【8話】腐り行く世界

「勝った、勝ったップルよ!」

「はは、よかった……」


 ホイップルの声に安堵し、ようやく一息つけた星園キラリは、空を見上げた。


 青く澄みきった空は、以前自分が生きていた世界と何も変わらないように見えた。


 しかし、目線を下げると慄然とするばかりの光景が広がっていた。


 即ち、生々しく血の滴るが、山積みになったままなのだ。それはすべて先刻までは生きていた人間の亡骸だった。


 血で赤く染まった馬車の荷台に積み上げられた肉の一つ一つが、苦悶にゆがむ人間の顔であり、宙を掻き毟るかのように恐ろしく捻じ曲がった指先であった。


 すべてが死の瞬間の苦痛を留めた悪夢の造形物だ。


「うっ! ……おェ……」


 キラリは思わず嘔吐しそうになり、その場に再び屈みこんだ。


「キラリ……」

 ミュウも辛そうに唇をかんだまま、目を伏せてキラリの背中をさする。


「あ、ありがとうミュウ、大丈夫……だよ」

 ミュウに礼を言いながら、キラリは改めて辺りを見回した。


 砂埃の舞う黄土色の大地と、崩れた日干し煉瓦の家々が立ち並ぶ町並み。

 どこの家も平屋建てで、窓にはガラスは無く木の板があるだけだ。見たところ電線も水道も無さそうで、文明レベルは中世かそれ以前だろうか?


 町を突如襲撃し人間達を「肉」に変えていた恐ろしい豚人間オーク達は、今や殆どが灰のようなものに変わり崩れ落ちて白い塩の山のようになっていた。

 身に着けていた衣服や持っていた武器は辺りに転がっているいが、でっぷりと肥え太ったあの醜い肉体は、死ぬと同時に白い物質に変化して崩れてしまうようだ。


 と、何かが太陽の光を反射して光ったように見えた。

 目を凝らすと白い塩の中に何かが在る。


 立ち上がり近くの塩の山――豚人間オークの成れの果て――に近づいてみると、赤いルビーのような輝きを放つ、小指の先ほどの大きさの結晶・・だった。


「……宝石? あいつらが持っていたものかな?」

「……?」


 傍らのミュウに聞いても「知らない」とばかりに首をひねる。


「――キラリ、それは大事なアイテム、『ドロップス』ップル!」


 きゅぽっ! と音がして、キラリの左側頭部から「水色クラゲ」がひゅるっと離れ、目の前でくるっと回って笑顔を見せた。


「どろっぷす……?」

「そうっプル! それが『偉大なる種族』の力の源ップル!」


みなもとって……、あいつらがあんなに強いのは、これのおかげなの!?」


「そうっプル。以前は洞窟の奥や森で暮らす弱弱しい怪物だったップル。それがある日……力を得て世界を乱したっプル。いずれ解る事ップル。今はまず、そのドロップスを集めるップル。拾い集めておくと……いい事あるっプルよ!」


 いろいろ聞きたいことはあるが、今は正直クタクタで聞く気になれない。


「まぁ……、よくある事だよね」


 キラリは言われるまま、豚人間オークの残骸の中から幾つかの赤い宝石を広い上げた。


 正直、気持ちのいいものではないが、敵を倒すとお金が得られたりアイテムが手に入るというのはゲームなら普通だろう。無論、これはゲームではないのだが。


 とはいえ。世界の仕組みも何も判らない今は、少しでも特になりそうな物を見逃すわけにはいかないという冷静な思考もあった。

 キラリは制服のズボンのポケットに赤い宝石を仕舞い込んだ。


「これで、キラリのやるべきこと、解ってくれたっプル?」


 ふわふわっと浮かび、さりげなくミュウの頭の上に乗る。

 ミュウが「おー?」という顔でプヨプヨしたクラゲの足を触っている。


「うん! クソッタレなこの世界で……生きればいいんだね!?」


 白い歯をみせて微笑むキラリだが、目は笑ってない。


「い……言いたい事はわかるっプルが……ボ……いや、神様にもいろいろ事情があるっプルよ」

「事情って何さ?」


 キラリが低い声色で、ミュウの帽子になっているクラゲを睨む。


「そ、それはっ……プル」


 ――その時。


 町の人々が、窓から恐る恐るといった感じに顔を出し始めた。


 豚人間オークの襲撃にいち早く気がついた人たちは、家の奥に身を隠していたらしい。木の板の窓を少し開け、そして顔を覗かせて、やがて通りに姿を見せた。


 血まみれの肉と化した顔見知りを見て泣き崩れる老婆、豚人間が消えたことに驚く男。

 そして通りに出てきた他の人々は、一部始終を見ていたらしい老人から、事情を聞くために集まり始めていた。


「良かった、結構生き残っていたんだ!」

「ップルね!」


 しかし、キラリは家々から出てきた人々の姿を見て息を飲んだ。


 男や老人、老婆の姿は見えるが、若い女性の姿も子供の姿が見えないのだ。恐れてまだ隠れているのかとも考えたが、どうも様子が違う。

 

 ――若い女の人や……子供から食べられてしまったんだ。


 キラリは改めて恐ろしい豚人間オークたちの欲望に滾るギラついた瞳を思い出し身震いを覚えた。

 あの豚たちは、肉! 若くて柔らかい女の肉、子供の肉! と叫んでいた。

 そして、ハーグ・バーグという謎の存在のことも……。


 と、ミュウがきゅっ……とキラリの袖をつかんだ。


 赤毛の少女の顔を見ると、安堵とは程遠い不安と警戒の色が滲んでいた。


「ミュウ?」


 キラリはそこで気がついた。


 町の人々の肌は浅黒く、瞳の色は茶色かグリーン。髪の色はブロンズでやや癖がある。それは男も老婆も同じだった。

 つまり……黄味がかった肌色に赤毛・・の少女ミュウと、黒髪・・のキラリこそが、ここでは異端、異邦人・・・なのだ。


「――ゼ、ワレ! ナガッ! ガ!」

「ダダ! ツラ! クワ!」


「デテ! ツラ!」


 ガッ、と足元に石が飛んできた。

 それは次第に数を増す。


 町の人間達が、キラリにむけて石を投げつけ始めたのだ。

 おまけにホイップルは「翻訳」を止めてしまっている。


 何を言っているか、何を叫んでいるか判らない。

 

 けれど、明らかに怒りと悲しみと、混乱した狂気に満ちていた。

 言葉が通じなくとも、ビリビリと嫌な感情が肌をざらつかせる。


「ちょっ……! な、なんで!?」

「…………」

 ミュウの肩が小さく震え、うつむき立ち尽くす。


 少女の体のすぐ傍を、小石が掠める。

 キラリは思わず自分が盾になるように、ミュウを自分の体の影に隠した。


「危な……痛てッ!!」


 その瞬間、石が背中に命中する。


「キラリ!」

 ミュウがはっとしてキラリの胸元をつかみ、心配そうに眉根を寄せる。


 キラリはミュウに当たらなくてよかった……と、考えるのと同時に、猛烈な怒りが沸いてくるのを感じていた。


 命がけで戦ったのに、少なくもミュウと自分を守るためとはいえ結果、この町も救ったのだと心のどこかで誇らしく思っていた。

 なのに――この仕打ち。


「ホイップル! 訳してよ! あの人たち、何て言ってるの!?」

「そ……それはっ……プル」

「はやく!」

「……ップル」

 キラリの剣幕に、ホイップルは意を決したように腕を揺り動かした。


 途端に、街の人々の言葉の意味を知る。


『お前らが、――先に食われる役目だろうが!』


『折角、拾ってやったってのに! 役立たずが!』

『飼い主が殺られて、家畜・・が生き残る道理があるか!』


『黒いやつは……悪魔の力を使った!』


『偉大なる種族に差し出せ!』

『そうだ! そうすれば……俺たちは助かるかもしれない!』


『捕まえろ!』


 男達が恐ろしい形相で迫ってきた。

 その顔はキラリの目からは豚人間オークと何もかわらなかった。狂気と殺気、そして血走った目は既に人間でなく……怪物のそれだ。


 瞬間、キラリの中で何かが切れた。


「――うぉああああああああああ!」


 キラリは手を水平に構え、力を込めようとした。


『ひぃいいいい!?』

『悪魔の力を使うぞ』

 人々が叫び転がるように逃げ惑った。


「キラリ……!」

 ミュウが腕にしがみつき、首を激しく振る。「やめて! おねがい」とそんな顔で。


「なんでだよ!? あいつら……あいつらも……化け物と同じじゃないかぁあああ!」


 悔しさと涙で視界が歪む。

 鼓動が激しく暴れ、熱い怒りの感情が腹の奥からマグマのように湧き上がるのを感じていた。


 自分が目覚めた小屋は、本当の家畜小屋・・・・だったのだ。

 ミュウも自分も、あの豚人間オークから町の人々の命を延命させるための家畜、生贄・・に過ぎなかったのだ……と悟る。


「キラリ、逃げるっプル! 今は!」


「く……! そぉあああああ!」


 キラリはミュウの手をぎゅっと掴んで走り出した。

 どこに行けばいいかなど、わからなかった。

 

 がむしゃらに町の通りを走ると、突如目の前を黒い影が遮った。


「うっ――!?」

「ップル!?」

 ブヒュルルル! と目の前に立ちふさがったのは、豚人間達が荷台の馬車を引くために連れていた、巨大な黒い馬だった。


 目は赤く爛々として化け物のようなキバを生やした、人食いの馬。


 だが、驚き声も出ないキラリ達の前に、静かにかしずくと、身を低くして頭をたれた。

 それはまるで背中に乗れ、と言っているようだった。


「こ、これって!?」

「ドロップスの効果っプル! キラリを……主人と思ってるっプル!」


 納得している暇も迷っている暇も無かった。

 後ろからは武器を持った町の男達が追いかけてきていた。


「乗って! ミュウ!」

 キラリは馬の背に跨ると、赤毛の少女の腕を引き、前に抱きかかえるようにして手綱を掴んだ。

 途端に、馬は嘶くと、猛烈な勢いで駆け出し始めた。

 

 叫び武器を振り上げる人々を蹴散らし、あっという間に町の外へと駆け出す。


 振り返ると、乾いた岩と砂礫の中に浮かぶ、小島のような町だと言うことがわかった。だが、もう何の感慨も沸かなかった。


「キラ……リ」

 ミュウが心配そうにキラリを振り返る。赤い髪が風に揺れて頬をくすぐる。

「ミュウこそ大丈夫……?」

「ん……!」


 ミュウの細い身体が落ちてしまわないようにと、後ろから抱きしめる。


 暖かい体温を感じながら、キラリは果てしなく広がる荒野に向き直った。

 

 遥か遠くには黒々とした山脈が横たわっていた。その手前には森が広がっている。それ以外はひたすら何も無い荒野だ。


 絶望の中に希望のカケラがあるとするのなら、今、自分の手の中にいる少女こそがそれなのだろう、とキラリは思う。


「こうなったら……生きのびてやるよ」


 世界が腐り絶望に満ちていようとも、信じられるのが腕の中のちっぽけな赤毛の少女一人だというのなら、それでもかまわない。


 水色クラゲに聞きたい事は山ほどある。

 けれど、今はひたすらに真正面を見据え、進むだけだと自分に言い聞かせる。


 ――生きて、生きて……生き延びてやる!


 キラリは全身に溢れるエネルギーを感じながら、馬の速度を上げた。


 ◇

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