたモノ相手に、果たすべき義理があった。

 そう、「力」。疑似徳エネルギー。或いは、疑似ブッシャリオンというをするもの。この都市に蓄積された研究データによって、それを補強し、拡張し。人の如き個を持たぬまま、彼はそれを掌中にした。

故に、それは既に、『大同盟』の力とも異なるもの。

『お許しください、我があるじ。御前のお体を墨に染めることを』

 今、その力を振るわねば。異星よりの客人は、この星を焼き尽くしてしまいかねないのだから。彼女等は、それだけの力を持っているのだから。

 月の各所で、演算器が鳴動する。異なる法則が、月の表を染め上げていく。


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 加速器に併設された、研究区画。

「……おっさんの親父って、何者なんだ?」

「わからん。俺が生まれる前に離縁したか死んだかで、木星で育ったからな。顔も知らん」

「……というか、それ、何年前の話だ?」

「色々あって寝たり起きたりの繰り返しで、自分が何歳かもよくわからん。だから、あの船に乗るまではずっと、地球時代の誰も読み返さないようなライブラリだけが友達だった」

「……」

 この星を飛び立ったのが、ざっと百年前。そして、この月の施設が稼働していたのは、そこから更に遡る筈だ。

 アマタの乏しい知識でもわかる。それが、気の遠くなる昔の話ということは。だから、その痕跡を辿るのが、奇跡のようなものだということが。

 アマタは、研究所のネットとZ-AMSのシステムを接続する。かなり古いが、ギリギリで互換性はある。

「……親父の『名字』は、ドウミョウジでいいんだよな?」

「……ああ、多分その筈だ」

 古いお陰で、プロテクトは楽に破れる。つまるところ、その『かなり昔』から更新されていない、ということだが。今の月都市の情報は無くとも、目当てのものは逆に見つけやすい。

 過去の職員リストを検索。在籍部署。マップ。位置情報。

「……これ、カンジってやつか。『ドウミョウジ』。男の方だな。見つけたぞ」

 その机は、埃を被った研究所の一番奥にあった。

 そこに据え付けられた『道明寺』のプレートは既に擦り切れ、塵に埋もれている。もう長いこと、誰も触った形跡はない。

「……宇宙服着てきて良かったな……」

 こんな場所の空気を吸ったら、呼吸困難になりそうだ。

「何か、使えそうなものはあるか?」

 アマタが尋ねる。

「データディスクは……駄目だな、経年劣化でやられてる。ネットワーク上には何もないか?」

「それが、不自然なくらい何も無ぇんだよな……接続も妙に遅いし……」

 それだけ時間が経っているのか。或いは、機密対策なのか。ドウミョウジは机の上に手をつき、何気なく埃を払う。

「……こいつは」

 その下には、一束の紙資料が埋もれていた。いや、この環境で原型を留めている以上、何か他の素材なのかもしれないが。文字は薄れてはいるが、まだ辛うじて読めなくもない。。

「待てって。今、スキャンしてデジタルで修復するから……これは……えーと」

「……『徳エネルギーの定義域にまつわる諸問題と、形而上観測点の設置について』。高次元空間に天文台を作る……?どういうことだ、こいつは」

 ドウミョウジは、それを貪るように読んだ。しかし、微塵もわからなかった。

間違いなく、彼の専門に属する内容だというのに。確かになじみのある言葉で書かれているのに、何を言っているのかわからない。それだけ、突拍子もない内容だった。

 わからない、というよりも「想像もしなかった」、と言うべきなのか。

 しかも、そこにあるのは、間違いなく彼の父親の名前だった。

 確かなのは、この場所で行われた何かに、父親が関わっていたこと。そして、その『何か』は、今の人間の手の届かぬところにある。

 つまるところは、異界の知識のようなものだ。

 そう。此処は、異界だ。徳エネルギーの異界だ。最初から、それはわかっていたはずだというのに。

「……百年、か」

 月日を重ねて尚。その壁は、厚く遠い。


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Tips 『徳エネルギーの定義域にまつわる諸問題と、形而上観測点の設置について』

 徳エネルギーに関する未公表論文。「月天」の研究成果の中には、こうした未公開のものが多く存在する。故に、彼等がどこまで辿り着いていたのかは、地球から見上げる人間には知る由もないのである。

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