【16話】錬金博士リーナカインの潜伏

 しくじったかな、とリーナカインは冷や汗をかいた。

 お手製の「豚の着ぐるみ」の狭い視界から見えるのは、二匹の豚人間オークの醜い顔だ。

 鼻をヒクヒク動かしてこちらを伺っている。


「何処からか……美味そうな匂いがするギョブ」

「おまえ、まさか食い物隠してるんじゃないっブー?」


 ――き、気づかれた?


 心臓が止まりそうになるが、どうやら『隠密ステルス着ぐるみ』の効果は確かなようで、豚人間オーク達は、リーナが人間だとは気づいていない様子だった。

 隠密ステルスといっても、何とか手に入れた豚の皮や、王族が残した毛皮のコートを縫い合わせ、豚人間オークのように見せ掛けものだ。

 目の前にいる豚からは酷い臭いがするが、これを着ていれば人間だとは見抜かれない。


 だが、何よりも肝心なのは、首から下げた特殊な加工を施した宝石「変成ドロップス」だ。

 連中は見た目よりも、宝石の有無で仲間を認識しているらしかった。


『きっ、気のせいブヒー。そ、そういえば、食料エサ狩りの連中が戻って来るって言ってたブゥ!』


 誤魔化すように適当に返事をして、城の通路の窓から外を指差す。


 ヒールブリューヘン王国の豪華絢爛だった城の中は荒れ果て、豚人間オーク達の食い散らかした人間の骨が散らばり酷い有様だ。


「ブゥ……? 確かにそろそろ来る頃だブー!」

「でもあいつら、半分ぐらいつまみ食いしてるって話だブー……」


 と、天の助けか丁度、城の外に幌つきの馬車が近づい来るのが見えた。

 御者席には毛皮か何かを被った豚人間オークが操っているようで、荷台にはエサと成り果てた哀れな人間達が満載されているのだろう。

 

 リーナカインはきぐるみの中で眉をひそめた。この城はすでに連中の拠点アジトとして周辺の村や町へ、毎日のように人間狩りの馬車に乗った豚たちが出発してゆく。

 そして夕方近くなると、身の毛もよだつような血まみれの肉を載せて戻ってくる。

 

 今や人間の王に成り代わって玉座についているのは、豚の王――ハーグ・ヴァーグ――と呼ばれる強力な力を持つ豚人間オークなのだ。


「ギョブウウウ! 早いもの勝ちだっぶー!」

「お前も早く行かないと、新鮮な肉が無くなっちまうブー!」


「あぁ! 行くブゥ」


 醜く太った身体を揺らしながら、二匹の豚人間オークは何処かへ行ってしまった。他にも城の通路を、豚人間オークたちが我先にと、エサを満載した馬車を迎えようと飛び出してゆく。


 …………ほっ。


 どうやら、今回も上手く誤魔化せたようだ。

 いつまでこうやって隠れ潜んでいられるか判らないが、この特性に気がついたのは、このヒールブリューヘン城に連れてこられて2週間目の事だった。


 傭兵仲間は何人かを除いて皆殺され、若い娘だけが「生食用」として献上されるために連れてこられたのだ。

 その道中は地獄そのもので、我慢できんと豚人間に食い殺されたりした娘が何人もいた。リーナカインは運よく(悪く?)豚の王の居城と化した城まで連れてこられたのだ。


 幸運だったのは、この城はリーナカンが雇われ錬金博士・・・・として働いていた事のある、勝手知ったる場所だったと言う事だ。

 場内は既に豚人間達の巣窟となっていたが、隙を突いて逃げ出し、王族用に作られた「隠し部屋」に逃げ込む事が出来たのだ。


 そして――、城に潜んでから既に1ヶ月あまりが経過していた。


 リーナカインは、何とかピンチを乗り切った事に安堵し胸を撫で下ろした。

 廊下を見つからないように進み、ある部屋と身を滑り込ませた。そこは元来王妃の部屋だったが中は荒れ果てていた。

 素早く誰も周囲に居ないことを確認すると、ズタズタに切り裂かれた寝台の下へと転がり込んだ。

 狭いベットの下で床をスライドさせると、人一人が通れるほどの隠し階段が見えた。


 中に潜り込んで床板を元に戻す。

 真っ暗だが、壁に埋め込まれた「常明ランプ」と言われる一種の蓄光石が、淡い光を放っている。蝋燭の三分の一ほどの明るさだが、闇に慣れた目には充分だ。

 

 しばらく下ると扉があり、リーナカインはそっと扉を開けた。

 

 そこは、城の基幹部。はるかな太古に建てられた城の、埋められた古い部屋だった。明かりが差し込んでいるのは天井部分に一つだけ、幅10センチ高さ1メートルほどの細長いスリット状の石の空間があるからだ。

 城の基礎にあたる部分で、そこは丁度城壁の外郭に位置するので、豚人間オークたちも気がつかない隠し部屋になっている。


 チョロチョロと聞こえるのは、剥きだしの岩肌から染み出す僅かな地下水だ。

 これが無かったら、リーナカインはここまで隠れて生きてはいられなかっただろう。


「ふぅ……!」


 リーナカインは豚の着ぐるみを脱いだ。


 さらり、と金髪のツインテールが肩で揺れた。八重歯が特徴的な、小柄なエメラルドグリーンの瞳を持つ少女だった。


 とはいっても、可憐な花のような香りはせず、ブタ臭いのだが。

「うぇ」

 くんくんと自分の身体の臭いを嗅ぎ、リーナは自分が嫌になる。


 汚らしい豚の着ぐるみからは、ゴロゴロと3つ4つと「ビン詰め」が転がり落ちた。中身はピクルスや魚の塩漬けだ。


「でもま、あいつらがバカで助かったよ……へへっ」


 豚人間は人間の肉以外には興味がない。だからこうして城の中で食べ物を見つけられる余地があった。

 無論、かなりの危険を冒さねばならないが、リーナカインには錬金博士としての明晰な頭脳という、連中に対抗しうる「知恵」があった。


 リーナカインは魚の塩漬けを開けると貪り食った。三日ぶりの食事。豚人間を笑えないような野生の食べっぷりだ。

 

 ――でも、篭城も限界かなー。


 ビンを舐めとると、リーナカインは天井の明り取りの窓を見上げた。

 

 その光が照らす机には、膨大な資料や薬品のビン、加熱器具、研究成果を記した紙が積み上げられていた。

 キラリと輝くものはドロップスと言われる連中の身体から取り出した宝石だ。

 

 すべての元凶、人間には何の害も無いが野生の魔物を汚染し更に凶暴化、不死の肉体を与える正体不明の「毒」と化す。


 唯一の友人だったアークリートは無事に逃げてくれただろうか? いくつか手渡した「毒化ドロップス」だけが今は対抗しうる手段なのだ。

 対抗する知恵は見つかっても自分がここにいる以上、世界で戦っている人間達にそれを知らせる術がないのだ。

「くそ……っ」

 リーナカインは歯がゆさと焦り、そして無力感に苛まれた。


 ――と。

 

 突然、外から豚人間オーク達の悲鳴が聞こえ始めた。


『ビギヤァアアア!?』

『なんだ貴様たちはァアアアア!? ヒデブァ!』


「な、なんだっ!?」


 リーナカインははっとして立ちあがった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る