第四章
1
「……なぁ田中」
「……なに」
「……俺、薄々気が付いてはいたんだけどさ」
「……ん」
「……これ、二人で買い出しする量じゃなくね?」
僕と橋本の両手両肩には、国内最安を謳う大型ディスカウントショップの袋が計八つも提げられている。
「……二人いれば大丈夫だって言ったの、橋本だろ」
「……あの頃の俺は若かったぜ」
お互いシャツの色が変わるほど汗を掻き、炎天下の中、只管駅を目指した。
「あぁー……あちぃ」
橋本の独り言に内心頷きつつ、一度荷物を担ぎ直す。袋の端から飛び出たすだれが、僕の頭を軽く小突いた。
夏休みの何日かは、学校に集まって文化祭の準備をしなければならない。
うちのクラスは毎週火曜と金曜に活動日を設けており、参加メンバーはローテーションで回ってくる。今日は僕の担当日で、午前中からみんなで作業に没頭していた。
昼休憩を挟み、さぁ続きを始めようとしたその時、クラスの女子がこう言った。
『ごめん、誰か買い出し行ってきてくれない?』
どうやらペンキとガムテープが無くなったらしい。
丁度手が開いたからと立候補したのだが、よくよく話を聞いてみると、経費節減の為、隣の駅にあるディスカウントショップまでわざわざ赴かなければならないとのことだった。
まぁ、それくらいならいいか、と、最初は思っていた。
しかし、一緒に行く橋本が、なにを血迷ったのか、
『どうせなら、小道具とか全部纏めて買ってきちゃおうぜっ!』
と、快活な笑みで提案したのだ。
いや、無理だろうと止めたのだが聞く耳を持たず、じゃあせめて人数を増やそうと言っても大丈夫だと言い張り、結果この照り返しのきつい道を、血糊やらパーティグッズやらを担いで歩く羽目になった。
恨めしい気持ちで隣を見やる。そこには、ことの元凶がいる、はずだった。
だが実際は車が通り過ぎていくだけで、あの快活な笑顔の持ち主など存在しない。
あいつ、どこ行った。
立ち止まって後ろを振り向くと、三メートルほど離れたところで一点を見つめる橋本の姿があった。
なにやってんだ。
「……なぁ田中」
「……なに」
「……アイスレモネードって、美味そうじゃね?」
橋本の視線の先にあるのは、道路の反対側に建つ一軒のカフェ。
入り口の横には、『新商品 アイスレモネード ~この夏にぴったりの清涼感を、あなたに~』という文字と、アイスレモネードらしき写真が貼ってあった。
汗を掻いたグラスには氷がたっぷり入っており、その上に乗ったミントの爽やかさと言ったら、もう。
思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。
◆ ◆
「っかぁぁぁぁーっ、生き返るぅー」
ストローから口を離し、橋本は椅子に凭れ掛かった。僕も一心不乱に吸い続け、この夏にぴったりの清涼感を存分に味わう。
「いやー、極楽極楽。クーラーって本当に素晴らしいよな」
然もありなんと頷く彼は放っておき、レモネードと一緒に頼んだミルクレープを一口頬張った。
クリームは固めで甘さ控えめ、生地は少しもっちりしている。ピースは大きめだが、全体のバランスも良く、これなら飽きずに食べ切れるだろう。
強いて言えば、レモネードじゃなくてアイスティーにすれば良かった。少し後悔。
「お、そのミルクレープ美味そうじゃん」
「あげないよ」
「そう言われると余計食べたくなるんだよなー」
「あげないよ」
「このモンブランとトレードだとしたら?」
「いいよ」
「あざーっすっ」
皿を交換して、僕はモンブランにフォークを突き刺した。
断面はスポンジ、生クリーム、黄色い糸状のクリームの三層。スポンジ少なめで重くなるかと思いきや、驚くほどクリームの口当たりは軽く、ほんのり混ざった栗の粒がいいアクセントになっている。
だが、やはりこれもアイスティーの方が合うな。
「……田中って、本当にケーキ好きなんだなー」
ふと我に返れば、前に座る橋本がしみじみと僕を眺めていた。
なんとなく気恥かしくて、さっさとモンブランを突き返す。
「あ、そういえばさ、田中この前図書館でケーキの本見てたじゃん。なんか作った?」
「うん」
「なに作った?」
「……タルトタタン、チーズケーキ、オレンジムース、シュークリーム、アップルパイ、クレームブリュレ、フォンダンショコラ、シフォンケーキ、あとは、フィナンシェかな」
指折り数えていると、唐突にその手を握りしめられた。
「田中さんや」
「……なに」
「もしよろしければ、今度の火曜にフィナンシェを作ってきてはくれまいか」
「……いいけど」
「よっしゃっ! やー、サンキューサンキュー。俺、フィナンシェすっげー好きなんだ」
橋本は本当に嬉しそうに笑った。待ちきれないのか、自作のフィナンシェの歌まで口ずさみ始める。
浮かれ過ぎじゃないかと思いつつも、まぁ、悪い気はしない。
「しかしあれだな。こう一度腰を落ち着かせてしまうと、二度と外へは出たくないな」
「そうだね」
「はーぁ……なんでこんなに荷物あんだろ」
橋本は、自分の隣に鎮座する袋達を疎ましげに見やった。僕はそれを鼻で笑う。
「自業自得だろ」
「ま、まぁ、それはそうなんだけどさ。根本的な話、お化け屋敷ってこんな大変だとは思ってなかったわけよ。ほら、俺達これでも受験生じゃん? 貴重な夏休みの勉強時間削ってると思うと、なんでお化け屋敷に決まってしまったのかなと思うのですよ」
「……僕の記憶が正しければ、お化け屋敷の案出したの、橋本だよな」
「若気の至りって奴だな」
あははーと空笑いを浮かべ、ストローを齧る橋本。
「ま、俺は就職組だし、受験とか関係ないからいいんだけどさ」
じゃあなんで勉強云々の話を出したんだ。
「田中は? 進学?」
「進学だけど専門学校だから、僕もあんまり関係ない」
「へー、パティシエの?」
「そう」
「おーいいねぇ」
なにがだ。
「あ、そういやさ。田中ってお化け班だっけ?」
「そう」
「当日はなにやんの? やっぱあれ? 白装束着る感じ?」
「馬男」
「は?」
「馬男。馬面被って客の後ろをずっとついてくる男」
「なんかすげー妖怪だな」
そもそもこれは妖怪なのだろうか。仮に妖怪だとしたら、お化け屋敷に妖怪が出没してもいいものだろうか。
そこのところは甚だ疑問だが、班内ですでに可決してしまったことなので、僕は敢えて突っ込まなかった。
「……なぁ、田中」
「なに」
「……もしかして、蛙男もいるのか?」
橋本の手には、先程買ったばかりの蛙のマスクが握られている。
「大仏男もいるよ」
僕は大仏のマスクも取り出してみせた。
「そいつらが延々追い掛けてくるんだろ?」
「そう。たまに三人揃う」
「地味にこえーな」
僕もそう思う。
「橋本はなにやるの」
「俺は受付とこんにゃく係」
「こんにゃく係……」
「そうそう。上から吊るしたこんにゃくを客に叩き付ける係」
「ふーん」
「……あの」
唐突に、第三者の声が入ってきた。
見れば、母さん世代の女性が、僕達のテーブルのすぐ脇に立っていた。
「お話中ごめんなさい。少しお時間いいですか?」
「あ、はい。大丈夫ですよ」
橋本が快く応じると、女性は少し顔を緩ませる。
「今年の三月に、この近くで轢き逃げ事件がありました。私達はその犯人と目撃者を探しています。どんな小さなことでもいいです。なにか心当たり、情報、その他なんで構わないので、もしなにか気付いたことがあれば、この番号に連絡を下さい」
そう言って、女性は手作りのチラシを僕らに渡した。最後に深々とお辞儀をしてから、隣のテーブルへと向かう。
「……轢き逃げだってよ。やだねぇ」
顔を顰めてチラシを見る橋本。僕もそれに目を落とす。
彼女だった。
「被害者は、俺達の一個上か」
卒業証書片手に、友達らしき女子生徒と肩を組んでいる。
「これ、一時期話題になったよな。『すぐ隣の駅じゃーん』とか言ってさ」
赤縁の眼鏡がずれるのもお構いなしにはしゃいで、
「まだ犯人捕まってねーんだ」
見覚えのある、馬鹿丸出しの笑顔を浮かべていた。
「……あの人、被害者の母親かな」
橋本の目線の先には、客一人一人に声を掛け、チラシを配っては頭を下げる先程の女性がいた。
「親は……辛いよなぁ」
彼女と似た雰囲気の顔には、どこか疲れた色が映し出されていた。
「…………橋本」
「ん?」
「……変なこと、聞くけどさ」
僕はもう一度、チラシの中の彼女を見やる。
「もし明日死ぬとしたら、お前、今からなにやる」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます