短編集③「オン・アナザーデイ」

 古い石畳の道を、雨が濡らしている。水を撥ねさせながら、小太りの男は家路を急ぐ。

 手に持つ古びた袋からは、干からびたパンが突き出している。

「……丁度いい雨だ」

 男は漏らす。服はもう、何日も洗濯していない。水も尽きかけていた。この雨は天の恵みだ。

 元々止まりがちだった電気や水道も、今や完全に途絶えて久しい。それどころか通信ネットすらも死んでいる。それらは全て、十五年前の惨劇の傷跡だ。

 昔ながらの石造りの街並みは、殆どが原型を留めぬ程に剥がれ、砕け、崩壊している。この雨で嘗ての美しかった街並みは、また、ただの石礫の山へと近づくだろう。

 十五年前。徳エネルギーの齎した文明の崩壊は、このにも及んでいた。

 残念ながら喇叭は鳴らなかったし、男は神に選ばれたわけでもなさそうだったが、兎に角終末を乗り越え、今日という日を生き延びていた。

 ……いや、もしかすると。今はまだ、終末の途中に過ぎないのかもしれない。

 それが証拠に、街の上には『ラッパ吹き』が留まっている。ラッパ吹きという名は、男が勝手に付けたものなのだが。その翼を生やした巨大な人型機械は、今も空の上に浮かんでいるのだ。

 狂った機械知性マシーンブレインが生み出した、イカれた機械仕掛けの天使。狂った女が、そう言っていた。

 それが何をしているのか、或いは何をしようとしているのか。男は知らないし、知りたくも無い。あれを天使だと言っていた女は、十年前にとうにくたばってしまった。

 ……いや、。人間として存在することを止めた、と言うべきか。

 あの日に立ち昇った、光の十字架。その後に訪れた機械仕掛けの天使。そして、


 あの終末が齎した、異変の一つ。

 は、廃墟の足にひたひたと足音を刻む。

「……道理で、靴が売れないわけだ」

 裸足で歩きまわるかれらを見て、男はそう呟く。

 あの日から、人は

 人の形をしたかれらは、こうしてただ時折、街を徘徊し続ける。死者が蘇り始めた。いや、死が禁じられたのだ。

 誰かが、死者の蘇生などという無法な奇跡をばら撒き続けている。まるで、今が最後の審判の前だとでも言うかのように。

 今頃、天国も、地獄も、口を開けて待ち構えていることだろう。この街では最早、生きていることの方が亡霊であるかのようだ。

 男は這々の体で家へと帰り着く。壊れかけの家の表には、埃を被ったた靴が並ぶショーウィンドウがあった。彼は、クリスピーノという名前で、靴屋だった。

 靴屋と言っても、職人仕事が機械化されて既に久しい。だから男は職人というよりも商人だったし、革のなめし方も碌に知らなかった。

 そもそも、以前から。靴屋の男自身にとってすら、靴を買いに来る人間の気がしれなかった。

「そういう意味じゃ、今はやっと『まとも』な時代になったのかもな」

 割れかけたショーウィンドウ。括りつけられたベルを派手に鳴らしながら、男は懐かしの我が家へと帰り着く。

 在庫の靴箱が床一面に散らばっている。高級品だが、もう買う者も居まい。いや、元から居ないのか。

 丸ごとの服飾コーディネートなら、AIが似合うようにやってくれた。わざわざ店に回に来なくても、家庭工場フォームファクトリーで一式用意してしまえた。

 つまるところ、彼の仕事はわざわざ店に足を運ぶ物好きな客に、似合わない靴を売り付けることだった。

 全ては、過去の出来事だ。最早懐かしくすらある。

 台所で堅焼きのパンを切り分け、炭火を通し、男は齧りつく。美味い飯には、もう暫くありついていない。街を駆け回る死体には、どうやら料理の能は無いらしい。

「どうせなら、メシが作れるくらい、きちんと生き返らせればいいものを」

 もしくは、自分も仲間に入れてくれればいいものを。そのための『選択』を男がしないのには、自殺は宗教的に禁じられている、ということも勿論あるが。何よりも、この先に何が起こるか見たい、という興味が先に立っていた。

 

 恐らくは、碌でもないことが待っているに違いないのだが。

 今の世界を創り出したのが、天にまします我らが父、などというような存在ではないことだけは、男も薄々気が付いていた。もしそうでないならば、何故、全てが紛い物なのか。

 紛い物の天使。紛い物の復活。誰が、何のためにそれをするのか。

「まぁ……大して、変わりは無いか」

 それを知ったところで、何が変わるとも、何をしようとも思わない。

 他人は元々、理解できない。理解できないということは、死体であっても大差はない。ある意味これは、男が望んだ世界だったのかもしれない。

 困りものなのは、美味い飯に事欠くことくらいだ。




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ブッシャリオンTips 徳エネルギーの世界(欧州編)

 嘗ての世界宗教は大きく勢いを減じたものの、徳カリプス以前の時点でも多くの信徒を世界中に残していた。彼等は徳エネルギーを彼等なりの思想によって『翻訳』し、受容してきた。

 結果として、本流たるアジア圏とは様々な点で異なる文化形態の変容を引き起こしている。取り分け、功徳や解脱という概念の原罪や楽園の存在に基づく再解釈は深刻なものであり、別系統の『奇跡』を生み出すに至っている。それらの原理については解析が進んでいない。

 彼等は徳を積む代わりに罪を濯ぎ、楽園へと至ると言われる。それに伴い、得度兵器の挙動にも変質が見られる。

 これらもまた、徳エネルギーの別の側面であるのかもしれない。

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