第92話「繁栄の糧」
過去の、話をしよう。未だ色褪せぬ、人類の黄金時代の話だ。
人と機械知性の蜜月。星々を渡る翼。神域を侵す技術。
彼女。エミリア・プシェミスルにとって、人類最良の時代とは徳エネルギーの時代ではない。それよりも以前、衰退を迎えるよりも前の荒々しくも熱量に溢れた、成長の時代の最晩期。それが彼女の定義する、人類の最盛期である。
全てを喰らい、先へ進む。人類が、まだそれを良しとしていた時代。文明という概念が、際限のない消費と進歩とを包摂していた頃。
正にその時代の終わりに、彼女は生まれた。作られた。人一人を
人々を導く選良として、彼女は生を享けた。ノーブル・オブリゲーション。持てる者の義務。徳エネルギーの時代の遥か以前から在り続けた価値観。彼女は、それを刻み込まれていた。それは、責務だ。徳とは似て非なる概念だ。
彼女は、己が優越者であることを疑わない。奢りや傲慢の類ではない。魚が泳ぐように。鳥が飛ぶように。ただ、事実としてそうなのだ。そう作られただけなのだ。
だからこそ最高の能力を、可能な限り長い期間発揮し続けることこそが、責務を果たすことであるとエミリアは信じている。そしてそのためならば、彼女は手段は選ばない。リスクのある記憶転写であろうと、人倫に悖るクローン技術であろうと、彼女は一切躊躇なく利用する。
人は、事実として滅びの危機に瀕している。ならば彼女が導かずして、誰が人を救うのか。
彼女は縛られていた。繁栄という名の理想に。自らが生み出された目的に。 だが、客観的事実として人は滅び続けている。彼女はそれに抗い続けている。滅びを認めてしまった時、きっと、エミリアの中の、大切な何かが壊れてしまうのだから。
いや……もしかすると。彼女は、もう壊れてしまっていたのかもしれない。
『船団』の中枢を構成する、巨大な全翼機。その中心部に、彼女の居室は存在する。
「人類再興を成すには、時間が足りぬ」
少女は、気だるそうに呟く。艶を失った彼女の長い銀髪は無造作に床へぶち撒けられ、華奢な身体は奇妙な形状の寝台へと横たえられている。それが、今の彼女の肉の器の有様だ。
見目麗しい少女の姿には、この百年、変わりはない。だがクローンの質は、年々悪化を続けている。目に見えないところで、体に僅かな疵を生じ始めている。
プラント自体の老朽化が始まっているのだ。保守管理は今のところ何とかなっているが、徳カリプス以前の世界ですら希少な設備である。部品も、人も、何もかもが不足している。 当初からの、姿を表に出さないという統治方針のせいで、身体の老いは誤魔化せてこそいる。
だが、『性能』が落ちる前に次の方策が必要だ。元より、これは最大性能を発揮し続けるための生き方だ。それに足を絡めとられるようでは、何の意味もない。
人類に再び、栄光の時を。今の彼女にとって、時間は幾らあっても足りないものなのだから。例え、その願いが叶うことは無いとしても。
「……不死者、であるか」
彼女は呟く。口を開くことも、億劫だ。
肉体を乗り換える不死の破綻。その目指すべき次は、確かに在る。より完全な不死。記憶転写のための巨大設備も、クローンプラントも必要としない記憶の継承。
そのサンプルすらも、手の届くところに。『共闘』はそのための布石だ。主戦力は失った。だが、まだ彼女には手札が残されている。
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