第161話「大いなる仏」

 削られた湖岸に、湖の水が打ち寄せる。僅かに残る人の名残も、草木に埋もれかけている。

「鼻と口を覆え。この高度でも、大気中にブッシャリオン・コロイドが飛んでいる。吸い過ぎると解脱トリップするぞ」

 機内で、覆面を着けた部隊長の男が『マロ』に話しかける。ブッシャリオン自体は微細な素粒子だが、高い徳エネルギー環境下ではそれが大気分子と混ざり合って脆いコロイドを形成することがある。呼吸器や粘膜から取り入れれば、それは崩壊し、徳エネルギーを体内で放出することとなる。

「……わかったでおじゃる」

 その程度は、『マロ』も知っている。彼もまた手拭を縛り、顔の半分を覆う。息を覆面の中で循環させれば、体内への侵入をある程度阻止できる。

「そろそろ、名前くらい教えて欲しいでおじゃるが」

「ニシムラだ」

「本名でおじゃるか」

「答える必要は無い」

「……麿は、『マロ』でいいでおじゃるよ」

 今回の調査行に、徳島から『マロ』を拉致したあの男は不在だ。というより、部隊が違うらしい。あの第三位の私兵というのがどの程度の規模なのか、彼には想像もつかないが……今回の同行者には、実直そうな顔が並んでいる。マロの私見だが、はかりごとには向きそうにない。

「今回の遠征、調査だけが目的でおじゃるか?」

「それも、答える必要は無い」

 他にも目的がある。『マロ』はニシムラと名乗る男の反応から、そう判断した。不在の部隊の行方も気になる。何か、背後で大きな作戦が動いている予感を、遅ればせながら彼は感じ取っていた。

 そんな彼等をのせた機体は、湖面すれすれを飛びながら、ゆっくりと湖の淵に沿って調査を進めている。

「……ここにダイビングするのは勘弁でおじゃるな」

「中心部は、こんなものではないが……その手の冗談が好きなのか?」

「会話には潤いが必要でおじゃる」

「理解するよう努力しよう」

 旧京都の中心へ近付くにつれて。湖面に立つ、何本ものクリスタル状の『柱』が見える。固体化した高密度徳エネルギーの徳柱だろう。それが、15年前の惨事を物語る。

 恐らく、あれがブッシャリオン・コロイドを撒き散らしている。道理で、息をするだけで危険な水準に達するわけだ。

 『マロ』は機外の観測機材をあれこれと弄くり回してみる。機外のブッシャリオン・コロイドの量は、とうに測定限界値を振り切っている。

「この辺りはもう、洛中だ」

「……水が、光ってるでおじゃる」

 そして、彼は気付いた。湖の一画が仄かな桃色に発光していることに。

「そこが徳カリプスの爆心地グラウンド・ゼロだと目されている」

 ニシムラはただ、そう答えた。

「……恐らく」

 『マロ』は、食い入るように機外映像を見つめている。あれは、解脱の光だ。

「中心部の徳エネルギー源を核として、雪玉のような構造を造っていると思われるでおじゃる」

「俺達が聞いてもわからん。後で、レポートで上げてくれ」

「そんなことはどうでもいいでおじゃる」

 ただ、話して少しでも考えを纏めたい。彼の頭にあるのは、それだけだった。

「中心部の仏舎利をエネルギーとして、解脱連鎖が平衡状態で持続しているでおじゃる!これが、どういうことかわかるでおじゃるか!?」

「さっぱりわからん」

「解脱現象は制御コントロール可能、ということでおじゃるよ」

 そう。連続的な解脱を制御できれば、彼の理論が予測するへと手を伸ばせる。『マロ』凄絶な笑みを浮かべていた。目の前に、その可能性は確かにあるのだ。

「もっと高度を下げるでおじゃる!」

「無茶だ。前回の調査の時は、ここで得度兵器に……」

 ニシムラが脅威を口にしかけた、正にその時。

「巨大な熱源を確認!得度兵器です!」

 ニシムラの部下が叫んだ。

「何処だ。詳細に報告しろ」

 彼は冷静に問い返す。

「方角不明!いえ、この反応は……真下です!」

「なんだと!」

 直後。湖面に、不自然な波が生まれた。湖が割れ、巨大な何かが、水面の奥から

「まぁ、このエネルギー、利用しない手は無いでおじゃるからなぁ……」

 『マロ』は落ち着いて、手に持った杓をゆらゆらさせている。予想の範疇だ。得度兵器が近くに根城を築いているのは想定内。よもや、湖中とは思わなかったが。

「調査は一時中止だ!安全距離まで撤収する!」

「でも、この反応は……大き過ぎます」

 直後。機外カメラに眼を移した『マロ』は、手に持っていた杓を取り落とした。

「なんでおじゃるか、アレ」

 機外映像には、巨大な『顔』が映し出されている。得度兵器の頭部構造物だ。それだけならば、驚くには値しない。


 ……その顔が、彼等の知るものよりも倍以上に大きい、ということを除けばだが。

「頭頂高は、水面下の分を合わせて200mを超えると思われます」

「なんてことだ」

 十数分後。彼等は安全(と思われる)距離からその偉容をただただ眺めていた。既に得度兵器の全身殆どが、湖上に姿を現している。

 全高、約200m。観測によって得られた結論は、タイプ・ブッダの実に五倍強。弥勒を模したその姿は、ただ得度兵器と呼ぶには巨大に過ぎた。

 タイプ・ミロクMk-Ⅴ。それが、その得度兵器の。そして……琵琶湖に潜んでいた、大いなる野望の名であった。

「……多分、水中で建造したんでおじゃるな。理に適ってるでおじゃる」

 『マロ』は、気持ちを落ち着けるべく半畳畳の上で茶をすすっていた。

「どういうことか説明しろ!専門家だろ!」

「やめておけ」

 ニシムラは、猛る部下を押し留める。

「まぁ、いきなりは無理でおじゃる。麿は魔法の杖じゃないでおじゃる」

 『マロ』は、慎重に言葉を吐き出す。先程までの興奮は、何処かへ消え去っていた。

「得度兵器のサイズは、恐らく徳ジェネレータやキャパシタ、エネルギー兵器の搭載を条件として、構造強度や生産難易度、移動距離などの各種条件を考慮して決まっている筈でおじゃる」

「どういうことだ?」

 ニシムラが問う。

「つまり、あそこまでサイズが違うと、と考えるのが自然でおじゃる」

「なるほど。それで、その用途は何だ?」

「断定はまだできないでおじゃるが……多分、あのサイズでは湖の中から出すこともままならないでおじゃるなぁ」

「動けないデカブツを作ってどうする」

、と考えるでおじゃる。なら……答えは、一つでおじゃろうな」

 その答えは、既にニシムラ等は知っている。最悪の敗北の記憶と共に。

「徳エネルギーフィールドか!」

「そういうことでおじゃる、早く回線を寄越すでおじゃる!」

 『マロ』は咄嗟に、機内のニシムラの部下から通信機を奪い取る。

「……あれが動いたとして、どれ程の規模になる?」

「動力源に、京都に貯蔵されていた仏舎利と、湖水に含まれる徳エネルギーを使ってる筈でおじゃる。そうなると……西日本一円はまず確実でおじゃる」

 『マロ』は、通信機を弄くりながら、頭の中で大雑把な算盤を弾く。

「ただ、範囲が広くなるほど、効率と安定性はガタ落ちでおじゃる。それを押して、あんなものを作るなど……」

 そこで、彼は動きを止めた。『戦術』は、彼の予測通りだろう。だが『戦略』に、今ひとつ腑に落ちないところがある。

 彼の僅かな隙を突いて、繋がった通信機をニシムラが奪い返し、『第三位』への報告を始める。

「何か、嫌な予感がするでおじゃるな」

 『マロ』は、その傍らでただ呆然と虚空を見つめていた。



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ブッシャリオン Tips タイプ・ミロクMk-Ⅴ(Lv.1)

 全高200mの得度兵器。Mk-Ⅴと銘打たれているが、既存のタイプ・ミロクとの関わりは薄く、共通しているのはその外見と、拠点防衛用機体というコンセプト程度。内部構造的には寧ろタイプ・シャカニョライに近く、複数の仏舎利を内蔵する他、試製超大型フィールド発生器を持つ。

 複数基の仏舎利を以ってすら、現状の効率ではその巨大なフィールドを支えるには未だ足りず、キョート・グラウンド・ゼロからエネルギーを吸い上げ続けている。


 『弥勒計画』の命運を占う機体。或いは、『最後の得度兵器』とも。

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