第95話「天空の眼」

 高度、400km。軌道傾斜角、約97度。太陽同期軌道SSO上。

 およそ90分で地球の周囲を公転する人工衛星。嘗ての、対地観測用仏舎利衛星の生き残り。徳カリプス後、人からも機械からも見放されてきた天空の眼。その一機が今、まさに徳島の上空を通過しようとしていた。

 カメラが映し出すのは得度兵器達の活動を示す明かりと、僅かばかりの人類の痕跡。そして、端に虫食いのような穴の開いた、直径数十kmの徳エネルギーフィールドが放つ桃色の光。


 その中に映り込む、をも、宇宙から見つめる眼は確かに捉えていた。そして……その眼を、空の彼方で盗み見る存在達もまた。

 大規模徳エネルギーフィールド。それは、アフター徳カリプス世界の今後を占うパラダイムシフトである。当事者達の思惑を他所に、そのを見逃すまいとする者/物達は、徳島の地へと静かに観測リソースを集中している。


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 悩んでも、何も変わりはしない。

 『マロ』の手は、変わらずスイッチの上に置かれている。自分は最善を尽した。例えその先に待っているのが破滅であろうと。足掻くことこそが、命の価値なのだから。

 最初のは、それをこそ愛おしいと感じたのだから。

「……麿は、何を?」

 何かが一瞬、頭を過ぎった。

 それを皮切りに、とうに摩耗した筈の過去生の記憶が次々と脳裏に蘇る。いや……果たしてそれが、自身の記憶であるのか。それを『マロ』に確かめる術はない。ただ、彼は奇妙な懐かしさだけを感じていた。

「これは、功徳に蓄積された情報なのでおじゃるか?」

 功徳は、行動の記録ログだ。それは他ならぬ彼自身が唱えた理論。

 空間に満たされた高密度の徳エネルギー。それに転写された情報構造が、脳に逆流を引き起こしているのか。それは言わば彼の使う記憶の書き出し技術、『日記』の逆の現象だ。

 情報は脳から溢れ、断片的な場面シーンだけが目の前を流れていく。それは言わば、徳エネルギーの見せる走馬灯だ。

「……不味い、でおじゃる」

 膨大な情報に流され、意識が遠のきそうになる。過去に押し潰されそうになる。

 この現象が「不死者」故の特性によるものか。それとも、濃縮された徳エネルギーが万人に起こす現象なのか。或いは、彼が危惧したように。これは得度兵器の、何らかの『奇跡』によるものであるのか。

 それはわからない。検証することもできない。

 ただ、記憶という名の、幾重にも重ねられた十二単衣が如き衣が一枚一枚剥ぎ取られていく。欠けた記憶が何かによって埋め合わされ、忘却という土の下から芽吹いていく。

 徳カリプス後の記憶。ヤオとの出会い。それ以前の研究生活。嘲笑の記憶。顔の半分が機械に覆われた、あの男の顔。死を選んだ時の光景。徳エネルギーに自らの根源を求めるよりも以前の記憶。

 怨嗟。


 畏怖。


 怨嗟。


 不死者の生の大半は、惨めなものだった。世を儚み、人に隠れながら生きてきた。人がまだ、今程ですら豊かではなかった時代。死は生のずっと近くにあった。

 が生まれたのは、そんな時代だった。そんな時代を、彼女は死なぬまま見続けてきた。

(……こんな記憶は、知らんでおじゃる)

 『彼女』は、無限に転生する者ではなく、只の不死者だった。『彼女』は、平凡な漁師の娘だった。ただ、強いていうならば貴族のような生活に憧れていた。

 仏門に入り、800年を生き、肉の器が塵に還って尚、不死の呪いは続いた。『彼女』は、『記憶』を受け継ぐ不死者となった。

「……違う。で、おじゃる」

 これは、己の過去ではない。『マロ』はそう否定する。これは、徳エネルギーフィールドの見せた幻だ。そう己に言い聞かせ、意識を保つ。

 功徳が記憶を蓄えるならば、徳エネルギーフィールドによる功徳の解放は記憶の解放だ。それは……記憶を暴き、自我を丸裸にするに他ならないのだから。

 だが、過去とは己の形を成す一部でもある。己が、己の一部を否定するならば、待っているのは自己矛盾の泥沼だ。

 実時間にして、僅か十数秒。その間に、彼の心は折れかけていた。徳エネルギーフィールド中和器のスイッチを握る手が、思わず緩む。


 その手を、誰かが支えた。

「……『マロ』さん、大丈夫?どうしたの?」

 振り返るとそこには、何も知らぬ少女が居た。

「……ああ、そうでおじゃった」

 過去がどうあろうとも。今成すべきことに、変わりはないのだ。今この肩にあるのは、己の生だけではないのだから。

「……麿は、『マロ』でおじゃるよ」

「あれ……?」

 少女……ヤオは、『マロ』の言葉に首を傾げる。

「どうしたでおじゃるか?」

「いつもなら、『マロ』じゃないって」

「ああ……あれは、もういいんでおじゃるよ」

 彼は、笑ってそう返す。今は、それでいい。いや、のだ。『マロ』は最後に、カウントダウンの表示を見た。残りの数字は、僅かに数分。

 彼は意を決して通信機を手に取り、「船団」への回線を開く。

「……聞こえるでおじゃるか。発動タイミングは--」

 未知数だらけの状況とはいえ、彼等もよくここまで待ってくれたものだ。

 カウントダウンの数字が、残り15秒を指す。徳エネルギーフィールドの侵蝕は、既に陸地にまで及んでいる。

 通信のノイズが今更のように爆発的増加を始めたが、タイミングは伝達済みだ。

「……に計算する時は、もう少し正確にするでおじゃる」

 願わくば、『次』があって欲しくなどないのだが。彼のカウントダウンは、恐らくプラス方向に少しの誤差がある。まだ僅かな時間的余裕が残されている。

 原因は、徳エネルギーフィールドの内部圧力による膨張を計算に入れ忘れたことだろうか。

「そんなこと言ってる場合じゃないよ!」

 直ぐ様、横から突っ込みが飛んで来るのだが。それもまた、どこか心地良い。

「分かっているでおじゃる」

 カウントが0を指すと同時に。二人は、スイッチを押し込んだ。

 それと同時に。海へと向けられたマンダラ・サーキットが、虹色の超常の輝きを放つ。

 同時刻。遥か海の彼方でも、同じ輝きが海を照らした。

 賽は、投げられた。その結果を知る者は、まだ、誰も居ない。




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ブッシャリオンTips 徳エネルギー結晶体ビトリファイド・ブッシャリオン/赤い水晶

 徳カリプス時の余剰エネルギーがガラス化した大地によって固定化された徳資源。徳カリプス後の十年間で安定した状態となっており直ちに人体に影響は無いが、徳島では採集は主にロボットによって行われている。

 徳カリプス後は徳島での徳エネルギー源の大半を担っており、徳エネルギー兵器、徳エネルギーフィールド等の干渉によって閉じ込められた徳エネルギーが励起され発光、最終的には内部に蓄えられたエネルギーを放出する性質があることが確認されている。

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