最終章三幕「虧月狂想曲・⑩」

 最初に、月の異変に気付いた人類は。軌道上に待機する『ザナバザル』の観測要員だった。

「……月が、欠けている」

 見た者は、そう呟く。陽の光がある以上、影は生まれる。だが、それとは別の『何か』が、月を覆い始めていた。 大地を食む影。徳ならざる力。青白い輝きが、影の中で不気味に迸る。


-----------

「ログの吸い上げは順調か?」

「……今、観測ネットの一部をリブートしてる。それっぽいデータを丸ごと抜いて、帰ってから解析にかけた方が早そうだな……」

 結局、父親の残した資料についてはよくわからないので、ドウミョウジは一旦諦めることにした。

 この月の上には、ざっと三百年分の複雑怪奇な研究機材と、それらが吐き出したデータが転がっている。それは、ともすれば『南極』以上に複雑な代物だ。今となっては、全てを把握しているとすれば『大雁』シリーズくらいのものだろう。

 専業の解析チームか、母艦の直接のバックアップがあれば。そう思えて仕方ないが、無いモノねだりをしても始まらないので、ドウミョウジは口には出さなかった。

「畜生、せめて母艦との通信が繋がればなぁ……」

 が、相方の方は違ったようだ。アマタが不平をこぼしながらコンソールを弄ると、月のブッシャリオン観測ネットが再び立ち上がる。そして、起動した途端、何らかの異常を示すデータを吐き出し始めた。

 それは、紛れもない『大雁08』の力の痕跡。徳エネルギーでも、疑似徳エネルギーでもない、何か。

 月を覆う黒い影の分析結果を見て、ドウミョウジは言った。

「……パターンが徳エネルギーとはちがくないか?」

 アマタはログの一部と、今しがた得られたデータを見比べる。明らかに、徳エネルギーとは違うもの。そのくらいは、彼女でも辛うじて分かった。

「だから、だ。大発見……いや、こうして分析が出来る、ということは、既知のもの、ということか。成程、『定義域』を弄る、というのは、多分そういうことで……」

「ちょっと待て、オッサン」

 と、アマタはドウミョウジを制止する。

「徳エネルギーとブッシャリオンって、違うのか?」

「そもそも、ブッシャリオンはフェルミオン、ボソンのような粒子の区分の一つだ。カテゴライズの一種だから、もともと

「えーと……つまり、徳エネルギーはブッシャリオンだけど、ブッシャリオンは徳エネルギーとは限らない、ってことか?」

「うん。例えば、複合粒子についても、質量数が奇数ならフェルミオン、偶数個ならボソンになる。それと同様に、特定のスピン統計状態を示す粒子を『ブッシャリオン』と呼称しているにすぎないんだよ」

 アマタは、妙なスイッチを入れてしまったかもしれない、と内心冷や汗を流していた。

「ただ、非常にレアな状態であることは確かだ。事実上、徳エネルギーしか見つかってないし、その中で慣例的にブッシャリオンという言葉自体が、特定のブッシャリオンを指すようになった、というのは事実だ」

「……ならよ、なんでそんな五月蠅く拘るんだ?」

 実質的に「同じもの」を指すのなら、区別の必要があるのか。

 いや、ほんの今しがた、「区別の必要」が生まれたのだとしても。ドウミョウジの言い様は、拘りを感じさせるものだった。

「俺の父親が、名前をつけたからだ」

そう言って、ドウミョウジは『道明寺』のネームプレートが残るデスクを見遣る。

「多分、そんな区別は、もう誰も覚えてないのかもしれない。俺以外の誰も、ブッシャリオンと徳エネルギーを区別していない……いや、のかもしれない」

 それでも、自分だけは。「本当の定義」を、覚えていなければならないと。

「……月の観測データだけでも、今すぐ解析できないか?もしかすると、他にも、別種の『ブッシャリオン』の情報が残っているかもしれない」

「付き合うとは言ったけどよぉ、そんな場合なのか……?何か異変が起きてるってことだろ?」

「……いや。頼む。十中八九、此処が核心なんだ。何をやっていようと、ブッシャリオンという痕跡は隠せない。徳エネルギー、或いはそれ以外の概念機関を扱っていようとだ。だ」

 ブッシャリオンは、情報を蓄積し、伝播する。故に、ログを書き換えたのなら、それはそれで痕跡は残る。ドウミョウジの脳内で、ピースがおぼろげながら嵌り始める。

 この星の、徳エネルギーの挙動がわかれば。もしかすると。父親の居た場所に、辿り着けるやもしれない。そんな朧げな期待が、彼を突き動かしていた。


▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

ブッシャリオンTips ブッシャリオン(Lv.2)

 月面加速器上で発見された大いなる誤差(グレート・エラー)からは、幾つもの新たな素粒子モデルが提唱されたが、最終的に道明寺博士率いるチームが宗教遺物を用いた実験を試み、未知粒子の観測に成功。「ブッシャリオン」と命名されるも、当時膨張を続けていた宗教系勢力との関係等の問題から実験経緯等の多くが非公開となり、以後の研究も大部分が非公表となっている。月面上では複数種のブッシャリオン粒子モデルの研究が進められたが、それが表に出ることはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る