【4話】絶望と、友達のために出来ること

 醜く腹の出た身体をもつ半人半獣の怪物――豚人間オーク――は、手当たり次第に人々を捕まえると、その場で首の骨をへし折って衣服を剥ぎ取った。


 体長二メートルにも達する巨大な体を持つ割には素早く、クンクンとブタ鼻を鳴らしては隠れている人間を見つけ出してゆく。

 血を舐めて興奮し、だらしなく開いた口から汚らしい涎を際限なく撒き散らしている。その瞳は暗く淀んでいて、影になると気味の悪い赤い光が見えた。


『ブヒュルル! 新鮮な肉だぁああ~、ブヒャァ!』

『つまみ食いは許されんブヒィ! ハーグ様に怒られるブヒヒヒ!』


 豚人間オークには上下関係があるらしく、少し上等な身なりの――おそらくは人間から奪った――貴族のような衣服を無理やり身につけている頭目・・らしき者がいた。


 ブタ鼻の下にカイゼル髭のようなものを生やし、威厳を出そうというつもりらしい。

 服のサイズは合っておらず、まるでチョッキのように赤い貴族が切るような服を羽織っていた。下半身を隠すズボンも破れんばかりにパンパンで、姿は滑稽この上ない。


 頭目の上級ハイ豚人間オークは、馬車の荷台に胡坐をかいて座り、デップリと膨らんだ腹を撫で付けている。こいつが手下の豚人間オーク達に「人間狩り」の指示を出しているらしかった。


『急ぐブヒィ、こらそこ! つまみ食いしてるんじゃないブヒィ!』


 馬車の荷台には既に赤い肉の塊が、10体以上積み重なっていた。


 馬――これもただの馬ではなく邪悪な面構えの赤い目をした――は、ギヒュルル! と荷台の荷物が増えるたびに、歓喜の嘶きをあげた。


 荷台の赤い肉はすべて人間の成れの果てだが、捕まった人々は恐怖の悲鳴を上げるだけで、あっけなくその命を奪われてしまう。


 だが、中には反抗を試みる者もいた。


 一人の金髪の若者が路地から飛び出すと、古く錆びた刃渡り60センチほどの短剣を手に、豚人間オークの前に立ちふさがった。

 元は高名な騎士だったのだろうか、身なりは汚れてはいるが、瞳には怒りと復讐の炎が燃えている。

「これ以上、貴様らの好き勝手は……させんっ! うぉおおおお!」


 若者は剣を水平に構えると全体重をかけて豚人間に突進、ほとんど身動きをしない豚人間のわき腹めがけて剣を深々と突き刺した。

 易々と剣は腹をえぐり、血がドロリと滴り落ちて地面に染みを作った。


 それは明らかに致命傷、内臓を深々と刺し貫いた――はずだった。


「やっ……た!?」


 だが――。豚人間オークはまるで痛みを感じていないのか、ニタリとした笑みを口元に浮かべた。


『……ブギィ? 戦士……少し前までは……たくさんいた』


「なっ!?」

『オレら……偉大なる種族は……のご加護があるブヒィ……! おまえたち人間は……今や……餌なんだブヒッ』


 そこまで言うと、愕然と恐怖に顔を強張らせた若者めがけて「手間が省けた」とばかりに豪腕一閃。真横にブォン! と丸太のような腕を薙ぎ払った。


 ドゴッ! という音がわずかに遅れて響く。


 それは若者のが建物の壁にぶつかって跳ね返った音だった。首をなくした胴体が、赤い噴水を散らしながら、豚人間オークの足元に、まるで糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。

 豚人間オークは何事もなかったようにフンフンと鼻を鳴らしながら、を片手で持ち上げると、馬車の荷台へと投げ入れた。


 そして刺さっていた剣を無造作に引き抜く。


 傷口は、ものの数秒でみるみる塞がり、跡形も無くなった。

 まるで逆再生の映像のようでもあったが、それは異常なまでの再生能力・・・・を意味していた。


 人語を話し、圧倒的な筋力とパワーを持つ。そして通常の武器では殺すことの出来ない無敵の再生能力をもつ、怪物。


 それが世界の新しい支配者たる『偉大イアなる種族ルーク』だった。


 ◇


『兄貴ィイイ! 人間のオスしかいませんぜぇ』


 上級オークの元に手下の一匹が近づくと、両手をすり合わせ顔色を伺う。


『もっと探せブヒィ!』

『以前はもう少し、居たんですがプギィ……』

 豚耳を垂らし怯えた様子で弁解する。

『お前らが人間のメスと見れば手当たり次第食っちまったからだろうがブヒィ! いいから探せ』


『へい、プギィ……』


『メスだ! 柔らかい上質な……なるべく若いがいい! ……って、あそこにいたブヒィイ!?』


 と、豚人間オークのリーダが突然目玉をひん剥いて大声で叫んだ。


 欲望に爛々と目を輝かす豚の目線の先には、小屋を飛び出した星園キラリと、赤毛の少女ミュウがいた。


 馬車の上で立ち上がったのでバランスが崩れ、肉が幾つか転がる。それを合図に、一斉に豚人間オーク達がドドドと地面を揺らしながら襲い掛かった。


『捕まえろぉブギイイイ!』

『ここで皆で食っちまえばいいブヒィ!』

『プギュルァアアア! 肉ー、メスゥウウ! 子供のォオオオ!』

 勝手なことを口々に叫びながら、豚人間オークの群れが血走った目でキラリとミュウ目掛けて迫って来た。距離は20メートルほどあるが、それとて僅かばかりの時間も稼げない。

 

 砂塵舞う乾いた黄土色の町並みには、他に人間の姿は見当たらない。

 殆どが捕まってしまったか、あるいは身を隠したのだろう。

 つまり、救いの手を期待することは出来ない。


「見つかった!? こっちに来る……逃げるんだっ!」

「……あ……!」


 キラリはミュウの手を引いて、再び走り出した。


 前世(?)では生身の女の子と手を繋いだことはおろか、まともに会話すら交わしたことが無かったキラリだったが、人間一度死んで生まれ変わればなんとかなるものらしい。


 だが、その初めての逃亡劇は、僅か10メートルで終わりを告げた


『ブギャァアア! 美味そうなのが二匹ィイイイ!』

「げっ! やばっ!?」

 家の壁を壊して現れた一匹の豚人間オークが、行く手を阻んだのだ。キラリとミュウを見つけると、口の両端を耳まで持ち上げて凶悪な笑みを見せ付ける。


「くそっ!」

 キラリとミュウは通りの真ん中で、前後を塞がれてしまった。行くも豚、退くも豚。

 しかし家と家の間の隙間が見えた。子供なら通れそうな、細い路地だ。


 ミュウならば……その細い路地に逃げ込めば助かるかもしれない。

 キラリは咄嗟に考えて、赤毛の少女の肩を押した。


「行くんだ! 僕がひきつけるから……ミュウはそこから逃げて!」


 ――これって人生の中で一度は言ってみたいセリフ!?

 

 と、まるで人事のようにキラリは頭の片隅で考える。

 死ぬ前に一度ぐらい、かっこいい事をしてみるのもいいかもしれない。


 というか、自分は一度死んでいるのだが。


「…………や」

 けれど、ミュウは逃げることを拒んだ。

 キラリの腕をぎゅっと掴んだまま動こうとしない。

 ミュウの顔には明らかな恐怖と、何かの記憶がフラッシュバックしたかのような、混乱と悲しみの混じった表情が浮かんでいた。


 おそらく、家族か大切な人を目の前で食い殺されてしまったのだろう。

 

 ――もう……逃げられない。


 諦めにも似た、そんな絶望の気配が青い瞳を浸食する。


「ばか! 走れ! ヤバイってあいつらマジで!」


 キラリが本気で慌てふためく。

 ミュウの肩を揺らし路地に押し込もうとするが、ミュウは何かを決意したように、きゅっと唇をかむと、強く掴んでいたキラリの腕を離し、トン、と逆にその背中を押した。


 瞬間、ビリッ……と指先で静電気のような火花が散った。けれど、今はそんな事はどうでもよかった。


「――な!?」


 よろめき二歩、三歩と路地のほうへ前のめりになったキラリが慌てて振り返ると、ミュウが気丈にも、おそらくは精一杯の笑みを浮かべていた。


 その背後にはいつの間にか巨大な豚の怪物が、黒い影となってミュウを捕まえようと両腕を広げていた。それは、死の影そのものだ。


 ――さよなら、キラリ。


 口を僅かに動かしてミュウが、そんな言葉を紡いだような気がした。


「うぉ…………おぉおおおお!」


 時間が静止したようなスローモーションの世界で、キラリは叫び声を上げていた。そして幸運にも、自分の足が咄嗟・・に地面を蹴ったことを感じていた。

 

 刹那の時間の流れの中で、唯一まともに動いてくれる思考だけを高速で回転させる。


 自分に今――何が出来る?


 あの一撃で人間を引き裂く怪力の化け物と、戦える?


 せめてミュウを、ここから逃がせるのか?


 一度死んだ自分が、この世界に連れてこられた意味――。

 

 ――キラリの能力・・を使って、この世界で苦しんでいる人間を、救うっプル――

 ――体内に希少金属レアメタル骨格フレームを有する――

 ――発電と粒子加速・・・・を――


 まるで走馬灯のように数々の場面と言葉が流れてゆく。

 

 けれど――。


 これだけは言えた。


 赤毛の少女、ミュウはキラリにとって、初めての「友達」なのだと。

 いつも笑われて馬鹿にされていた名前を、嬉しそうに大切に呼んでくれた、ただ一人の、友達。


「――だから――」


 驚くミュウの前に飛び出して、叫び体をひねる。


 自分に出来ることなんて、これしかなかった。

 裂ぱくの気合とともに星園キラリは、そのままの勢いで拳を振るう。


「ミュウに――――」


 そして軸足をひねりながら、見上げる程に大きな醜い豚顔のドテッ腹に一撃を叩き込む。


「触るなぁああああああああッ!」


 ぽこん!

 けれど、全身全霊のキラリのパンチは、驚くほど弱弱しかった。

 手首のほうが折れてしまうんじゃないか、という程に筋の悪いパンチ。


 一瞬だけ、光が輝いたように見えたのは気のせいだったのだろう。


 それが、おそらくは自分の二度目の人生で、最初で最後の「反抗」になるのだと、キラリの顔は悟りきったような不敵な笑みさえ浮かべていた。


『ブゥ……ヒィ?』


 あまりの拍子抜けともいえる攻撃に、さしもの豚人間オークでさえ動きを止めた。


 かつて攻撃してきた人間は数知れなかったが、こんな細くひ弱な少年が、最弱の拳を叩き込んできたことなどなかった。

 何の意味があるのだ? 家畜のくせに、餌のくせに……。

 ちっぽけな豚の脳みそでは、それ以上は考えられなかった。


「……キ、ラリ……」


 豚人間オークに果敢に立ち向かった少年、キラリにミュウは信じられない、という瞳を向けた。


「ごめんねミュウ、僕には……これぐらいしか出来ないんだ。友達きみを守ってあげたかったけど……」

「……トモ……ダ……チ?」


 ミュウの顔に、驚きと、困惑と、そして何よりも嬉しさが溢れ出した。

 次の瞬間に訪れるであろう、死への覚悟と共に。


「うん。ホントに出会ってすぐだけど……、友達」


 キラリはもう一度ミュウの手を握りたいと思った。

 小さな暖かい手を。


 その思いを察したかのように、空いているキラリの手をミュウが掴んだ。二人一緒に死ねるなら、と。


 だが――――。


 動きを止めた豚人間オークの様子が突如一変した。

 ボゴ、ボゴゴ、と腹の中で何かが煮えくり返るような、そんな音が鳴り始めた。


『ヒ……ブギィ……デェ…………………ブアッ!? 何……を、何ぉしたアアア!?』


 血管がビギッ! と浮き上がり、全身がボコボコと内側から風船のように膨らみ始めたのだ。

 それは、体内に生まれた超高熱が、内臓や血液を超過圧する音だった。

 

「え、えぁ!?」


 次の瞬間、狂気に彩られていた豚の目が、一瞬で白濁・・した。


『ひで…………ブギィ!?』


 ドブァッ! という湿った大音響を伴い豚の体が爆裂・・した。

 キラリが拳を叩き込んだのとは裏側の、背中の部分が、まるでクラッカーを爆発させたように盛大に吹き飛んだのだ。

 真っ赤な血煙と肉片が土埃を巻き上げながら飛び散り辺りに降り注いだ。


「な、なん……だこりゃぁあああ!?」


 背骨だけを残し、内蔵を漏れなく吹き飛ばされた豚人間オークは、そのまま真っ二つに折れて地面に落下すると、端から急速に砂粒のようになり消え始めた。


<つづく>

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