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「あ、翔太くーん!」
前方から、彼女が手を振って現れた。
「こんにちはーってゆーか、もうこんばんはですかねー?」
いつも通りの締まりのない笑みを一瞥し、僕は手帳を取り出した。
「あ、なんですかそれ。生徒手帳ですか?」
彼女の問いには答えず、目当てのページまで紙を捲る。
「……焼き肉を、腹一杯食べたい」
僕がそう言うと、締まりのない笑みが呆けた間抜け面に変わった。そのままなんの反応も返さない彼女。若干腹の立つ態度だが、眉を顰めるだけに留め、再度『焼き肉を、腹一杯食べたい』と繰り返した。
「え……え? 翔太くん、お腹一杯焼き肉食べたいんですか?」
「違う」
「あ、え?」
「……焼き肉を、腹一杯食べたいか」
「……あ、それ、私に聞いてます?」
「そう」
「えー、えっと、そうですねぇ。まぁ、食べたいっちゃー食べたいですかねぇ」
焼き肉の箇所に、ボールペンでマルを付けておく。
次。
「宝くじを当てたい」
「……もしかして、それも私に聞いてます?」
「そう」
「そ、そうですねー……宝くじかー……」
「あと五秒」
「え、制限時間付き?」
「考えるな」
「じゃ、じゃあ、宝くじは、結構ですっ」
宝くじの箇所に、バツを付けておく。
次。
「富士山に登りたい」
「富士山は……登らないですかねー」
「沖縄に行きたい」
「おー、沖縄いいですねー。海なんか入ったら楽しそうですねー」
「ゲーム三昧」
「微妙ですね。なきにしもあらずです」
「好きなアイドルに会いに行きたい」
「アイドルじゃないんですけど、会ってみたい芸能人はいますよ」
「猫を抱き締める」
「まぁ、猫好きですけど……」
「徹夜でカラオケ」
「……あのー?」
「ジェットコースター乗りまくり」
「あのー、翔太くん?」
「飲酒」
「ちょ、ちょちょちょっ! 翔太くん、え、な、なんなんですか?」
手帳から顔を上げれば、困惑した彼女が両手を上下に振り回していた。
「……いいから僕の質問に答えろ」
「いや、それは別にいいんですけど、でもせめて質問の狙いくらいは教えて下さいよ」
「友達と遊び倒したい」
「……はぁー……まぁ、楽しいですよね」
「二次元の嫁と結婚したい」
「え、なんですかそれ」
「さぁ」
「さぁって、え、自分で聞いといて?」
「頭を撫でられたい」
「……ま、まぁ、撫でられたら、嬉しいですよ?」
「異性と手を繋ぎたい」
「……繋ぎたくない、わけじゃないんですけどぉ、ちょ、ちょっと、恥ずかしいですねー」
「彼氏とデートしたい」
「えっ、か、彼氏って、え、えっ?」
「好きな人とキスしたい」
「ちょっ、しょ、翔太くんっ!?」
「お揃いの指輪を買いたい」
「……しょ、翔太くん……」
「記念のプリクラを撮りたい。一緒に観覧車へ乗りたい。思い切って告白したい……」
ふと、彼女の声が聞こえないことに気が付いた。どうしたのかと再び顔を上げる。
いつもより血行のいい顔で、僕を凝視する彼女がいた。
「……なに」
「……翔太くん、そ、それって……そういうことだったんですねっ! はいはいはい、やーっと分かりました。いやー、鈍感ですいません。そうですよね。相手の好みをリサーチするのは大切ですし、自分に脈があるのかも気になるところですよねっ!」
なんか、喋り出した。
「あぁ、でも困っちゃうな。だって私は幽霊だから、頭を撫でて貰うことも手を繋ぐことも出来ないし……ううん、ダメよ麻美。そんな小さいこと気にしちゃ。誰だかも言ってたじゃない。恋愛は自由だって。人を愛するのに、男も女も、生も死も、なにも関係ないんだからっ。さぁどんとこい翔太くんっ! あなたの想い、しかと受け取ってみせるわっ!」
遠慮なく、手帳の角で袈裟斬りしてやった。
「うわぁぁぁぁっ! あっぶなっ! え、あれ、そういう話じゃなかったんですか?」
「止めろ。不愉快だ」
「ヒ、ヒドいっ! 乙女心を弄んだの嘘です嘘ですー、勘違いした私が悪かったんですー」
彼女はホールドアップしながら、右手を振りかざす僕から数歩下がった。溜め息とともに腕を下ろす。
「……あのー、翔太くん?」
「……なに」
「あの、本当にどうしたんですか? 急に焼き肉を食べたいとか、その、デ、デートとか」
戸惑ったように眉を下げる彼女から目を逸らし、僕は手帳を見直した。
「……アンケート結果。これ」
「アンケート、ですか」
「そう」
「なんの?」
マルを付けた項目を指でなぞり、確認する。
「……もし明日死ぬとしたら、自分は今からなにをするか」
呆けた声を上げる彼女を無視して、中でも特に反応が良かった回答をピックアップしていく。
「……わざわざ、調べてくれたんですか……私の為に」
「違う。お前の為じゃない。自惚れるな」
手帳から一切目を逸らさず、少し早口でそう告げる。
決して動揺しているわけではない。たまたまだ。
「……へへ……そっか。うん、はい」
唐突に彼女が笑った。どうせ馬鹿丸出しの顔でも晒しているのだろう。
僕は、敢えて、目線を向けなかった。
「翔太くん、翔太くん」
「……なに」
「そのアンケート結果って、まだまだあります?」
「……あと三ページくらい」
「沢山ありますねー、えへへ」
彼女はまた笑う。僕もまた、その顔を見ない。
「そのアンケートって、誰に取ったんですか?」
「……クラスメート」
「聞いて回ったんですか?」
「……そこまでじゃない」
「そうなんですかー、ふふっ」
三度目の笑い声に、僕はようやく視線を前にずらした。
「……おい」
「むふふー、なんですかー?」
「さっきから気持ち悪い」
「へへー、ごめんなさーい」
「敬語」
「すいませーん」
「……その顔、どうにかしろ」
「努力しまーす」
両手を頬に当て、未だ締まりのない表情を浮かべる彼女。それを見ていると、もやもやというか、むずむずというか、なんとも形容し難いものが胸の内に募っていった。
なんで僕がこんな思いをせねばならんのだ。もやもやが、段々と苛々に進化していく。それらを溜め息とともに一旦体外へ吐き出し、改めて彼女を見やった。
赤縁の眼鏡の奥が、緩く弧を描いていた。
吐き出したはずのもやもやと苛々が、舞い戻ってくる。それどころか、体の中でどんどん大きく膨れ上がり、今すぐ発散しなければ爆発してしまいそうなほど苦しくなった。
だから僕の拳が唸りを上げたのも、最早必然としか言いようがない。
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