【12話】キラリの不安

「キラリ、何処が痛いんだ?」

「う、あぁっ!」


 アークリートがキラリの腕を触り、指先でなぞると、ビクンッ! と身体が無意識に跳ねた。


 ――すごい、感じる……!

 

 キラリは、謎のエネルギーが体内に蓄積されてゆくのを感じていた。それは、ミュウに腕をこすられたときとは違う種類のものだ。

 今、もしホイップルの電池カウンターが目の前にあれば、30%ぐらいは充電されたような気がする。


 アークリートは変なうめき声を上げたキラリを心配し、腕を撫でてみたり、裏返したりと確認する。

 

「むぅ……? 傷はないようだが?」

「きっと心のキズがあるっプル!」

「あるとしたら神様のせいだけどね!?」

 水色のクラゲとキラリのやりとりに、アークリートが目を丸くする。


「元気そうだな?」

「も、もう痛くないよ、ホント!」

「ならば、いいが……」


 怪我が無い事を確かめるとキラリの腕を離す。二人が並ぶと姉と弟、頭一つ分、アークリートのほうが大きい。

 キラリが上目遣いで礼を言う。


「ありがとう、アークリートさん」

「……お、おぅ!」


 少女戦士アークリートはそこで、黒髪の少年の眩しい笑顔に釘付けになった。

 普段接していた「ガサツで粗暴な傭兵仲間」には決して感じたのことの無い、神秘的とさえ言える透明で無垢な感謝の気持ちを感じたからだ。

 殺し合いを平然とする荒くれ者たちと接してきたアークリートから見れば、少年の素直な言葉は衝撃的だった。


 クラゲと掴み合いのケンカをしてはいたが、そんなものはジャレあっている程度のことに過ぎない。

 落ち着きのある言動と、深い知性と教養を感じさせる光を湛えた瞳――。


 それは奴隷・・として売られた人間には備わってない物のはずだ。

 アークリートが知っている若者と比べれば、キラリの穏やかな物腰と少女のようにさえ見える綺麗な顔立ちは、実はどこかの国の「やんごとなき」王子様か何かではないかとさえ思えるほどだ。


 アークリートは自分の鼓動が早まり、頬が紅潮するのを感じていた。


「僕の顔に何か付いてる……? ていうか、アークリートさんこそ、顔が凄いことになってるけどね」


 キラリが顔を見て困ったように笑うので、アークリートは思い出した。自分の顔には、目立たぬようにと黒い泥が塗りたくられていたことを。


「あ、あぁっ!?」


 慌ててゴシゴシと顔をこする。


 敵のアジトを探ろうと森に潜伏してから既に三日が過ぎていた。

 全身はドロと汗と埃で汚れていて、恥ずかしさに顔がさらに赤くなる。しかし顔に塗った泥が幸いし、キラリに赤くなった頬を気付かれてはいないようだ。。


 いい加減、汗臭いし顔の泥も落としたい、とアークリートは苦笑を浮かべるより他無かった。


「キラリ、ミュウ! 水……水の匂いがするっプル!」


 いつの間にか木に登り、辺りを探っていたホイップルが舞い戻ってきた。


「そうだ、確かにここから半日ほど歩いた先に川がある。周辺の森には食べ物もあるし、顔も身体も洗える。とりあえずそこに移動しよう」


 アークリートが攻城弩砲ヴァリスタを背中にくくり付けながら、森の奥を指差した。


「ホント!? やった」

「……んっ!」


 キラリとミュウが嬉しそうに顔を見合わせる。


「だが、危険もある。気を抜くなよ。私だって自分を守るので精一杯だ。イザというときは助けてはやれないから、そのつもりでな」


「うん、わかってる」


 キラリはアークリートの厳しくも真剣な眼差しに頷きを返した。


 『偉大なる種族』と呼ばれる、強力な化け物達が相手では、アークリートの巨大な弓の力を使っても必ず勝てるという見込みは無いのだろう。


 けれど今、キラリには対抗しうる「力」があった。


 多少の敵ならば蹴散らして、ミュウと恩人であるこのお姉さんを守れるはずだ。とキラリは身体の芯で熱く滾るエネルギーを確かめた。


「川の後は何処に向かう気っプル?」

「さらに数日下った所にある港町、ヒンディル・ブリーク。そこで船を探そうと思う」


「船! それで何処に行くの?」


「わからん。世界がこんな状況だ。抵抗を続けている街や国もあるらしいが、小さな町は殆ど連中のエサ場になった」


「そうなんだ……」


 これからどうすればいいのだろう? 対抗する術が自分だけではなく、アークリートの弓矢も通用するのだという事実は希望が持てた。だが、敵の事は判らない事だらけなのだ。


「迷っていても仕方が無い。行こう」


 アークリートは攻城弩砲ヴァリスタを担ぐと歩き出した。

 敵のアジトを見つけて仲間を助けるという本来の目的を忘れた訳では無かったが、町を襲ったブタ人間達が全滅し、手がかりが無くなった以上、これ以上ここに潜んでいてもどうしようもないという冷静な判断も働いた。


「よかったね、ミュウ、水だって」

「ん……!」


「ボクも体内の水分含有率が減って、肌がピキピキいってるプルー」


 ホイップルが辛そうに自分の顔を触手で撫で回した。


「そもそもクラゲがなんで空を飛んでるんだよ」

「えっ……!?」

「適当すぎるだろ」

「ボ、ボクはホイップル! キラリの友達っプル!」

「……」

 突然笑顔でNPCのような答えをする水色クラゲを半眼で睨みつつ、キラリはミュウとホイップルを馬の背に乗せた。

「よろしく」

『ブヒュルル!』

 赤い目をした魔の馬は、すっかりキラリに懐いている様子だ。


 そして、手綱を引いて女戦士の後を歩き始めた。


 ◇


 森の中は、意外にも魔物が襲ってくることは無かった。


 その理由をキラリは歩きながらホイップルやアークリートと話し合ったが、どうやら連中は「エサ」として人間を認識しているので、効率よく狩れる、数多くの人間がいる場所に集まっているのだろうという結論に至った。


「川だ!」


 半日ほど森を進むと、アークリートの言うとおり川に出た。


 森が開けた場所に流れていたのは、幅10メートルほどの清流だった。透明な水がサラサラと涼しげな音を立てて流れている。

「キラリ……ん!」

 ミュウが指さす先では、木漏れ日が幾筋もの光条となって、石の川原にモザイク模様を描いていた。


「私が周囲を警戒しておくから休憩をしよう。今のうちに顔を洗うなり好きにするがいい」

 アークリートは周囲に危険な気配がないかを警戒しながら、左手の盾に仕込んだ小型のクロスボウに矢をこめた。


「飲むよ! 飲んでいいんだよね!?」

 馬から飛び降りると、そのまま川に飛び込まんとする勢いのキラリとミュウを、ホイップルが止める。

「待つっプル! 水質検査ップル」

 ホイップルが脚を一本水に入れて1秒、毒や細菌などを検知して安全サインを出す。


「んー、大丈夫っプル!」

「っしゃぁああ!」

「んー!」


 ざぱーんと頭から飛び込むキラリ。ガブガブと飲み、全身で水分を吸収する。

 ようやく生き返った気がした。


「ぷはぁ………………?」


 水を含んだ上着を脱いで、せめて顔だけでも洗おうかとしたその時。

 キラリはそこで気が付いた。


「……ん~♪」


 ミュウが鼻歌混じりに、自分のを洗っている事に。


 腰に下げていたポーチから石鹸を出してすばやく泡立てると、顔と頭を泡で包み、そのまま、するすると肌色の身体に手を滑らせる。


「全裸ぁあああ!? ミュ、ミュウうううう!?」


 ――まままま、丸見え、丸見えだよ!?


「……キラリ?」


 赤毛の少女が驚いたように立ち上がり、こちらを向いた。


 ふくらみかけた胸にくびれた腰回り、あられもなく晒された細くすらりと伸びた四肢――。

 透明な水滴が首筋から鎖骨、そして胸の丘を零れ落ちてゆく。肝心な部分は、辛うじて森の木漏れ日が白い光の筋となって隠している。


 ミュウはキラリの悲鳴に、何かあったのかと小首をかしげ青い瞳を瞬かせた。


「ちょっ……! えっ!? そういう……文化風習なの!?」


 これは……もしかするとこの過酷な世界に飛ばされた自分への、神様からのご褒美なのだろうか?


 ――ごきゅり


「んー? 細かい風習はボクはよくわからないっプル」

「いや!? そこはわかってよ!」

 しれっと言う水色クラゲにキラリが真赤な顔でツッ込みを入れる。けれどクラゲにとっては何が問題かよくわかっていないようだった。


「ミュウ、キラリが洗うの手伝って欲しいって言ってるプルー」

「ばっ! ななな、何いってるの!?」


「……んっ!」


 ミュウが石鹸を手に、満面の笑みで駆け寄ってきた。足元で水しぶきがぱしゃぱしゃと飛び散ったりして……限りなく眩しい。


「隠して! 頼むから隠してぇええ!」


 ビバ! 異世界! こんな素晴らしい瞬間に出会えた事を神様に心の底から感謝する。そして、


 ――けど僕、この後死ぬんじゃないの……?


 キラリは本気で、かなり不安になった。


 ◇

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