第142話「商人の天秤」
『……
北の拠点に舞い込んだ一本の通信は、意外な相手からのものだった。
「研究費の取り立てならば、ご遠慮願おう」
旧第二席。嘗て、この星の全てを恣にした者達の残党。同時に、嘗ての彼の出資者の一人でもあった。以前喧嘩別れをして以来、久しく便りは途絶えていたが。
『
「言われてみれば、お前達は商人か。商人が商売をすると言うならば、売り物だけは見ようじゃないか」
『機械知性……今は、得度兵器などと呼ばれているが。その、
「対価は何だ」
田中ブッダは、即座に問い返した。鍵。それが意味するところは何か。彼は知っていた。
得度兵器の根幹には、嘗ての人工知能、機械知性としての。更に言えば……旧き人類社会における『製品』としての、数多の制約が今尚生きている。
例えば、タグ情報を添付された重要拠点への侵入制限。人類への攻撃禁止。そういった幾つものプロテクトの類。解除の試みは進めているが、芳しくはない。
それらはプロテクトと言うよりは、根幹にセットされた設計思想に近い。取り除くには、『一から組み立て直す』方が手っ取り早い可能性すらある。その試みも進めてはいるが……より確実かつ手軽な方法がある。
製品としての機械知性体に、予め仕組まれたバックドア。その存在は、田中ブッダも知っていた。嘗ての機械達の
例えばそれは、全ての機械知性の働きを止める、或いはコントロールを奪うような、致命的なものではない。仮にそんなものを握っていたならば、彼等は早々に全ての得度兵器の全活動を停止させていただろう。
影響を及ぼすのは、限定的な範囲の得度兵器のみ。それでも有ると無いとでは大違いだ。
喉から手が出る程に欲しい。だが、それを悟られれば足下を見られる。
『対価は、そうだな。ある街と、その住人の動きについて。知っていることを洗い浚いだ』
「……成程、採掘屋に出会った、とでも言う訳か」
田中ブッダの口から、笑い声が漏れる。
何故、田中の居場所を彼が知っていたのか。何故、このタイミングで取引を仕掛けて来たのか。
これで、それらの事柄に得心が行く。『あの街』の採掘屋に直階を出し……煮え湯でも呑まされた、といったところだろう。
商売人は、面子と信用を重んじる。尤も、その程度、読み解かれる事は先方とて想定済みだろうが。
『言うまでも無かろうが、虚偽や背信を行えば、相応の報いが振りかかるだろう。今迄の分も含めてだ』
「良いだろう。手間が省けるのは、お互いにとって良いことだ」
『間もなく更新圏外だ。情報交換は、次の周期に纏めて行う』
彼等の拠点たる『エリュシオン』は、地球の上空を一周約24時間周期で飛び続けている。直接交信可能なのは基本的には機体が空の上に見えている時に限られる。
その制約を破る手段も、当然持ち合わせているだろうが……彼を相手に、手の内を明かす積もりは無いらしい。
「なぁ、『第二席』」
『どうした?今更反故にでもする気か?』
「いや……人類は、存外に手強いぞ」
『……』
少しの沈黙の後に、通信は途絶えた。それが何を意味をするのか。田中ブッダにはわからなかった。この奇貨によって、人類総解脱への道は着実に一歩を踏み出したことは違えようのない事実だ。
そして、交渉の裏には語られなかった言葉がある。
「……どうやら、狙い所は同じようだな」
何故、今更そのような取引を持ちかけたのか。あの『化物共』は、利害計算は達者だ。面子だけで、虎の子のブラックボックスまで明け渡しはしまい。
狙うは恐らく、彼と同じ。今はノイラと名乗る、舎利ボーグの女。今や数少ない徳エネルギー技術者の生き残り。
「そう言えば……彼女の出自は」
田中ブッダにとって血縁や家族というものは縁遠く、だからこそ今の今迄は然程重要視していなかった事実。彼女は、あの男の関係者だ。
以前、交渉材料に使いこそしたが、それがこれ程までの『力』を持つとは想像だにしていなかった。
「化物なりに、人の情はあるということか」
それが良きことか否かは神仏のみぞ知るところだろうか。
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