第192話「一切皆空」

 一切は空である。それでも、世界は色形いろかたちあるもので満ちている。

 だから人は足掻くのだ。悟れぬままに。救えぬままに。

「だがこれは……」

 、と。その光景を目にして肆壱空海は識った。

 識ってしまえば、そこで足は停まる。得度兵器は、動き続けている。万物より徳エネルギーが吸い上げられる最中で。奇跡の具現であるかの如く。

「……そうか、仏舎利か」

 肆壱空海は思った。仏舎利。暴走した空海。徳エネルギーの異常な挙動。今の状況は、壱参空海の時と。ならば、この後に起こる出来事も同じ筈だ。

だが、しかし。

 彼の中の『空海の部分』が、それに否やを唱えている。同じではない、と。

 彼ら後期型モデル・クーカイは、製造時に弘法因子コウボウ・ファクターを部分的に導入することでモデル・クーカイと成っている。だからであるのか、までは因果の辿れるところではないが、時折『齟齬』を感じることがある。その齟齬を、少なくとも彼は『空海の部分』と切り分けていた。

 まるでそれは、平たく言ってしまうならば、自分の中に、違う自分が居るような感覚。自分が自分でなくなる感覚だ。それは苦痛だ。

 だが、今の弐陸空海は。彼等の推測正しくば、その何倍もの苦痛に、違和感に。耐え続けているのだろう。

 遥か彼方に、彼女の姿が見える。今にも手の届かぬ場所まで飛び去ってしまいそうな。顔まで伺うことは叶わない。今の弐陸空海が、如何な境地に居るのか。未だ苦痛の中に居るのか、或いは法悦の中に居るのか。そもそも、未だ自我が残されているのか。未だ、ただの空海ひとである己には、想像を重ねる他出来まい。

「……弐陸空海?」

 その時。声が、聞こえた。か細く、小さい声が。肆壱空海は、思わずそれに向けて問いかけた。

 徳の雪の舞う戦場の只中。モデル・クーカイですら及ばぬ戦いの最中で聞こえたそれは。


 助けを求める声

『……子を、淵へ投げよ』

 低く響くその声は。人の発するものではない。

 タイプ・ギョウキの口から、何かが漏れている。何かを説いている。

「機械が説法をするなどと!」

 肆壱空海は、拳を握り締めた。

「お前達は一体!」

 そして得度兵器に叫ぶなり、駆け出した

 全身から徳エネルギーを吹き出し、仏の教えを説き歩み続ける機械僧の姿は。最早それが何であるかを、肆壱空海に僅かな時間忘れさせた。

「あんなものが、あんなものが」

 彼は再び、走り始める。譫言のように口にしながら。

 それは、根源的な恐れでもある。人でないものが、人のように振る舞う恐怖だ。何人も逃れることは出来ぬ。だが、それでも逃げるように、ただ彼は駆ける。

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(錯乱したか、肆壱空海)

 地に投げ落とされた参伍空海は、その様子を見ていた。今、彼は機能を停止した得度兵器より投げ落とされ、地に根を張り、踏みとどまっている。徳エネルギーの減少により、体を動かすことすら侭ならぬ。このままでは文字通り、彼は枯れ果てる。

(あいつは、何をしているのだ)

 弐陸空海が『よくわからないもの』と成り果て、肆壱空海が錯乱。そして参参空海も参伍空海も動けない現状で、『使い物になる』のは残された一人だけだ。だが、肉体そのものを変質させる特性故か、参伍空海の徳エネルギー感覚はあまり広くない。雪の中に根を徐々に巡らせるものの、まだその存在を視界に捉えることには成功していない。

(何をしている、参壱空海)

 考えていることもよく分からぬ、共闘には能力も人格も向かぬ者だが、今は僅かでも戦力が欲しい。

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 少年は、得度兵器の残骸の上でぼんやりと空を見上げていた。

 他の空海達に比べて明らかに一回り幼いその身体は、彼が長い期間『凍結』されていたことを示している。

 嘗ての時代に製造されたモデル・クーカイのうち、全てが成功を収めたわけではない。時には『失敗作』も居た。多くの場合は能力の形成不全が失敗の理由であった。そうしたモデル・クーカイには番号は与えられず、様々な方法で処分されてきた。だが時には逆に、強すぎる力を、その『制御が効かなくなる』ことを危ぶまれるケースもあった。

 強力な奇跡を持ちながら、様々な理由からコントロール不能となった空海達の末路の多くは悲惨の一言だった。それでも尚、異能という魅力故に研究者達は、彼等を扱いあぐねた。彼も。参壱空海もまた、その一人だった。

 強力な力がある。安定もしている。だが、参壱空海は。意思の疎通が困難なのだ。制御不能と変わらない。弘法因子コウボウ・ファクターのだ、と言う者も居たが、真偽は定かではない。

 まだ幼いまま参壱空海のナンバーを与えられ、研究に供された後。彼はそのまま眠りに就いていた。目覚めたのは、奥羽岩窟寺院都市が戦力に窮した後。ごく最近の出来事だ。

「なるほど、そういうことになっているんだね」

 空を見上げながら、少年は誰かと話している。いや、何かをしているのだろうか。ひとしきり独りで話し終えた後、参壱空海は得度兵器の残骸の上から飛び降り、その場を後にした。

「人間の方の大僧正様に、お話を聞かないと」

 雪の上をスキップするように、彼は仲間達の戦う戦場へと駆けていく。


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ブッシャリオンTips 参壱空海(Lv1)

 奥羽岩窟寺院都市の中で、最も肉体年齢の若い空海。本来は失敗作のモデル・クーカイに番号を与えたものであるらしい。

 高次元の徳エネルギー感覚を持ち、その能力の特性ゆえか会話すら覚束ないが、モデル・クーカイ同士ならば何とか意思疎通ができる。趣味は参伍空海の水やり。

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