黄昏のブッシャリオン
碌星らせん
第一部『強制成仏』
プロローグ
遠い遠い未来。けれど浄土は更に遠く、滅びは遥かに近い黄昏の時代。
楽園は潰え、地には無人機械が蠢く末法の世。
それでも、人は生き続けている。
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カチッ……カチッ……カチッ……カチッ……
窓のない部屋の中心で、メトロノームが揺れている。椅子に腰掛けた青年は、それを見つめている。文字盤には『般若心経』『法華経』等の経典名が刻まれ、読経リズムに最適化されていることがわかる。
振り子は揺れる。同じ場所を行き来する。だが、決して不変を意味しない。諸行は無常。例外は無い。
「これは、彼らの物語だ」
青年は語る。
「人の歴史を見ればわかる通り、神仏はいつも人の心に寄り添ってきた」
誰に語るともなく語る。
「『今』から二百年前。人類は遂に、その眼差しに気付いた」
神仏の眼差し。それを人は、『徳エネルギー』と名付けた。人の功徳を源とし、形而上世界から得ることのできる無限のパワーソース。擬似的な第二種永久機関。
エネルギーの革命は、社会の革命でもある。徳という価値観の下に統一された社会は、やがて万人が徳の高い生活を送る理想郷へと至る。
「そして……物質の枷から遂に解き放たれた文明は」
誰もが想像した筈だ。物質的充足を得た文明は、精神的な豊かさを追求する段階へと移行するだろう。誰もがより良く徳を積まんと欲すれば、それは自ずと起こる筈だった。だが、人類は次の段階へと『進まなかった』。
待っていたのは、滅亡だった。
『徳カリプス』。
後にそう呼ばれることとなる大災禍によって、徳エネルギー文明は脆くも崩れ去った。
「……文明は失われ、神仏の眼差しは地から去った」
青年は目を伏せる。徳カリプスの結果として社会は大打撃を受け、地上の大半の徳エネルギーと、そして多くの人命が失われたのだ。
……しかしそれでも、人類は徳エネルギーを使い続けた。人は徳を積み続けて尚、文明という名の果実を忘れることができなかった。
徳バランス、善と悪の秩序が崩れた世界。そこで人々は二つに別れた。
片や狭い世界の中で、今までと同じく、いやそれ以上に徳を積みながら生きる者達。片や、自ら徳を生み出すことを諦めた者達。彼らは過去の徳の残滓を漁り、命を繋ぐ。
「それでも、人は生き続けている」
青年は立ち上がる。メトロノームの音が部屋に響き続ける。
「だからこれは、彼らの物語だ。徳に背を向け、救いを擲ち、それでもみっともなく足掻き続ける彼らの物語だ。そう……これは『僕』の物語じゃない。『彼ら』の物語だ」
メトロノームは止まる。そのリズムを定めるべき重りは、文字盤の空白の上にある。部屋は闇に溶けていく。時間はまだ沢山ある。最後の審判の日までか。或いは、5億7600万年ほど先か。それは分からないが、違いはあるまい。
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