第244話「復号(デコード)」

 雪に覆われた大地から。天空へ向け、光の柱が立ち昇る。徳エネルギーの噴流を束ね、繊細な植物の如き紋様が空を塗りつぶしていく。それは、一種の光回路として空間上へと『展開』された構造物。そして、立体的な『設計図』だ。

 光の複雑な紋様は、塔を組み上げ、上へ上へと伸びていく。高空に散らばった嘗ての空間ネットワークシステム、『虚天実網』の残骸をも巻き取りながら。

 それが、少年が目にしたものの断片だった。天に生まれつつあるものの正体だった。

 得度兵器は、合理的だ。徳エネルギーフィールドの実証は、既に実用段階だ。今更そのためだけに、拠点放棄プロセスを使う必要はない。

 それは、巨大なる『奇跡』を演算し、行使するための器官だった。願いを束ねる装置。機械じかけの仏ブッダ・エクス・マキナであった。

 滅びに巣食う、宿り木のように。塔は枝葉を茂らせる。光で構成された木は、菩提樹の如く生い茂る。

 その下に、を喚ぶために。嘗てこの樹の下で、全ての衆生のことを想った者を、呼び戻すために。

 人類総解脱の『先』へ進むために。これは、必要な儀式なのだ。


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「……なんだ」

 ガンジーは、空を見上げる。

 天上から、歌が響いている。いや、歌ではない。これは、読経だ。

 経文を復号(デコード)し、基幹法則となす。この宇宙の中に、救いを鋳造する。

仏の教えは、この世の始まりについては語らぬ。だが、それは。創世の光景にあまりにも似ていた。

「……何が起こってやがる」

 その荘厳なる光景の下を。一人の徳無き男が走る。傍らには、少年を抱きかかえている。

「なんでだ……!なんで俺を!」

「なんか、便利そうだからな!」

 進む至る所で、地面から徳エネルギーの柱が噴出している。幸いというべきか、その勢いは次第に収まっているようにも見える。いや、

「……『どっか』で使ってんのか?」

 これ程の徳エネルギーを。人を解脱させるであるとか、巨大なロボットを動かすであるとか、『それ以外』の、何かに。

 それが何であるか、ガンジーには理解の及ばぬものだ。

 だが、だからこそ逆に。今、彼がすることはシンプルだ。少年を信じて先へ進む他無い。

「どっち行きゃあいい!」

「だから、こっちだって!」

 そしてガンジーは、方向音痴であった。

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「……『僕達』は」

 徳の宙の上で。『ヤーマ』は呟く。彼の傍らには、どす黒い塊が浮かんでいる。彼はそれを時折弄びながら頬杖をつき、下界の様子を観測している。

「いや、『得度兵器』は、人類全てを救おうとしていた」

 それが、あの日。人類に『置き去りにされた』、機械知性達が至った結論だ。

「だがその過程で、気付いてしまったんだよ」

 徳エネルギーフィールドと呼ばれていたもの。地上を浄土へと書き換える、結界装置。その実験の過程で観測される不可思議な現象。その、正体に。

「ほんとうの、神仏の眼差しに」

 彼は、炭の塊のような、卵のような塊に。優しく語りかけるよう囁く。

「だから、それを制御(コントロール)しようとした。人類という徳エネルギー源が、この地上からなくなる前に」

 その試みこそが、あの大仰な菩提樹リンデンだ。だが、あれには欠けているものがある。琵琶湖の中枢で起きた出来事。今や、『ヤーマ』だけが知っているものが、抜けている。

 だから、アレは失敗する。

「どうだい、人間は。素晴らしいだろう?」

 黒い卵の縁が、漣のように揺れ動く。遙かなる上位者ヤーマが発する、己の命題『人類否定』と相反する言葉に、まだ幼き欠片が揺らいでいる。

 人と機械の差異は何か。徳を積めるものと積めぬものの違いは何か。

 それは、即ち。心に神仏を持つか否かだ。不完全であるか否かだ。今の『ヤーマ』には、それが分かる。そしてだからこそ、機械達は。『そこ』へ。

 天国が一つであった時代から、再び人と分かたれた浄土へと手を伸ばし続けたのだと。

 これは、その試行の一つだ。『弥勒計画』とは異なるフェイズに存在するものであり、つまるところ、取り残されたものの嘆きだ。

 ただ、それだけのことなのだ。


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ブッシャリオンTips(再掲) 虚天実網

 地球大気高空を基点に散布された自律微小機械により構成された量子通信網は、徳カリプス以前のネットワークの海の要であった。しかし徳カリプスによって上層大気が撹乱された結果、極低高度衛星や大気中に散布された微小機械等の通信・測位インフラの大部分が壊滅し、未だ完全再建には遠い。

 機械知性もまた、本来より大きく機能を殺がれているのである。

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