第250話「設計図」

 それは設計図であり、召喚陣でもあった。嘗てこの世界に存在した物を、膨大な徳エネルギーを投じ『呼び戻す』。その詳細な原理については、今は誰にもわからない。

 だが、少なくとも、得度兵器は何らかの立証により、浄土の実在を結論した。だからこそ、『それ(It)』は得度兵器として成立した。

 否そもそも、『呼び戻す』などという穏当な表現は正確ではないのやもしれない。徳エネルギーは、功徳を形而下へ引き摺り下ろしたものだ。それは旧来の、或いは徳エネルギー時代に於いても一部の人間にとっては信仰の冒涜に等しい行為だとされていた。

 しかし、機械は少なくとも人の信仰を共有しない。彼等は、彼等の『信仰(ドグマ)』に基いて行動する。その全貌を人類が把握することは不可能に近い。だが、しかし、一面のみを切り取るならば。

「神仏を、機械共の理解可能な階梯に。即ち現し世へと気なのだ」

 信仰を実益に。概念を、物理現象へと。

 『第二位』は呟く。既に、実例がある。他ならぬ彼等が推し進めた、徳エネルギーという名の実例が。

 であるからこその、『概念機関イデアル・エンジン』。想いを力と変え、願いによって形を為す機構(システム)。人の意志に基いて。世界を捻じ曲げる装置。

 彼のみならず。世界を動かす者達は皆。その全貌を知りながら、情報を封じてきた。その『真実』へと至るには、膨大な推論と、巨費を投じた観測装置が必要だった。この種の巨大科学では、出資によって研究の方向性を制御(コントロール)することは、比較的容易だった。

 だからこそ、彼等は。世界を、破滅へと導かぬために。在るべき形を護るために。あるべき『魔法の杖』を、唯のエネルギー源へと貶めてきた。

 唯一の厄介種であった、徳エネルギーと同種の基礎理論から異なるメカニズムに到達したモノ。それを開発・運用していた南極の独立研究機関も、最終的には太陽系外へと放逐した。彼等は、人の世界を守り通した。

 しかし、だからこそ。人に辿り着けなかったものに、機械達は辿り着いてしまった。そして、だからこそ。彼等は、人と機械の勝利を、天秤にかけるのだ。

「何たる皮肉か」

 万能に比する力に手を掛けて、最初に願うことが神の存在であるなどと。それでは、人と変わらぬではないか。

「所詮は、人から生まれたものか」

 何処まで同じで、何処から違うのか。機械にとっての神仏が、人にとってのそれと、何処まで同じであるのか。それはわからぬ。まして、人の積んだ徳で具現するそれが、果たしてどちらに寄るのかも。

 しかし、容易く想像できる特性はある。恐らく、機械にとっての神仏は。無限に近い問題解決能力(スペック)を持つと定義されている筈だ。ごく自然に考えるなら、己を超える存在でなければ、己の行く末を委ねることはできまい。


 ……それは、一種のジレンマだ。

 つまるところ、全能の神は果たして、己の力で持ち上げられぬ石を作れるか否か。そういった類いの話だ。しかし、少なくとも全能ならざる者であっても、己より優れた物を作り出せることは確かだ。

 人は斯くして機械を作り、機械は神仏を求めた。機械知性が全能に近付く程。その『神』に対する要求は上がってゆく。しかしながら、人も機械も全能ではない。全能でないままに。全能以上のものを産み落とすならば。それは、奇跡と呼びうるのではないか。

 一人では、成し得ぬものだ。しかし、この星には已然として機械知性以外の知性体が存在する。それを作り上げた人類が、まだ存在する。

 故に、人と機械の願いが混じりあい、奇跡は成る。


 但しそれは、仏舎利という『設計図』を失った、神仏ならざるものとして。

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