第160話「古の都」

 潰れたヒトデの如き飛行物体が、音も無く極低空で瀬戸内の空を掠める。『船団』の有する隠密仕様の航空機である。だがその姿すら、外から見ることは叶わない。その機体は可視波長を含む光学的偽装が施されている。

 遥か遠くの海上には、タイプ・シャカニョライが座禅を組む。その姿は、僅かにではあるが変化を始めているようにも見える。あたかもそれは、変わり行く世界を象徴するが如く。しかしその表情は、夜の闇の中で窺い知ることは叶わない。

「……随分と急でおじゃるな」

 狭い機体の中に敷かれた半畳畳の上で、『マロ』は胡坐をかいていた。他にも、『第三位』の私兵が数人同乗している。この旅程は、近畿得度兵器圏の偵察をも兼ねているのだ。恐らく何か巨大な計画の一部分であろうことは彼にも想像は付いていたが、詳細までは知らされていない。

「敵を欺くには、まず味方からでおじゃるなぁ」

 『マロ』の言葉に応える者はなく。機内には肌を焦がすような緊張感が漂っている。彼は彼で構わず、渡された資料を杓型端末の上で捲っている。

「キョート・グラウンド・ゼロ……」

 徳カリプスの『爆心地』とされる場所。地上最高濃度の徳エネルギーが作り出した、混沌の坩堝。或いは、異界。その場所を正確に表現する言葉を、今の人類はまだ、持たない。

「美しい街だったのでおじゃるが」

 彼もまた、僅かな間ではあるが。に居たことがある。京がまだ、この国の中心であった時代。だが、諸行無常の響きに例外はなく。彼の知る多くのもののように。古の都は、今や巨大なクレーターへと変わり、湖の底に沈んだ。

「問題は、残留徳エネルギーレベルでおじゃるなぁ」

 徳カリプスの残り香。

 その一つは、ビトリファイド・ブッシャリオン。解脱エネルギーによってガラス化した土壌に、ブッシャリオンが入り込み安定化した物質。現在の徳島のエネルギー源。

 爆心地ともなればでは、済むまい。これ程の超高密度ブッシャリオンの振る舞いなど、誰にも予測がつかない。

 徳エネルギーの相転移は、既に徳カリプスという形で数多の徳科学者が知らぬ顔を見せた。それ以上など、机上の話の筈だった。

「……これは、現段階で得られた材料からの推測でおじゃるが」

 『マロ』は、誰に聞かせるでもなく呟く。機内の中で、彼に注意を向ける者は居ないが。耳を傾ける程度ならばしてくれるだろう。

「中心部では、残留徳エネルギーが水流で圧縮され、微生物などを解脱させる形で、今尚解脱連鎖が続いてる可能性もあるでおじゃる」

 言わばそれは、今尚燃える盛る、徳カリプスの残り火だ。恒常的に発生する解脱は……もしも、彼の『修正理論』が正しければ。

「それは、一種のゲートとして機能する筈」

 功徳は情報を蓄積する。だが、情報を蓄積し続けるだけでは、何れ破綻してしまう。ならば、それを阻止する仕組みがある筈なのだ。解脱は恐らく、その一つだ。つまり、蓄積した情報をへ持っていく現象だ。

 解脱の先に、何が待つのか。それは、彼ですらも知らない。恐らくは、この世界ではない何処か。

 『マロ』は手詰まりになった思考を一端途切れさせ、機外モニタへ目を移す。彼の乗る不思議な形状の機体は、彼等を乗せて川沿いに古都へと向かっている。

 外には、徳カリプスによって壊滅した沿岸都市地帯が広がっている。それはまるであたかも、クレーターに覆われた別の惑星の光景だ。

 ただ、高層建築や護岸工事の残骸だけが、そこに人の文明が息づいていたことを主張している。その先には、徳カリプスよりも以前に破棄された人里。人口減少に伴う都市圏再編によって見捨てられた土地が広がる。その田畑の中には、人の手が入った形跡のあるものも僅かながらあった。

 そこに隠れ住む人間も居るのだろう。だが、今の『船団』に彼等に手を差し伸べる余力は無い。

「……そろそろですねぇ」

 機内で、男がそう呟き、口と鼻を覆面で覆った。

 機外モニタに映る水面が、一気に開けた。嘗て、琵琶湖と呼ばれた湖。その場所もまた、ある意味に於いては徳カリプスによる破壊の犠牲者だ。今や、あらぶる水は古都を飲み干し、徳カリプス以前の倍程にまでその面積を押し広げている。


 その底に、遥かなる異界ととを湛えながら。この国最大の湖の水面は、今はただ静かに揺らいでいる。




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ブッシャリオンTips キョート・グラウンド・ゼロ

 徳カリプスの震源地。その、現在の姿。徳エネルギーの形而上領域へ向けた相転移の余波は周囲数十キロを陥没せしめ、盆地ごと拡大琵琶湖の底に沈めた。

 膨大な徳エネルギーの奔流は尚も留まらず、その中心に今も未知の徳異点を形成し続けている。

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