第八章


 卒業式が終わったあと、私は友達とファミレスに突撃して、ダラダラダラダラ喋ってました。思い出話をしながら、卒業記念にブルーランドへ行く計画を立てて、笑って、少しだけ泣きました。


 外が暗くなったのを合図に解散して、私はマミと二人で帰りました。こうやって一緒に下校するのも最後かー、なんて密かに感傷に浸りつつ、いつも通りくだらない話に花を咲かせました。


 次の日は、私の誕生日だったんです。だから明日は、マミがケーキを作ってくれる約束でした。

 マミのお菓子は、どれも最高に美味しいんですよ。だから私、


『お願いぃぃぃーっ! 留学したらしばらく食べられないんだからさぁぁぁぁぁーっ!』


 って言って、ごり押ししたんです。


 物心付いた頃から、私達はいつも一緒でした。マミがどれだけ本気でパティシエを目指しているか、どれだけ努力しているか、私が一番よく知っています。


 だから会えなくなるのは、とっても寂しかったです。


 その半面、とっても誇らしかったです。


「いつ日本を発つの?」

「来週の水曜」

「じゃあすぐだ」

「そうそう。もー、荷造り大変よ。持っていきたいものが多くて」

「ねぇねえ。私も空港に見送り行ってもいい?」

「え、来るんでしょ?」

「え、拒否権は?」

「あると思ってるの?」


 お約束の女王様発言に、私達は吹き出しました。そしたら、人のいない道に笑い声が思いっきり響いちゃって。あ、五月蝿いかなって口を閉じたら、マミも同じタイミングで黙って、それがまた可笑しくって。


 二人であははあはは笑ってたら、信号が赤になったんで立ち止まったんです。そのうち笑いは引いたんですけど、なんとなくお互い静かになっちゃいました。

 そんなことって今までなかったから、なんとなく、変な感じだったのを覚えてます。


「……ねぇマミ」

「……なに? アサミ」

「頑張ってね」

「おうよ」

「毎月手紙書くからね」

「私も書く」

「……たまには、帰って来るんでしょ?」

「長期休暇にはね」

「じゃあそれまで待ってるね」

「おうよ」

「マミのお菓子を」

「私も待ってろよ」


 お約束のやり取りに、私達はまた笑いました。

 そしたら信号が青になったんで、横断歩道を渡り始めました。


「ねぇアサミ」

「なに? マミ」

「明日のケーキ、楽しみにしてなさい。飛びっきりの奴作ってあげるから」

「なに作ってくれるの?」

「それは秘密」

「えー、そこをなんとか。せめてヒントだけでも」

「駄目駄目」

「くそー、気になるー」


 私が悔しそうな顔をすると、マミはいつもの、ちょっと上からな口調でこう言いました。


「ま、なんにせよ期待してて。味は保証するわ」


 マミの後ろから来た車のライトで、マミの顔はよく見えませんでした。

 でも、きっといつもみたいに上から目線な笑顔でも浮かべてるんだろうなーって思って、だから私も笑顔で頷いたんです。






 そしたら、マミの姿が消えました。






 それだけじゃありません。






 気が付いたら、世界が逆さまになってたんです。






 よく分からない間に、聞いたことのない音が二つ聞こえて、体が一気に熱くなりました。


 今度は、世界が横になりました。


 これはなんなんだろうって不思議に思ってたら、誰かの足が目に入りました。


「コ、コウちゃん……どうしよう……っ」


 女の人の声で、凄く震えてました。

 どうしたんですかって聞こうとしたんですけど、なんか上手く喋れなくって、もたもたしてたら足音が離れて行きました。


 頭を上に上げると、車に乗り込む男の人が見えました。

 ハンドルを掴む手が震えてて、付けてるブレスレットがどんどん下に下がっていくんです。


 本当にどうしたのかなーって思ってたら、ようやく車が動き出しました。


 そしたら、車の陰から、マミが出てきました。


 血みどろでした。


 私はびっくりして、慌てて近寄ろうとしました。


 でも、起き上がれなかったです。どうしても、手に力が入りませんでした。


 どうしようどうしようって、それだけしか考えられなくって、誰か助けてって、必死に辺りを見回しました。


 そしたら、あの車が目に入ったんです。


 私、一生懸命呼びました。助けて下さいって、お願いだから戻って来て下さいって。

 でも全然気付いてくれなくて、そのうち車もいなくなっちゃって、本当にどうしようって、凄く、怖くなって、私、今度はマミの名前を呼んだんです。何度も何度も。最後は叫びながらマミの名前を呼びました。


 マミは、目を閉じたまま動きませんでした。

 さっきよりも血だまりが広がってて、でも顔は、反対に真っ白で。


 それで、マミの腕は、可笑しな形になってました。


 バカな私でも、流石に分かりました。


 明日のケーキは作って貰えないって。


 ううん、もう、お菓子は作って貰えないって。


 それが私、悔しくって、悔しくって、泣きながらマミの名前を呼びました――。




     ◆     ◆




 目の前に、電車が到着する。

 人が乗り降りするさまを、僕はスポーツドリンク片手に眺めた。

 乗り降りする人達も、三角巾で吊られた僕の右腕を、もの珍しそうな顔で見やった。


「――それで気が付いたら、私は道路に立ってて、そしたら天使さんが声を掛けてくれたんです」

「……ふーん」


 人の波が引き、ホームは徐々に静けさを増していく。

 時刻は十時を少し過ぎた辺り。平日だからか、ベンチに座る僕達以外に人影なんぞ見当たらない。


「……昨日、荻原さんに会ってきた」


 まだ冷たさの残るスポーツドリンクを、一口喉に流し込んだ。


「取り調べが一段落したらしくて、今は裁判待ちらしいぞ」

「……そうですか」

「色々手続きがあるみたいで、判決までまだ時間が掛かりそうだって言ってた」


 ベンチの背凭れに体重を預ける。

 温い風が、目の前を通り過ぎた。


「……その時、ヘップの写真を見せて貰ったんだけど」


 手に持つ缶を、意味もなく揺する。


「あいつ、想像以上に不細工だな」

「……翔太くん、失礼ですよ」

「なんであの面でリボンなんか付けてるんだよ」

「それは、ほら、飼い主さんの趣味じゃないですか?」

「だから聞いたんだ。『荻原さん、これはギャグのつもりですか』って」

「最低ですね翔太くん」 

「そうしたら荻原さん、『僕は可愛いと思うんだけどな』、だって」

「そりゃあそうでしょうよ」

「ついでに『あのピンクの首飾り、オードリーにとっても似合ってたね』とも言ってた」

「……こんなこと言うのもあれですが、あの人、目ぇ腐ってるんじゃないですか?」

「お前も大概最低だな」

「お互い様ですよ」


 軽く暴言を吐きながら、一旦缶を置いて、額にかいた汗を拭った。


「……ヘップは、どうしてますか?」


 彼女は、前を向いたままそう聞いた。


「ずっと荻原さんの傍にいたらしい。けど調書にサインした直後に消えたって。なんか、『フゴッ』だか『ブヒッ』だか一鳴きしてったみたいだぞ」

「……成仏したんですか」

「多分」

「……そうですか」


 足元を、数匹の鳩が横切っていく。それをなんとなく見送る。


「いいなぁ」


 彼女の呟きが、この場に落ちた。

 特になにか言うでもなく、僕はもう一口、スポーツドリンクを飲んだ。


 不意に、スマホが震える。

 取り出すと、メールが届いていた。


「……橋本だ」


 本文を開く。

 読み進めていくにつれ、僕の目は虚ろになっていった。呆れて言葉が出てこない。


「天使さん、どうしたんですか?」


 溜め息とともに、彼女へ画面を見せる。


『ヤバイ! 宿題終わらない! 今超修羅場だから、今日の文殊の知恵は俺抜きでお願いします! 本当悪い! 麻美ちゃんにも謝っといて! ついでに数学教えて下さい田中さまぁぁぁ!』


 やっぱりあいつ、こういうタイプだったんだ。


「あー、そうですかぁ……まぁ、しょうがないですよねー。学生さんだもん」


 残念そうに苦笑いを浮かべる彼女を横目に、橋本へ返信した。


『了解、伝えておく。自力でやれ』


 送信し、ポケットにスマホを戻した。


「……よしっ、じゃあ今日はもう中止にしましょうっ! ね、ほら、夏休みも最後なんですから、文殊の知恵は明日からってことで。今日はパーっと遊びましょうよっ!」


 いい考えだとばかりに両手を叩く彼女。その赤縁眼鏡に一瞥くらわせ、僕はスポーツドリンクを飲み干した。


 電車がホームに到着する。僕はベンチから立ち上がった。


「翔太くん、なにしますー? 遊園地はこの前行ったばっかですしー、あ、カラオケ? それともゲーセン? プティ・ボヌールに行くのもいいですねー。でも暑いから、まずはどっかでお茶でもしますー?」


 そのまま電車へ向かう彼女を放っておいて、僕は改札に続く階段へ足を進めた。


「あれ。翔太くん、電車乗らないんですか?」

「乗らない」

「じゃあどこ行くんですか?」

「家」

「え、帰るんですか?」

「そう。コンクールの締め切り近いから、お菓子作る」

「あー、成る程。そんな季節ですもんね。懐かしいなー。私、毎年この時期になると、マミに連日ケーキ食べさせられたんですよー。太ろうがニキビ出来ようがお構いなしに」


 後ろから掛けられる声を聞き流しつつ、通り掛かりにゴミ箱へ空き缶を投げ入れた。


「コンクールに出すお菓子って、もう決まったんですか?」

「大体。あとは微調整するだけ」

「へー。なに作るんですか?」

「……リンゴとサツマイモのタルト」


 階段のステップに、足を交互に乗せていく。


「六センチのタルト型で生地を焼き、中に裏ごししたサツマイモを絞り入れる。その上にソテーした薄切りリンゴを並べて、更に生クリームを塗る。最後にわたあめをトッピングしたら完成だ」

「……美味しそうですねー」


 改札口が見えてきた。その前を通り過ぎ、反対側のホームに続く階段を下りていく。


「……私、リンゴ好きなんですよ」

「ふーん」

「ゴンはサツマイモが大好きで、翔太くんはわたあめ好きですよねー?」

「まぁ」

「……ふふ。そのタルト、すっごく美味しそうですね」

「そう」

「因みに、試作品はいつ作るんですか?」

「……今日、家帰ったら」

「へー、そうなんですかー。いいなー。食べたいなー」


 肩越しに彼女を振り返った。相変わらず馬鹿丸出しの顔で笑っている。


「最優秀賞を狙うならー、一人でも多くの味見係がいた方がいいと思いませーん?」

「……チッ、今回だけだぞ」

「やったーっ!」


 小躍りし始めるパグを無視して、早々に階段を下りた。ベンチに座り、電車がくるのを待つ。


「あ、でも翔太くん。その肩で作れるんですか? 大怪我に見せ掛けて、実は意外と良好な感じですか?」

「そんなわけあるか。不良だ不良。脱臼した箇所を中心にそこら中痛くて、両足に至っては全力疾走させられたお蔭で未だ筋肉痛に悩まされる始末。タルトだって母さんの手を借りないと作れないし、兎に角、最悪だ」

「お、おーそれは、なんと言うか、ご愁傷さまです」

「全く。あの犬、人の体を好き放題使いやがって……絶対に爆竹叩き付けてやろうと思ってたのに」

「ま、まぁまぁ。ほら、ヘップのお陰で命拾いしたんですから」


 ……まぁ、そこは、否定しない。


「それに翔太くん、ヘップが勝手に体を動かしたーみたいな言い方ですけど、本当は翔太くんがヘップに『僕を連れてけ』ってお願いしたらしいじゃないですか」


 僕の左腕が、唸りを上げた。


「うわぁぁぁぁっ! な、なにするんですかっ! 久しぶり過ぎて油断してましたよっ!」

「……誰だ。そんなデマ流した奴は」

「え、いや、あの、ヘップがそう言ってました」


 あのデブが。やっぱり爆竹の刑に処すれば良かった。無念だ。


「で、でも私、嬉しかったですよ? それもあって、未練晴らすの思い止まったんですから」

「……そのわりにお前、あの時荻原さんの手、放したよな」

「ま、まぁ、そうなんですけど……でも、ほら、結局未遂で終わったんですから、ねっ! いいじゃないですかっ!」


 へらへらと馬鹿丸出しの笑みを浮かべる彼女。

 しょうがない奴めと溜め息を吐き、背凭れに体を預ける。


「……本当に、嬉しかったんですからね」


 ぽつりと、彼女は呟いた。


「私、まだ人間のままでいられるんだって、今、凄く嬉しくって」


 穏やかな声が、隣から聞こえてくる。


「あの時、荻原さんを殺さなくて、良かったって思ってます」


 それは本心からの言葉だと容易に分かるほど、凄く真っ直ぐで、


「本当、翔太くんには感謝の気持ちで一杯です」


 少し笑い交じりに、僕へと告げられた。


「翔太くん」


 温い風が、目の前を通り過ぎる。


「ありがとう」


 彼女の一言がむず痒過ぎて、頬が熱くなった。誤魔化すように、汗を拭うフリをする。


 まだまだ続きそうな賛辞。僕は耐えられなくて、前を向いたまま早口に喋り始める。


「止めろ。なんだこの雰囲気は。吐きそうだ」

「そんな。人が折角真面目に話してるのに」

「黙れパグが。あー虫唾が走る」

「もー、いいじゃないですかー」

「五月蝿い。無駄吠えるな。不愉快だ」

「じゃあ犬が吠えてると思って聞き流して下さいよー」

「お前知らないのか。どんなに頑張ったところで、人間がパグになんてなれやしないんだぞ」

「今まで散々罵っといてヒドくないですか翔太くんっ!」

「五月蝿い」


 いつも以上に容赦ない言葉を浴びせれば、ゴリラの雄叫びが耳を劈いた。

 なに言ってるかは分からないが、先程の空気が消え去って、ほっと胸を撫で下ろす。

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