第145話「照らす一燈」
「照于一隅」
テクノ仏師の持つ刃先に、小さな炎が灯る。クーカイとテクノ仏師は向かい合ったまま動かない。二人を見つめるは、ガンジーと、水路の壁に彫り込まれた無数の仏像のみ。
「これ即ち、国宝なり」
テクノ仏師が、クーカイへ向けた刃先を返す。次の瞬間、無数の仏の手に、炎が宿る。
「生まれ生まれ生まれ生まれて、生の始めに暗く」
クーカイは合掌し、精神を統一する。
経緯はどうあれ、目的はどうあれ。行き着く先がどうあれ。始まってしまったものは、如何ともし難い。
「死に死に死に死んで、死の終りに冥し」
符牒を唱え、体から光の粒が漏れ出し始める。
「そいつは、何だ……」
ガンジーはまだ、傍らに居る。
「今は、問うな」
クーカイは、そう答えるのが精一杯だった。
「……そうか。なら、聞かねぇけどよ」
残る徳は少なく。相手は、厄介極まりない能力を持っている。
密閉空間での炎は、酸素を辺り構わず吸い尽くし、枯渇させる厄介者だ。水を操れば、消せるだろうか。否。そもそもあの炎が、正常の化学反応によって生じているという保証は無い。
モデル・サイチョーは、クーカイが眠りに就いた後に開発されたものだ。存在は知っていても、具体的な
あの炎でクーカイを焼き尽くす積もりか。
「……はたまた、酸欠で意識を刈り取る積もりか」
座して待てば、炎が閉ざされた空間の酸素を喰らい尽くし、意識を失う。
「どうする気だ?」
ガンジーが問う。先の戦いで使った水圧放射も、残りの功徳で扱えるかは怪しいところだ。テクノ仏師は、向かってくる様子は無い。動く必要がそもそも無いからだろう。
ならば、手は無いのか。否、手はある。但し、可能な限り使いたくは無い、自殺同然の手段ではあるが。
彼が操作できるものは、水流に限らない。相性の良い液体であれば、原理上、何にでも通用する。人体を流れる血液は、相性が良い液体の一つだ。
だから。相手に触れることさえ出来れば、その血流を乱し、殺すことができる。加減は効くまい。仮に、もしも人の命を奪えば。彼の徳は瞬く間に尽き、身体は灰と化すだろう。
……それでも、悩む暇は、無い。
「ガンジー、一瞬でいい。注意を逸らしてくれ」
「……何かあるんだな?」
「あるから、頼む」
功徳を使う力は、本質的に争いに向いていない。ならば何故、あの男は。態々それを用いるのか。
狂っているからだ、と。決めつけてしまえば楽なのだろう。何らかの美学があるからだ、と思い込んでしまうことは簡単なのだろう。
否、彼は、クーカイの戦力を過大評価しているのかもしれない。奇跡を使う者を殺すには、同じ奇跡を使うしか無いと思い込んだのかもしれない。
もしも、もしも他のクーカイ達ならば、どうしただろうか。ここ居るのが失敗作でない、彼の嘗ての同胞達だったならば。
あの仏師を説法で説き伏せただろうか。傷つけずに捕縛しただろうか。それとも、何か他の手段で改心させただろうか。
クーカイには、どれも出来ない。彼には、このやり方しかない。
「こンの野郎ー!」
ガンジーが、背負っていた荷物を振り被り、走り出す。
「チッ!」
動きを見て取り、テクノ仏師が刀を振るう。流れる水面の上を、刃先の炎がガンジー目掛けて疾走る。
……だが、ガンジーが向かう先はテクノ仏師の方ではなかった。彼の作った、仏像の方だ。
一瞬、テクノ仏師の注意がそちらに逸れる。ガンジーの脳内に、自分の作品について熱心に語るテクノ仏師の姿が思い起こされる。あれ程の熱意と、狂気。
それを持つ者が、己の作品を壊される様を見て、動じぬ筈が無い。
半ば、賭けではあった。だが、彼はそれに勝った。
クーカイは、ガンジーから僅かに遅れて走りだしていた。テクノ仏師の方へ向かって。水面を疾走る炎を飛び越え、彼は駆ける。
仏師は、慣れぬ手つきで慌てて刀を構え直す。彼はきっと、戦ったことなど、ありはしなかったのだろう。それでも、彼は、一事のために全てを擲った。救いのために、願いのために。その在り方は、尊いものであったのかもしれない。
だが、彼は二人を敵に回した。荒野で足掻く者達を敵としてしまった。
迸る刃先に、クーカイの振り上げた拳が僅かに勝った。彼の屈強な腕が、テクノ仏師の喉元を抑え、体ごとねじ伏せんとする。
炎の点った刃の切っ先が、クーカイの体を掠める。
皮膚が焦げ、服の端が一瞬燃え上がるも、跳ね上がった水飛沫で炎は瞬く間に消え去った。
「生まれ生まれ生まれ生まれて、生の始めに暗く」
「ゴ!モゴーッ!」
テクノ仏師が、喉元を抑えられ、声にならぬ声を上げる。刃先に点った炎が揺らぐ。だが、構わずクーカイは詠唱を続ける。
「死に死に死に死んで死の終りに冥し」
殺す他、無い。そうでなければ、奇跡は止まらぬだろう。男は在り方を止めぬだろう。クーカイの顔は、最早高僧の力を受け継ぐ者のそれではなかった。
テクノ仏師は、声を上げ続けている。救いを求める声を上げ続けている。後は、虫を殺すよりも容易い。だが、首をクーカイの手は。そこで止まっていた。
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ブッシャリオンTips モデル・サイチョー(Lv.1)
モデル・クーカイの原型たるプロジェクトをベースに製造された、後天的に人間に奇跡を扱えるようにするための薬剤。モデル・サイチョー以外にも複数種が存在するとされるが、使用に必要な功徳が高いため、実用された例は極めて少ない。
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