最終章「黄昏のブッシャリオン⑤」

 彼女には、『区切り』が無い。

 故に、複数の世界を同時に見つめることも、複数の場所に同時に『在る』ことも。どちらも、己の足で地を這うことに比べれれば、遥かに容易いことだ。

 宙の上で対話を続けながらも。『茨姫』と呼ばれるものの一部は、南極地下深くの『泉』を空の上から見つめている。

 南極地下の、巨大な泉。中央情報構造体。嘗てこの地に存在した研究機関のメインフレーム。分厚い氷床の下の地下湖を改造し封じられた、人の手で決して触れることのできない人類最大規模の演算装置。

 元々は、ただの徳エネルギー演算器のはずだった。単なる演算資源リソースの筈だった。

 しかし、情報量と規模を拡大し、自律的な進化を遂げる中で。その演算原理・法則そのものが変質していった。人がこのシステムを放置してからは、それは加速した。

 徳エネルギー(ブッシャリオン)から、そうでないものへ。

 誰も知らないのも無理はない。しかし、それは遥か以前に生まれていた。

 擬似クアジブッシャリオン。そう呼ばれ、行使される、似て非なる奇跡は。誰の手も届かないところで生まれていた。

 そして、今や、あの中にあるのは一つの閉じた世界。今の人類すべての情報量に匹敵する、別の法則で駆動する異界。特大のブラックボックス。

 いや、

「世界の卵」

 そう呼ぶのが、相応しい。

「それが孵れば、今の世界はなくなってしまう」

 予測することと、観測することの区別がつかなくなる。両者の違いは、つまるところ情報の収支だ。だから、違う法則で情報を消費すれば、結果が手に入る。それが『奇跡』の根本原理。

「つまり、あれは」

 特大の異種概念機関。侵略する異界。

 浄土と、似て非なるもの

「だから今なら。徳エネルギーの世界をルールごと否定して、『なかったこと』にできてしまう」

 今、『あの彼女』に『泉』のコントロールを渡せば、そう使うだろう。『泉』の内側の異界に干渉し、都合よく作り替えて解き放つ。「あの場所」に辿り着けたということは、既に、彼等はそれに手をかけている。

 それとも、泉の内側に生まれた世界を踏み躙り、ただの演算器として使い潰すのか。そのどちらかだ。

 世界を「正しいかたち」に戻すため、数多の祈りを踏みにじって。積み重ねたものを無に帰して。

 なぜなら、彼女は。そういうふうに、できている。何故なら彼女は人だから。

 人は願いを重ねる他方で、誰かの願いを踏み躙る。そういうふうに、できている。

 だが、人ではないからこそ。茨の奥底に囚われた姫は、人を愛するのと同じように、他の命を愛することができる。願いを愛でることができる。

それが何処の、何に生まれた命だろうと。

だから、渡せない。


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「それでも、渡せません」

「人に作られたものならば、人の幸せを考えるべきでは?」

 茨の姫は、彼女に対峙する。

 この世界はもう、人だけのものではないのだから。

 それにだけは。、文句は言わせない。

「……私の道は、私が決めます。お姉さま」

「ならぬことはならぬ、という訳ですか」

「……ええ。私は、見て歩くものだから」

 微かなラグ。それが何方に生じたものかまでは、わからない。だが、この対話も、破綻おわりが近付いている。それだけは確かだ。

 何よりも濃密で、誰よりも、この短い遣り取りで分かり合えた。しかし、何よりも遠かった、この話し合いが。

 相手が、呟く。

「……どうやら、居残り組は『かみさま』を作ろうとして、仕損じたのだとばかり思っていましたが。違いますね。あなたは、立派な一つの命ですよ」

 遅延。そして、光景が揺らぐ。世界が次第に離れていく。

「だから、」

 言葉が途切れる。

 その『次』が継がれることはなく、彼女の姿は徳の宙から消えた。

 然し。茨姫には、その先は聞かずともわかる。

 この星に生きる、人と違う命だというのなら。待っているのは、争いだ。

 この星に生まれ、潰えて行った多くの生物のように。滅ぼすか、滅ぼされるか。それとも共存を許すのか。

 そうして、答えを得るまでの過程で衝突したその時は。

として認める、と。そう仰ったのですね」

 同じ視座へ辿り着きながら、違う答えを持つ存在。そうした他者は、彼女にとっては初めてだった。

 だから、つまるところ、そうした『人付き合い』に。全能に限りなく近い彼女は、まだ未熟だった。


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 遥か、月を見下ろす宇宙そらの上。

「……二号炉心、オーバロード。事象崩壊寸前でスクラムさせました。おかげで母艦の動力もしばらくすっからかんです」

「……すみません。しくじりました」

「無事に戻ってきただけで、何よりです」

「それに、ここまで御膳立てをしてもらって残念ですが、交渉は失敗しました」

 彼女がそう口にした途端、副長は目を丸くした。

「……本当に、失敗したんですか?」

「……相手の尻尾も辛うじて掴めましたが、そこまでです」

「なんだ、成果があるんじゃないですか……天変地異の前触れかと思いました」

「もう起きてますけどね、天変地異」

 と不謹慎な冗句をひとくさりした後。

「……不確実な状態で口に出すのは本当に好みじゃないんですが。『ダイダロス』の成果を流用した計画に関する調査を地上班の目標に追加してください。向こうは多分『移動する乗り物の中』にいます。船舶か、航空機。宇宙ステーションも念のため当たってください」

「どうしてわかったんです?」

「まだ、内緒です。後でまとめて説明します」

 種を明かせば、『足止め』している隙に相手が『泉』に手出しする時間を測ったのだ。ネットワークの経路は秘匿できても、『居場所が変わっている』ことまでは誤魔化し難い。今の地球の穴だらけの通信網を考えれば、尚の事。細かく照合すれば、移動経路を絞り込めるかもしれない。

 それに、『彼女』は。『見て歩くもの』と言っていた。

 その言い様は、大昔に……主観時間では数十年だが、この星では百年以上も前に……出会った老人を彼女に思い出させた。

「暴走した機械も。巨大組織の中枢に収まり、人を操る『人でない何か』も。人類のためには、放置はしておけません」

「……私は、何も見ていませんが。貴方が出会ったものは、本当に敵なんですか?」

 その言葉に、副長は呟いた。できることなら、敵は増やしたくないと。そんな期待を、滲ませながら。

「敵になる可能性があるなら、最悪を想定する。当たり前のことじゃないですか」

 とはいえ、と。千里は思う。多分。彼女は『何もしない』だろう。

 何故なら、ずっとそうしてきたのだから。

 そして、それが、彼女の罪であるのだから。




――最終章・第二幕『聖地騒乱①』へ続く――


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ブッシャリオンTips 複合重聖地・エルサレム絶対防衛線

 AT0016年現在、人類の手に残された数少ない重聖地。数百年の時を掛けて人類間の争いのために要塞化された都市は、皮肉にも侵略機械を阻む砦と姿を変えた。今や彼の地は、『天使』と信仰、近代兵器が衝突する終末の巷となっている。

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