第117話「秘密」
ガンジーとクーカイの暮らすタティカワの街は、川に面している。タマ・リブと呼ばれる川は街の水源であると共に、重要な道でもある。都市部の道は、建造物の倒壊や地下構造の陥没によって、その機能の大半を喪失している。
川の先は、徳カリプス時の功徳オーバーロードによって廃墟と化した、嘗てのこの国の首都近くを掠めながら海へと続いている。ガンジー達採掘屋は、その川に沿って『狩り場』を増やしてきた。廃都には危険が満ちているが、同時にまた、文明の遺物にも満ちている。それこそが採掘屋達の獲物であり、街を生き永らえさせる糧であった。
しかし、嘗てカワサキ、或いはヨコハマと呼ばれた行政体に差し掛かるに従い、街の様相は変化してくる。川の両岸には工業地帯の残骸が立ち並び、幾つもの取水水路によって水量を奪われながら、やがては巨大な暗渠へと繋がる。
その先には、怪物が住んでいる。
採掘屋達の間では、そう噂されていた。ガンジー達は噂を信じていた訳ではないが、特に立ち入ろうとはしなかった。
廃棄された地下建造物に立ち入るには、只でさえ有毒ガスの充満や酸欠、崩落等の危険が伴う。その上、有用な資材が回収できる確率は高くない。先頃の街の危機に際しては、それでも立ち入った採掘屋達が居たものの、目立った戦果は挙げられなかった。
だが……
「海に出るには、ここを抜けるしか無ぇ、ってわけか……」
「怪物退治、というわけだな」
ガンジーとクーカイは今、その巨大な暗渠の入り口に立っていた。
海へ抜けるには、この川を下るのが最も近道なのだ。
奈落の底へ通じるかのような、巨大な蓋によって覆われた水路。その先を知る術は、今のガンジー達には無い。
「無人機が使えりゃなぁ」
「地図も電波も届かん。航法支援も使えん。ガラクタの方がマシだ」
「そうだよなぁ……」
結局、人の手で確認するのが一番確実であった。奥羽岩窟寺院都市への長い道のり。その一歩は、この先にある。
「海からのルートって言っていたが……どうにもはっきりしねぇんだよなぁ」
「何か、言えぬ理由があるのだろう」
未だ病床にあるノイラから伝えられた情報を少ない。ガンジーは一度、業を煮やして彼女を問い詰めようとしたが、どうにも折悪くガラシャに見つかり、暫くの間気不味くなった。
それは余談としても。
ノイラの言った作戦……得度兵器の拠点襲撃を本当に実行するとなれば、今までに無く大掛かりな計画となる。今は、まだほんの下調べの段階だ。
「海まで行って、帰ってくる。それだけだ」
「わかってるって。んじゃ、行くぞ」
ガンジーは躊躇なく迷宮への一歩を踏み出す。要するに、海までのルートの安全確認さえ出来れば良い。彼はもう、こんなところでは立ち止まって居られない。
「ま、待ってくれ!」
慌ててクーカイがその後を追う。二人の後ろには、背中のドラムから伸びる光ファイバーのケーブルが糸を引いている。ケーブルの先は、彼等のトレーラーと、その通信アンテナへと繋がっている。
それは蜘蛛の糸のようでもあり、実際、彼等の命綱でもあった。
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ポタッ……ポタッ……
天井から滴る水滴が、水面で跳ねる。
川の水深は、まだ踝までかかる程度だ。念の為にインフレータブル式のボートも持ってきては居るが、水流に流されることを考えれば、歩いて進めるうちは進んだ方が良い。
「……なぁ、怪物って何なんだろうな」
「大方、逸れ得度兵器の類だろう」
工業地帯は、即ち得度兵器の巣窟でもある。人口密度の関係から、徳カリプスによって甚大な被害を被った、とは推測されているものの……ここの近辺の海岸沿いは、徳エネルギーが生まれる以前からの一大工業地帯が続いているのだ。総体を把握できる人間は最早居まい。
北のように大掛かりな防衛拠点化はされていないにせよ、得度兵器が居ても不思議は無い。そして、同じように。首都の地下には五百年以上をかけて創り出された巨大な迷宮が存在している。この暗渠も、今やその一部と言って良いだろう。
全ては徳カリプス以前の土木技術の産物だ。
「でもよ……」
ガンジーは、クーカイに応える。
「得度兵器ってのは、人の居る所に出るんだろ」
こんな暗渠に、人が立ち入るとは思えない。彼等のような採掘屋を除けば、だが。得度兵器は人類を解脱させるために行動している。つまり、人の居ない場所に用はない。
仮に生産拠点としても、廃墟と化した工業地帯に旨味はあるまい。
「それもそうか」
ならば、採掘屋達を退けた怪物の正体とは、一体何なのか。
そんな疑問を抱きながら、人の手も自律機械の手も及ばぬ迷宮の先へ、二人は足を進める。
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