【9話】|攻城弩砲《ヴァリスタ》使いの少女、アークリート

 ◇


 アークリートがその「異変」に気がついたのは、豚人間オークの一団が、ヒュリケスの町に入ったのを確認したすぐ後のことだった。


 双眼鏡で覗く先、およそ1キロ先に見える小さな辺境の町は惨劇に見舞われていた。

 砂埃と砂礫に埋もれそうな辺境の町にも、豚人間オーク共は食料と欲望のはけ口となる者を探しにやってきたのだ。


 おぞましい欲望に血走った目をした彼らは、家々に押し入ると、無抵抗な人間を片っ端から狩り出しては肉に変えているのだろう。


「ったく、好き勝手やりやがってよぅ」


 考えただけでも吐き気がする。

 何度も見てきた光景とはいえ、胸糞が悪い。


 アークリートは双眼鏡をおろすと、ポニー尻尾ティルのように、青みがかった長い髪を手早く束ね直した。

 すらりとした長身の少女の顔には、色白の肌が目立たぬようにと泥が塗られている。

 切れ長の目に鼻筋の通った顔立ちは、どこかネコを思わせる愛嬌があって、実際にはかなりの美人だろう。

 とはいえ――世界がこうなってしまった以上、そんなものには最早意味が無いのだということも承知していた。


 奴隷として身売りされることを拒み、17歳で貧しい故郷を捨て早1年。アークリートは死と隣り合わせの傭兵家業へと逃げ込んだ。無論、その生活とて楽ではなかったが、大切な仲間と自由だけは手に入れることが出来た。


 そして、その経験値は今の世界を覆う「状況」に適応できたと言う意味で、決して無駄ではなかったのだろう。


 一人の傭兵としてこれまで戦い抜いてきた経験と潜り抜けてきた死線が、彼女に年齢と見た目を越えた凄みのようなものを与えていた。


 アークリートは、豚人間オーク達が食事にうつつを抜かしている今のうちにと装備を確認する。


 野戦仕様である「皮の鎧」の締め付け具合、腰から下げた短剣ショートソードと肩につけた接近戦用のナイフ。そして左腕にくくりつけた盾と一体化した小型の「仕込みクロスボウ」の残弾数。


 そして、背中に背負った巨大な攻城弩砲ヴァリスタ


 1メートルを越える木の台座に、金属の板を重ねて造った巨大な弓が横向きに付いている武器は、機械仕掛けで弦を巻き上げて矢をセットする大掛かりなものだ。

 大型で重量もあるため、地面に据え置いて狙撃するのが一般的な使い方だが、放たれる金属の矢は重く、石壁さえもブチ抜く威力がある。


 強力な矢を放つ攻城兵器。それが攻城弩砲ヴァリスタだ。


 実際、豚人間オークの頭や心臓を吹き飛ばし、見事倒したこともある。


 だが、それは当たり所が良ければ、の話だ。異常な再生能力の前には他の武器同様、時間稼ぎが関の山だった。

 

 けれど数日前、あの化け物たちにを倒しうる対抗手段・・・・を、最後の仲間が死を賭して見つけてくれた。


「頼むぜ相棒、連中に一矢・・酬いなきゃ……死ねないしなぁ」


 独り言のようにつぶやいてから、木陰に実っていた自生種のリンゴをむしりとってかぶりついた。

 胸糞が悪かろうが吐き気がしようが、今は食べておかねば身体が持たない。


「うわ、不味ぃ……」


 ボリボリと甘いよりも酸っぱいだけの果実を噛み砕き、無理やりに飲み込む。そして森の木々に紛れて、再び町の様子を伺う。


 貴族服を身に着けたリーダを先頭にした豚人間オークの群れが、ヒュリケスの町を襲撃してから既に10分が経過していた。


 自称、傭兵・・のアークリートだが、今は黙って見守る以外無かった。

 目の前でどんな惨劇が繰り広げられていようとも、自分に出来ることは何も無いのだ。それは戦場で嫌と言うほど判っている。


 だが、アークリートには確固たる目的があった。

 

 ――連中のアジトを探し出して、仲間・・を助ける。


 それ以外は、一切考えないようにしていた。

 それ以外を考え始めると、不安と恐怖で頭がどうにかなりそうだからだ。


 肉にされず生きたまま連れて行かれた者たちは、何であっても生きている可能性があるのだ。

 ならば、助けるチャンスがあるはずなのだ。


「早く……出てきやがれブタども」


 アークリートは背負った巨大な弓の感触を確かめる。最初は手に余る大きなものだと感じていたが、今となっては心強い相棒そのものだ。


 半年前――。


 天から「星」が降りた日を境に、世界は一変した。

 

 突如、大人しかった半獣人・・・達が凶暴化し人間を襲い始めたのだ。

 豚人間オーク狼人間ワーウルフ、トカゲ人間、そして鳥人間……。


 無敵の力に不死とさえ思える再生能力という、それはまでとはまったく違う力を得た彼らは容赦なく人間を殺し始めた。


 平和で穏やかな暮らしは一変した。輝かしい歴史と文化を誇るリース・イスメリア王国の版図は今や瓦解し、国土は寸断されてしまった。

 王国の騎士団は壊滅、首都ルーンメイデは炎に包まれて焼け落ちた。


 各地の村々は独自に防衛戦を展開したが、長くは持たなかった。半獣人たちは抵抗を諦めた村から「肉」と称して人間を順次定期的に狩り始めていた。


 混沌と絶望、そして血と死臭だけが大地に満ちた。


 希望なんていうものは既に無くしていた。

 

 大勢居た仲間たちも次々と殺されてた。自分を逃がす為にと最後まで戦った男が居た。目の前で連れ去られてしまった仲のよかった友人だって居た。だが、ついに自分ひとりになってしまった。

 涙はとっくに枯れ果ててた。もう、明日どうなるかなどわからない。


 ――どのみち、次は私の番だ。


 アークリートの瞳が光を失いそうになる。


 だが、その時。ある異変に気がついた。


 まばゆい光が町の上空で輝いたのだ。


「なんだ……あれ?」


 町の中心部から、天に向かって一条の光の矢が放たれたのが見えた。

 アークリートがとび色の瞳を見開く。それは夢幻ではなかった。


 乾いた青い空に吸い込まれていく白い光は、その後何発もたて続けに打ちあがった。何が起きているのか皆目検討がつかない。


 だが、その光は今まで見たどんなものよりも美しく見えた。


 キラキラとした光の粒子が消えていくさまを見ながら、アークリートは静かに茂みから立ちあがった。


 ここはヒュリケスの町から1キロ離れたところに広がる虚影の森と呼ばれる場所だ。


 身を隠すにはここしかない。交通の要衝の中間地点であるヒュリケスの町の周囲は、砂の荒地ばかりで、何も無いからだ。


 やがて光が収まると、町から一頭の馬が走り出してきた。


「馬……? なぜ?」

 

 双眼鏡を取り出してのぞく。


 黒い馬には見覚えがあった。それは豚人間オーク達が町を襲う際に馬車を引かせていた馬だ。連中の所有物だったはずだが、今はその背中に二人の人影が乗っていた。

 

 それは黒髪の少年と、赤毛の少女だった。

 

 見たことも無い人種、髪の色だ。

 

 だが、左右から猛追するモノがあった。

 

「――人狼ワーウルフ! 狼人間が狙っている!」

 

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