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入場ゲートの、正確には、退場ゲートの近くには、土産ものを売っている店舗が密集している。そこには衣料品、食品、小物、日用雑貨など、様々なジャンルの商品が売っており、それを買い求めて多くの人が集まっていた。
「うわー、翔太くん見て下さいよ。ブルリンの彼氏のプード・ルル
横でなにか喚いているが、特に触れることもなく、僕は自分の欲しいものを物色する。左手に持ったカゴに『ブルリンの骨型サブレ』『スピード三色饅頭』『亡霊サンドパイ』を一箱ずつ入れ、空いた右手で気になった商品を片っ端からチェックした。
「翔太くん、翔太くーん。ここに来た目的忘れてませんかー? 私達はお揃いの指輪を買いに来てるんですよー。お菓子を買うのもいいですが、あくまでも指輪がメインですからねー」
分かってるよ、と心の中で返事をし、僕は依然食料品売り場から離れない。
「……もー、しょうがないなぁ……ん、なに、ヘップ? ……やだよぉー、さっきスイートポテトもりもり食べてたじゃん。その分重くなってるから絶対抱っこは無理だって。……おんぶぅ? えー……もー、しょうがないなぁ。一回だけだよ? はい」
彼女はその場にしゃがみ、両手を後ろへ回した。
「……ぐぅっ! ヘ、ヘップちゃんや。やっぱおんぶでも重いですよ、立ち上がれませんよ。……そ、そうかな? いけるかな? ……よし……ふんぬおぉぉぉぉぉっ!」
セーラー服を着た女子高生が、雄叫びとともに老人のような姿勢で踏ん張り始めた。
「ど、どうよヘップッ! 見えたっ? 見えたねっ!? じゃあ下ろすよっ! ……やだじゃないのっ、やだがやだなのっ! 下りるのっ! ……あと十秒で下りないなら落とすからねっ! はいじゅーう、きゅーう、はーち……え、なに? ……だからさぁ……それってどれなんだよぉぉぉっ! “それ”なんて商品ないでしょーよぉぉぉぉぉっ!」
膝の震えが髪にまで伝わっている。肩口で揺れる様がのれんみたいで、見ているとわりかし面白い。
「……えっ? ………………あ、あの、翔太くん……この陳列台の、右から五列目にある、『プード・ルル雄の“それ”いかがですか?』という奴も、買って貰えますか……」
あったんだ。“それ”。
なんとなく負けたような顔をする彼女を見やり、言われた商品をカゴに入れた。
一旦食品類の会計を済まし、次は小物や日用雑貨が売っているブースに移動した。数えきれない程のブルリン関連商品が並んでいるが、生憎食べ物ではないので僕の触手は動かない。はしゃぐ彼女の後ろを、ただただ付いていくのみだ。
「うわーっ、可愛いっ! ほら見てよヘップ。ヘップそっくりなぬいぐるみが盛り沢山だよー。……いやいや、そっくりだよー。この円らな瞳といい、首のリボンといい、なによりこの体型がもうヘップそのものじゃんっ! 違いは二足歩行ってだけだよー」
……あの犬、ここまで不細工なのか。
彼女の会話を耳に入れながら、信じられない気持ちでぬいぐるみのブルリンを手に取ってみる。
ほぼ丸と言っても差し支えない体。その真ん中に結ばれたリボンが、なんとも言えないシュールさを醸し出している。そしてメスということを考慮してか、円らどころか点の瞳に取って付けた感満載の睫毛が、また僕の失笑を誘った。
「ねぇねぇ翔太くん、このぬいぐるみも一個買って下さいようわ、なに一人で笑ってるんですか。思い出し笑いですか? 思い出し笑いする人ってエロいんですよ。いやーん翔太くんのエッチすいません調子乗りましただからどうかその顔を収めて頂けませんか」
変形する程ブルリンのぬいぐるみを握る僕に、彼女は潔く左巻きの旋毛を見せた。
その姿に隠すことなく舌打ちをし、手に持つ不細工な犬を、八つ当たりの如くカゴへ叩き入れてやる。不機嫌丸出しに腕を組むことも忘れない。
「……あ、あははー、ありがとうございます翔太くん。じゃ、じゃあ次は、本命の指輪を見に行きましょうかっ! ねっ! さぁさぁ、しゅっぱーつっ!」
ぎこちない動きで、彼女は奥のアクセサリーコーナーへ向かう。そのあとを、やる気なく付いていく。
「お、これいいですねー。あ、これもいいなー。いやでも、翔太くんにはこっちの方が似合いそうだしー……翔太くん、ちょっとこれ付けてみて下さいよ」
彼女が指したシンプルな指輪を摘み、適当に人差し指にはめた。
「うーん、なんか普通ですねー。折角ですからもっとこう、お洒落で思い出に残る感じの奴がいいんですけど……あ、次はこっちを付けて下さい」
先程よりも太くてゴツいものを手に取る。趣味じゃないなと思いつつも、一応はめてやった。
「うわ、似合いませんねー。それは止めましょうか」
ちょっとイラッとした。苛立ちを逃すように息を吐き、指輪を元へ戻す。
僕の眉が歪んだのも気付かず、ああだこうだと言っている彼女。それを横目に、ずっと思っていた疑問をスマホに打ち込んだ。
『おい』
「ん、はい? あ、もしかして気に入ったものでも見つかりましたか?」
『揃いの指輪を買うのはいいが、買ったらどうするつもりなんだ』
「そんなの付けるに決まってるじゃないですか」
『幽霊がどうやって』
「そりゃあ翔太くんにお焚き上げして貰ってですよ」
『指輪を燃やすのか』
「はい」
『金属をどうやって燃やすんだ』
彼女からの返事は、なかった。
盲点、とでも言いたげに固まっている。
妙な沈黙の中、心の中で馬鹿めと呟いた。
「……べ、別に、指輪にこだわってるわけじゃないですからっ! その、お揃いなら、他のものだって全然、寧ろ、他のものの方がいいなーって、丁度思ってたところですからぁっ!」
よく分からない言い訳を始めた。ちょっと泣きそうになっている。
「さ、さぁ翔太くんっ! こんな、燃やせないものなんて放って置きましょうっ! ほら、あっちの方なんか、いい感じに燃えそうなものばかりですよっ!」
明後日の方向を指差したかと思えば、髪を振り乱して走り去っていった。一つ溜め息を吐いて、ぬいぐるみの会計を済ませてからあとを追う。
隣の店へと移る。店内を見回すと、片っ端から商品を吟味する彼女を見つけた。
「金属はダメ……ガラスもダメ……焼きものもダメだし、硬いプラスチックもダメ……うぅ……」
唸りながら探す背中に付いていく。だが一向に終わる気配がない。段々と飽きてきた。欠伸を噛み殺さずに零しつつ、なんとなしに陳列棚を見た。
すると、不意にあるものが目に止まった。
布製で、不燃物は一切なし。
徐にそれを掴み、カゴに入れてレジへ向かう。
「ちょっ、ちょちょちょっ! 翔太くんストップストップッ! え、まさかそれにするつもりですか? た、確かによく燃えそうですが、お揃いのブルリンバンダナは、ちょーっと勘弁願いたいです」
彼女は両手を広げて道を塞ぐや、カゴの中のバンダナを指して拒否の姿勢を示した。
しょうがないな。溜め息を零し、バンダナを元の場所へと返す。
それから一段と気合いを入れて漁る彼女のあとを付いていく。ああでもないこうでもないと五月蝿くて仕方ない。
段々と面倒くさくなってきた僕は、さっきからいやに目に付く商品を掴み、カゴの中にそっと忍ばせた。
「翔太くんっ、ちょっと翔太くんっ! 今入れた奴を速やかに戻して下さいっ! ちょ、なにしれっとした顔してるんですかっ。私、ちゃんと見てましたからねっ! そもそも翔太くんは、本気でお揃いの抱っこちゃんブルリンが欲しいんですかっ? こんなん腕に付けたところで、邪魔以外の何者でもありせんよっ!? お願いですからよく考えて下さいっ!」
まぁ、いるかいらないかと聞かれたら、即座にいらないと答えるだろう。
カゴから覗くサツマイモを銜えたブルドッグの抱っこちゃんを、素直に元の位置へ戻した。
「はぁ……翔太くん。見つけてくれるのはありがたいんですが、出来れば普段身に付けられるというか、持ち歩けるようなものがいいです。お洒落で思い出に残るものならなお良しです」
注文が多い。しかもなんだその、やれやれ、みたいな顔は。
イラっとしたので、すぐ横にぶら下がっていたものをむしり取り、レジへ向かって競歩した。
「しょ、翔太くん落ち着いて下さいっ! いくらなんでもブルリンパンツはないと思いますっ! 考え直しましょうっ! ねっ! 私そんなお揃いとか絶対嫌ですよっ! しかもそのパンツ超ダサいっ!」
憑依してまで僕の動きを止めた彼女。
しかし意地になった僕は、ブルリンパンツを戻そうとする彼女に思い切り抵抗してやった。
「ちょ、翔太くん言うこと聞いて下さいよっ!」
「嫌だ」
「本日初喋りがそれってなんなんですかっ! 翔太くん、お願いですから冷静になって下さい。いいですか、パンツですよ? 翔太くんは私とお揃いのパンツなんて履きたいんですか? どう考えたって履きたくないですよね? じゃあほら、大人しく右腕の力を抜いて下さい」
「断る」
「なんでだよぉっ! そこまでしてお揃いのパンツを履きたいんですかっ!? あぁそうですかそうですか分かりましたよっ! 翔太くんがそんなにこれがいいって言うならね、私も覚悟を決めますよっ! あぁ決めてやりますともさっ!」
ヤケクソのように叫ぶ彼女の声を聞いたら、冷静な自分が速やかに帰ってきた。
なにやってんだろう。あまりの馬鹿馬鹿しさに失笑を零し、なにごともなかったかのような顔で抵抗を止めた。
直後、凄い勢いで棚に戻るパンツ。その拍子に指をぶつけた。痛い。
「え、あ、もういいんですか? そうですか……はぁ……」
彼女の溜め息とともに、体が自由になる。軽い眩暈に襲われるも、座り込む程ではない。
目を瞑り、深呼吸して眩みをやり過ごした。
「……ん? ……えぇー、ヘップもぉ? ……うーん、しょうがないなぁ、特別だよ? 翔太くん翔太くん。ヘップもお揃いのものが欲しいそうなので、買うのは三つでお願いしますね」
陳列棚を一つ一つ見ながら、焚き上げられて、お洒落で、思い出に残る品を探し回る彼女。だが一通り店内を巡るも、これぞという品はなかったようだ。
しかし、彼女は諦めずに、また違う店へ突撃していった。
そこは犬用のアクセサリーを取り扱っているらしく、至るところに服やらオモチャやらが並んでいる。
「うわっ、ヘップちょっと来て来て。……ぶふっ、ヘップこれ超似合うよっ。なんていうか、お相撲さんが着ぐるみパジャマ着たみたいでちょいちょいちょーい。やだなーヘップ、冗談だよ、冗談。だからその歯を仕舞ってちょうだい」
またやってるよと呆れつつ、壁を覆う服の数々を眺めた。小型犬から大型犬まで各種サイズが取り揃っており、犬好きには堪らないのか、先程から大量に商品をカゴへ入れる客がそこかしこに見受けられる。犬どころか、生き物なんて飼ったことのない僕には縁遠い感覚だ。
「あ、ヘップこれ似合うんじゃない? ブルドッグってトゲトゲした首輪付けてるイメージあるし……まぁ、確かに可愛くはないけどさぁ、こっちからすればブルドッグが可愛さ語るなって話だしうっそー。嘘だからー、足を退かしてー。私のももにー、爪が食い込んでるからー」
随分と楽しそうな歌を歌う彼女はさて置き、僕はこの店の隅にあるオーダーメイドサービスの案内を見ていた。好きな素材で、好きな大きさの、この世に一つしかない愛犬の名前入りアクセサリーが作れるらしい。
そして選べる素材の中に、レザーがあった。
『おい』
「あ、なんですか翔太くん。今度は犬用のパンツでも見つけたんですか?」
『レザーのアクセサリーなんてどうだ』
「お……おぉっ! そ、それですよっ! そういうのですよ私が求めていたのはっ! いいですねいいですねぇ。革なら燃えますし、アクセサリーだったらいつでも身に付けてられますもんねっ! お揃いのアクセサリーかぁ、中々お洒落じゃないですかぁ。よしっ、それにしましょうっ!」
ご機嫌に拳を突き上げる彼女を連れ、オーダースペースに移動する。小さなカウンターがあって、エプロンを付けた職人であろう男性が座っていた。完成イメージの写真がいくつか置かれ、奥には作業用の道具が並んでいる。
「翔太くん、あれ、見間違いですかね? 私の目にはどう頑張っても『犬用アクセサリー』って文字が見えるんですけど」
なんか聞こえたが、気にせず男性に声を掛けた。
「すいません。アクセサリーを三つお願いしたいんですが」
「え、嘘ですよね翔太くん。嘘って言って下さいよ」
「はい、ありがとうございます。では、こちらにお座り下さい」
促されるままに座ると、メニュー表のようなものが目の前に広げられた。
「今回は、どういったものをお求めですか?」
「あの、犬と揃いのものが欲しいんです。なので人間が使っても可笑しくないような、例えば身に付けられたり、普段使えるものがあればと思ったのですが、どうでしょうか」
「あ、あー、成る程。そういうことでしたかー。なーんだ、いや、びっくりしましたよ。翔太くんってば、もしかしてそういう趣味があるのかと、本気で心配になったじゃないですかー」
頭を掻くフリをして、彼女に裏拳を入れる。
「お客様。それでしたら、こちらの首輪はいかがでしょう」
そう言って勧められたのは、タグの付いたシンプルな首輪だった。
「上品なデザインですから、どなた様でもお似合いになると思います。サイズも小型犬から超大型犬用まで各種取り揃えてございますので、お客様のご希望に合わせた長さにも出来ますし、犬用の金具でもよろしければブレスレットなどにも加工可能ですよ」
「そうなんですか。あ、あの、一つお願いがあるんですが、うちの犬、金属アレルギーなんですよ。なので、出来れば金具とかは使わずに作って頂きたいんですが」
「金具を、ですか……因みにお客様、ステンレスはお使いになられましたか? 金属が苦手な子でも、ステンレスなら抵抗なく身に付けられる場合があるのですが」
「あー、前に一度使ってみたんですけど、ステンレスも体に合わなかったみたいで」
「そうですか……でしたら、縛るタイプにしてはいかがでしょう?」
職人さんはカウンターの下からスケッチブックを取り出し、鉛筆を滑らせた。
「本体部分にはレザーを、縛る部分には細い革のコードを三つ編みにしたものを使用します。このようにリボン結びにして頂いても可愛いですし、脇に垂らしてもお似合いだと思いますよ。金具を使わない分解けやすくはなりますが、これでしたらワンちゃんの負担も減るかと」
彼が書いてくれた完成予想図を見ながら、これなら燃やせそうだと一人頷く。横にいる彼女に視線を送れば、目を輝かせてオッケーサインを出してきた。
「じゃあ、それでお願いします」
「かしこまりました。では、使用するレザーを選んで頂けますか? こちらに見本がございますので、気になるものを言って頂ければお持ちしますよ」
目の前に置かれたファイルを捲れば、様々な種類、太さ、素材の革が数十種類並んでいた。
「うわー、沢山あるんですねー。うーん、どれがいいかなぁ……え? あぁ、そうだね。翔太くん翔太くん。ヘップも自分で選びたいから、ちょっと膝に乗せて欲しいそうです。犬目線じゃあカウンターしか見えないみたいで」
聞こえなかったことにして、次のページを捲る。
「……あれ、翔太くん? 翔太くーん。……ヘップー、ダメだってさー。……いやー、抱っこはちょっとー……おんぶもちょっとー……ほら、あれだよ。私がヘップにぴったりなのを選んであげるからさ、ここは大人しく引いてみようか。……し、失敬なっ! 私だってっ、ちょっと前まで流行に敏感な女子高生だったんだからねっ! 人並みのセンスくらいあるんだからっ!」
犬の声は聞こえないが、なにを言ったかは想像が付く。大いに同意しよう。
「兎に角っ、おんぶも抱っこもしないからねっ! 諦めて私に身を委ねなさいっ! ……はーん、聞こえませーん。文句は受け付けませーん。さーて選ぼうかなー、ヘップに似合う革はーっとぉ…………え?」
突如、彼女は固まった。目どころか鼻の穴も開いて、一点を凝視する。
「……ちょ、ちょっ、ヘップッ、ヘップちゃんっ! あんた……っ、その短足でっ、カウンターまでジャンプ出来たのっ!?」
驚愕の面持ちで、彼女はファイルの脇辺りに詰め寄った。
「てゆーかっ、飛び乗れるなら最初からすれば良かったじゃんっ! 抱っことか強請らないでよっ! 私抱っこし損じゃんっ! ……なにが甘えん坊だっ! 梅干しの親分みたいな顔の甘えん坊がどこにいるってごめんなさいヘップは可愛い小梅ちゃんですっ!」
五月蝿い。
店内を走り回る彼女と追い掛けているであろう犬に心の中で悪態を吐きつつ、見本のページを捲っていく。
「ほ、ほらっ、ほらヘップッ! こんなことしてないでっ、早く素材を選ばないとっ! 翔太くんドエスだからっ、もたもたしてたら変な奴にされちゃうよ絶対っ! それでもいいのっ!? ……ふぅー、危なかったー……」
犬の気が納まったのか、追い掛けっこは無事終了したらしい。額の汗を拭きながら、カウンターまで戻ってくる。
おかえり代わりに、ドエスな僕から背伸びに扮したアッパーをお見舞いしてやった。
「うおぉぉっ! え、翔太くん。今のは偶然ですか? それともわざとですか? わざとなら泣き咽びますよ。うえーん、翔太くんがいじめるー。麻美悲しいー」
いいから選べ、という意味を込めて、見本を指で軽く叩く。ついでに少々の苛立ちを視線に込めれば、彼女は素直にファイルを覗き込んだ。
「……オレンジ可愛いなぁー。あ、でもこの赤い奴もいいしー……え、ヘップそれにするの? えぇー、止めといた方がいいと思うよぉ? ……そりゃあ飼い主さんだもん。ヘップがなに付けたって可愛いって言うだろうけどさぁ。……いやー、ただでさえリボン付けてて面白いのに、そこにショッキングピンクなんか被せたら、それはもうただのコントだようわぁぁぁぁっ! いやっ、ヘップがいいならいいんだけどねっ? ……うんうんっ、そうだねっ! 女の子が一番可愛く見えるのはやっぱりピンクだよねっ!」
どうやらこのブルドッグは、ショッキングピンクにするつもりらしい。
……これを注文しなければならないと思うと、とても恥ずかしいのだが。
「え、えーっと、じゃあ私は……うん、じゃあ翔太くん。ヘップはこのピンクで、私はオレンジのこれでお願いします」
「……すいません。この、ピンクのと、オレンジのと、あと、緑のこれをお願いします」
「あっ、翔太くん翔太くんっ。これっ、縛る部分の革はこれにしましょうよっ! 三つとも同じのにしたら、お揃い感アップですよっ!」
「……縛るところは、この茶色いこれで」
彼女の猛プッシュする一番革らしい革を指差した。
すると完成図をイメージしやすいようにか、職人は実際にレザーを持ってきてくれた。鞣された生地は艶やかで、如何にも高そうな輝きを放っている。
「タグは、こちらの革と同じ素材でよろしいでしょうか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「かしこまりました。では次に、首輪部分の大きさを決めたいので、ワンちゃんのお名前と犬種をお聞かせ願いますか?」
「はい。えっとこのピンクのが、ヘップという名前のブルドッグが付けます」
と言ったら、急に右足が重くなった。
「あ、翔太くん。ヘップが抗議してます。あだ名じゃなくて、ちゃんと本名を入れて欲しいそうです」
……本名?
「あれ? 言ってませんでしたっけ? ヘップの本名、オードリーですよ」
なんだと。
「なんか、飼い主さんがオードリー・ヘップバーン好きなんですって。でもこの顔でオードリーって、もう笑いを通り越すなにかがあるじゃないですか? だからあだ名でヘップです。本当はバンバンにしようと思ったんですけど、ブルドッグの本気の抵抗にあいまして、やむを得ずヘップで妥協することに」
「……すいません。やっぱり、名前は、オードリー、って、入れて下さい」
もの凄い抵抗を感じつつも、きちんと頼んでやった僕は偉いと思う。
「ブルドッグの、オードリーちゃんですね。でしたら……こちらの中型犬サイズでよろしいでしょうか?」
出された首輪の見本を一瞥し、横にいた彼女へ視線を送る。
凄い勢いで首を横に振られた。指で天井を差し、サイズを上げろと訴えてくる。
「……もう少し大きいものにして下さい」
「ではワンサイズ上のこちらでどうでしょう?」
横から、無理無理、というサインを送られる。
「……もう少し大きいものに」
「そうしますと、大型犬サイズになりますがよろしいですか?」
横からゴーサインが出された。
「……それでお願いします」
「かしこまりました。ではこちらのサイズで、タグには、えー、『Audrey』と入れさせて頂きますね」
「ちょ、ちょっとヘップ怒んないでよ。……そりゃあ私も女の子だから、ワンサイズ小さい服を着たいっていう気持ちも分かるけどね? でもそんな見栄張ったところで、結局困るのはヘップなんだからさ。それだったら、最初から己のサイズ感を受け止めた方がいいんだって」
なにやら揉めているようだが、放っておく方向で先に進める。
「この緑のは、僕が使います」
「こちらはどういった加工に致しますか?」
「そうですね……デザインはブルドッグのと同じで大丈夫です。ストラップにして使いたいので、一番小さいサイズの首輪で作って頂けるとありがたいです」
「では超小型犬サイズでお作り致しますね。タグにお名前は入れますか?」
「あ、じゃあ翔太と入れて下さい」
かしこまりました、と言いながら、職人は注文票らしき紙に細かい設定を書き込んでいく。
「では、こちらのオレンジの首輪は、どなたがお使いになられますか?」
「これは、麻美という名の……」
彼女の顔をちらと見やる。
「……パグが使います」
「ひ、人ですからぁぁぁぁっ!」
「はい、パグの麻美ちゃんですね」
「ちょっ、ちょっと待って下さい職人さんっ。違いますからっ! てゆーか、え、翔太くん、今私の顔見てパグって言いましたよねっ? ねぇっ、言いましたよねぇっ!?」
「あいつ小太りなんで、大きめのサイズでお願いします」
「そんな嘘教えないで下さいよぉぉぉぉーっ!」
「ではこちらのサイズで、タグには『Asami』と」
「待って下さいお願いですからっ! ほ、ほら、翔太くん、ブルドッグとパグの飼い主だって思われてますよ。いいんですか? 不細工と不細工の飼い主ですよ? どんだけ不細工好きなんですか。そんな性癖暴露された職人さんの身にもなって下さい。客の前だからって我慢してるけど、本当は転げ回って笑いたいに違いありません。ね、可哀そうでしょ? ですから私のことは、是非ポメラニアンとでも」
「じゃあ、一時間後に取りに来ますね」
「ちょっ、聞いてますかっ? 翔太くんっ? 翔太くぅぅぅぅぅーんっ!」
なにかパグらしき遠吠えが聞こえるも、気にせず店をあとにした。
◆ ◆
「ありがとうございました」
頭を下げる職人に見送られ、商品片手に店を出る。人気のないベンチへ座り、中のものを取り出した。
「おー、可愛いじゃないですかー。あの職人さん、いい仕事しますねー。いやー、しかしピンクのデカいなぁ。……うんうん、そうだねー。私が悪いんだよねー。知ってる知ってる。よし、じゃあ翔太くん。早速お焚き上げちゃって下さいっ!」
楽しそうに揺れる彼女のリクエストに応え、魔法の袋の中に放り込む。
五秒程待てば、一個約四千円する革の首輪が、あっという間に消し炭と化した。
「……いいですねー、首輪には見えないお洒落さですよー。……あ、はいはい、ちょっと待ってねー。……うん、サイズはぴったりぶはっ、よ、よく似合うよヘップ。そのリボンとピンクが相まって、ほら、なんだっけ、あれに似てるよ。……ううん違う、チワワじゃなくて……ダックスフンドでもなくって……あ、あれだ。化粧まわし付けた土佐犬」
って言った途端、一人で楽しそうに叫び出した。
目の前を全力で走り回る彼女には触れず、ポケットからスマホを取り出す。緑の首輪を、元々付けていたストラップに引っ掛け、固く縛り上げた。揺らしてみれば、それなりにスマホと馴染んでいる。
高校生が持つには些か過ぎた代物な気もするが、図らずとも、気分は高揚した。
「はぁ、はぁ……ヘ、ヘップちゃんや。ごめんね、ちょっと言い過ぎたわ。だから落ち着いて下さいな。ほら、ヘップちゃんだって無駄に運動するの嫌でしょ? ……ふぃー……ふふー、お揃いだねー。どこに付けようかなぁ……うーん……ねぇねぇ翔太くん。これ、どこに付けたら一番可愛いと思いますか?」
彼女はオレンジの首輪を掲げて聞いてくる。
僕は付けたばかりの緑色を揺らしながら、携帯の画面を彼女に見せた。
『首』
「いやいや、私人ですからね? 人は首輪なんて付けませんからね?」
『首輪とは、本来首に付けるものなんだぞ』
「じゃあ翔太くんもそれ首に付けて下さいよ」
『そんな変態染みた真似出来るか』
「だったら変態染みた真似薦めないで下さいよっ!」
『大丈夫。お前パグだから』
「どう見たって人間でしょうがぁぁぁっ! 大体パグってっ! もっと他にあったでしょっ、豆柴とかさぁっ! あの時の恨みはまだ忘れてないですからねぇぇぇっ!」
相変わらずいいリアクションするなぁ、と全く関係ない事を思いつつ、今度はちゃんと答えてやった。
『腕。ブレスレットみたいに巻く』
「……お、おぉ。成る程とは思いますが、なんか、翔太くんから普通の答えが返ってくると、逆に違和感ありますね」
じゃあこれからも存分におちょくり倒してやるよ。
「……あ、これ……意外に難しいですよ。よく考えてみれば、片手で縛らなきゃいけないんですもんね。……あぁー……うぅー……ねぇねぇヘップ。ちょっとここ押さえててよ。……あぁっ、あーもう……っ、ふぎぎぎぎぎっ!」
手じゃ上手くいかないからって、とうとう自分の歯を使い始めた。革に噛み付く彼女の顔は、それはそれはワイルドである。
こいつ、本当にゴリラなんじゃないかと思いながら、込み上げてくる笑いを必死で押し殺した。
「……ぃよしっ、出ー来たっ! ほら、翔太くん見て見てー。私、結構似合いますようわ、どうしたんですかその顔。はっきり言って気持ち悪いですよ。やっぱりエロいんじゃそんなことないですよねー、知ってます知ってます。ちょっとおふざけが過ぎました、てへ」
冷や汗を垂らして舌を出す彼女。学習しない奴だと溜め息を吐き、握った拳を下へ下ろす。
緩めた掌で買った大量の土産達を掴むと、僕はベンチから立ち上がった。
「あ、次はどこ行きますか?」
『サービスカウンター。この手荷物を全部宅配して貰う』
「あー、それがいいですねー。そんなに沢山あったら、アトラクションに乗るのも大変ですからねー」
うんうんと頷く彼女には目もくれず、サービスカウンター目指して歩き出した。
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