第三章
1
買い物メモを見ながら、目当てのものを次々とカゴに入れていく。
無塩バター、クリームチーズ、小麦粉、砂糖、チョコチップ、クッキングペーパー、カップ型のシート。ついでにアーモンドプードルも買っておくか。
今日は、新和台から二つ手前の駅にあるショッピングモールへと来ている。
僕のお目当ては、製菓材料専門店『プティ・ボヌール』。小麦粉だけでも常時十種類以上取り揃えてある、僕にとっては正にパラダイスも同然の場所だ。
ここに来るたび、テンションが上がってついつい買い込んでしまう。現に一葉さんがお亡くなりになられた。今は英世が一人、財布の中で寝転がっているだけだ。
まぁ、これも必要出費だ。無駄使いではないのだから良しとしよう。
保冷バックに傷みやすいものを入れ、残りは片手にぶら下げる。あとはスーパーで卵と果物を買えば終わりだ。
店のロゴ入りのお洒落な紙袋を揺らしつつ、一階の一番端目指してモール内を突き進む。
賑わうメインストリートを歩いていると、突如、僕の右足が動かなくなった。前のめりになる体を留め、咄嗟に目線を下に落とす。
そこには、足を引っ掛けるようなものなど、どこにも見当たらなかった。
僕の足以外、なにもないのだ。
……まさか。
「はぁーあいー、ヘップどうした、あぁぁぁぁっ! こ、こんにちは翔太くんっ! うわーっ、こんなところで奇遇ですねっ。もしかしたら私達、運命の赤い糸で結ばれてるのかもしれなうわ顔怖ぁっ!」
出た。
僕の行く先行く先現れやがって。こいつ、ストーカーの類か。
「お、怒らないで下さいよー。今日は本当たまたまで、あ、あれですよ? いきなりヘップが遠吠えしたから来ただけなんですよ?」
余計なことを。
右足にいるであろう見えないそいつを、遠慮なく睨み付けた。
「……あれ? あっ! その紙袋、あそこですよね。プティ・ボヌールの奴ですよね?」
少し、驚いた。こいつ、こんな馬鹿丸出しのくせして、あそこの店を知っているのか。
「私も生前よく行きましたよー。オリジナルブランドのドライフルーツがすっごい美味しいんですよねー」
味の良し悪しは分かる幽霊らしい。馬鹿丸出しのわりに。
「私は特にメロンが好きでしたっ! あの香り、濃縮されたうま味、ドライなはずなのにどこかジューシーで……世の中にはこんなに美味しいものがあるのかと、当時は週二袋のペースで食べたもんですよー」
「……へー」
「しかもあそこって、色んな種類の小麦粉があるじゃないですか。私、最初見た時、所詮小麦は小麦だろって思ってたんですよ。けど、食べ比べてみると全っ然味が違うんですよねっ!」
「そうだね」
「スタンダードなバイオレットもいいですけど、個人的にはドルチェと全粒粉を八対二の割合で使ったタルトタタンが最高に美味しいと思いますっ!」
「あぁ、あれは確かに美味い」
「はいっ! ドルチェのしっとり感と甘い風味。そこに全粒粉の香ばしさと独特の食感が加わって、キャラメルを纏ったリンゴと一緒に食べると……もぉぉぉぉっ! たまらんっ! あー、思い出したら食べたくなってきたぁぁぁーっ!」
「へー、お前、タルトタタンなんか作れるんだ」
「あ、いえ。作るのは幼馴染で、私は食べるの専門です」
踵を返し、立ち去ろうとした。だが右足を取られ、前に進むことが出来ない。
「ねぇねぇ翔太くん。その袋を持ってるってことは、翔太くんもお菓子作るってことですよね?」
「いや、これ母さんのお使いで頼まれただから」
「真顔で嘘吐かないで下さいよ。さっきまでお菓子の話題に超食い付いてたじゃないですか」
「チッ」
「あ、今舌打ちしたっ! ヒドイッ!」
「五月蝿い」
「あ、ごめんね」
「敬語を崩すな」
「あ、すいま」
「いい加減この足どうにかしろ」
「あ、すい……え、なに? ……あ、あー、まぁ、そうだけど……え、言っちゃう? 大丈夫かなぁ……うん、言っちゃおっか」
なにやら右足のなにがしと相談し始めた彼女。
どうせ碌なことじゃないんだろうな。人知れず、溜め息を吐く。
しばらくすると、彼女は僕に向き直り、両手を胸の前で組んでみせた。
そして、甘えた風に小首を傾げる。
「翔太くぅーん。あのねぇー、麻美ぃー、翔太くんのお菓子を食べてみたいのぉー。だからねぇー、麻美とヘップの為にぃー、タルトタタン作って欲しいなぁー」
瞬き多めの上目遣いが、下から僕を覗き込む。
お願いお願いと全身で訴える彼女を一瞥し、僕は深く深く溜め息を吐くと、
その顔目掛け、全力の右ストレートをお見舞いしてやった。
「うおぉぉぉぉっ! え、嘘でしょっ。女の子の顔面に拳を入れるってっ! うわっ、信じらんないっ! 翔太くん最低っ!」
「大丈夫。相手は選んでるから」
「え、私選ばれし者なんですか? なんて不名誉っ!」
騒ぐ彼女はそっちのけで、いい加減どうにかならないものかと右足に力を入れてみる。だが、少し揺れる程度で持ち上げることは不可能だった。今日はバターとかもあるし、早く家に帰りたいのに。
今一度、溜め息が零れる。
「ねーママー。あのお兄ちゃん、さっきからなにやってるのー?」
左斜め前辺りにあるソファーから、幼稚園くらいの子供が声を上げた。
その子が指差す先にいるのは、どう考えても僕。
さっと周りに目を向ければ、通路の中途半端な場所に佇む僕を、通行人達も不思議そうに見ていた。今横を通った学生なんか、
「あいつ、一人で喋ってるんですけどー」
「うわー、頭ヤバいんじゃねー?」
と、不名誉極まりないレッテルを僕に張り付け、去っていった。
「あ、あのー、翔太さん? 翔太さーん。お顔が怖いのですが、どうされたんですかー?」
顔色を窺う彼女の質問には答えず、徐にポケットからスマホを取り出した。ボタンをタップするフリをして、通話してるフリをする。
「……あ、もしもし、僕だけど。彼女に伝言頼めるかな……『よく聞け。作ってやる。だから離れろ。今すぐにだ』……って」
目の前の赤縁眼鏡から、一切目を逸らさずにそう告げた。途端、軽くなる右足。
「それともう一つ……『あまり調子に乗るなよ』……よろしく」
彼女の青白い顔が、気持ち白さを増した気がする。
そのさまに鼻を鳴らして、スマホをポケットに締まった。
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