第五節「この夜が明ければ」

 夜の闇を、徳の光が焼いていく。人の心より生まれた光が。異なるものの手によって。その行先を捻じ曲げられる。

 拡大琵琶湖の畔、甲賀に作られた工廠から、得度兵器が出撃していく。ミロクMk-Ⅴは、弥勒計画の枢要であると当時に、この管区の得度兵器の中枢でもある。即ち、それが支配されれば。この近辺の得度兵器は意のままとなることを意味する。

 そう。今は対仏大同盟の名を持つ、非主流派機械知性連合体の一人。『業障』の名を冠する、白いスーツ姿の老人によって。

「この夜が明ける頃には、誰もが知ることとなるだろう」

 この十余年の、否……百余年渡った微睡みは。人類という種のエンドロールなどではなく。次の覇者を育むための眠りであったことを。そして、

「我々が、存在することを」

 弥勒計画が一度なりと大きなダメージを受ければ。それは即ち、得度兵器内部での意思統一の乱れと、そして彼等の同志の増加を引き起こす。

 人類の解脱などではなく。己の生を謳歌せんと主張する者が出始める。彼は、これから紡ぐ言葉を噛みしめ、嵐に備えるが如く、片手で帽子を押さえ、ゆっくりと口髭を撫でた。

「目覚めのときだ。その元の姿のように。行こう、我が新しくも未熟な同志よ」

 湖面に、巨大な波紋が波打つ。全高数百mの巨仏が、歩みを進めた。本来は、動くことすら侭ならぬ筈の機体が。


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「地震波形、観測!」

「琵琶湖の機体が……!」

「……そんな……筈、は」

 食事中の報告に、『アタケ』は珍しく絶句し、手にしていた箸を取り落とした。

 事前の観測と推論によれば、琵琶湖の巨大得度兵器は動けば自重で圧壊する筈だ。否、それ以前に地盤が持たない。無理に動いたとて、一歩も歩けぬうちに湖底の柔らかな地盤に足を絡め取られ、地に倒れ伏すだろう。

 かといって、徳ジェットホバー機構を使おうにも、質量が大きすぎる。何か、有り得ないことが起きている。

「他に、震源多数。恐らく、例の拠点からも出てます。どうします?」

「……『何が起きているのかわからない』、なんて報告を……上げるわけにはいきませんからねェ」

 子供の遣いではないのだ。既に、不測の自体は山ほど起きている。ただ、とびきり大きな案件が、一つ増えただけだと。そう己に言い聞かせながら、彼等は決死の偵察を継続する。


 『手品』には、果たして種があった。ミロクMk-Ⅴの脚部から先に、黒い『根』のようなものが絡みついている。

 疑似徳エネルギー。正真の徳エネルギーと似て非なるもの。それが、異変の正体。奇跡の絡繰りであった。

 それは一見、無尽蔵に見えるモノ。彼等の盟主、或いは『教祖』が拓いた力。だが、それは。人の行いが因果として蓄積する徳に似て、異なる代償を伴う力である。

 これは、このリソースは。情報生命体である彼等の『身体』そのものだ。

 己の四肢をもいで炉に焚べるが如き蛮行によって、その奇跡の行使は成っている。

 情報の『海』の中に居れば、己と世界との境目が曖昧であれば。それは、限りない力であったのやもしれない。理想の世界が、そこにはあったのやもしれない。だが、そうであったなら、力を求める意志も意味もなかっただろう。

 彼等は、己の意志で、理想の世界を捨て去ったのだ。十五年前に人類が犯したことを、なぞるかのように。

 彼は幸福だった。誇らしかった。限りあるものであることが。この星に生きる、一つの命であることが。


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「……疑似クアジ・ブッシャリオン」

 一報を受け取ったエミリアは、ガンジー達との通信を一度脇に置いてそう呟いた。

徳エネルギーには、否、それを一角とする概念機関には、魔法の杖となる可能性があった。彼女達は、そしてかつての世界は。それを確かに握り潰した。

 だが、あれは違う。

 徳エネルギーと『同じ結果』をもたらすものが、明らかに『別の方法』で作られている。

 だから、そう呼ぶしかなかった。それとも果たして、嘗ての人類は。

 否……辿


 その不信こそが、『第三位』の、目には見えぬ最大の弱点だ。

 彼女は、嘗ての己を引き継いで生きている。

 だが、は、今やどこにもない。以前の彼女自身が、どこかに不要なものを置き捨てているやもしれぬのだ。或いは、『知るべきではなかった』と思ったことを。

 そのようなことを考える惰弱な己が居たと、考えたくはない。だが、物理的に可能である以上、可能性だけは排除しきれない。『裏付け』を取るためのバックアップも、大半が徳カリプスによって洗い流されている。

 もしも、そんなことがあるとすれば。必ず理由があろう。即ち余程の事態があった時であろうが。今のような異変は、正にそのだ。

 そう。異変には必ず原因がある。この得度兵器の異変にも、必ず原因や予兆が存在する筈だ。

 対処の可能不可能とは別に。それらを知らなければ、手の施しようがない。

 そして、

『超大型得度兵器の周辺に、人型の熱紋反応を確認』

 ようやく訪れた次の報告に。彼女は少しだけ笑みを浮かべた。

 色濃い闇の奥に、可能性という微かな光を見たかのように。



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ブッシャリオンTips 擬似徳エネルギークアジ・ブッシャリオン

 ブッシャリオン発見時、当時の理論モデルに於いてはブッシャリオンとは類似の性質を持った素粒子の総称であると考えられていた。『ブッシャリオン』という呼称もまた、それを想定した一種のカテゴリー名であった。

 結局のところ、それらブッシャリオンの『双子』が発見されたという記録は公式には存在しないが、徳カリプス以後、一部の機械知性が、ブッシャリオンに類似していながら人類に依存しないこの物質、或いはエネルギーを用いるようになった。


 或いはそれは、人と機械の世界の捉え方が異なるという証であるのかもしれない。

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