【1話】さよなら現世、最後の言葉

 ここで時間を半年ほど遡る。

 星園キラリが、過酷な「異世界」に行くきっかけとなった、ある事件・・から物語は始まる。


 ◆◆◆


「あと少しだったのに……なんで……どうして……?」


 星園キラリは、血で赤く染まったPC画面を眺めながら、心の中でうめいた。横倒しになり赤く歪んだ視界の向こう側で、ピンク色の二次元美少女が微笑んでいる。

 それはエロゲーの「ご褒美シーン」だったはずだ。けれど肝心の部分は、自分の身体から飛び散った「真っ赤な血」で覆い隠されていた。

 愛用のPCだけはではない。机も床も、自分も、全てが鮮血で染められているのだ。


「なん……で……こんな?」


 ゴフッ、と血の泡を吹きながら、信じられない思いでキラリは疑問を搾り出した。

 

 黒髪に黒い瞳、典型的な日本人といった顔つきの、ごく普通の少年が、血の海で息も絶え絶えで部屋の中に倒れているという、あまりにも異様な光景が広がっている。


 平凡な日常の終わりを告げたのは、TVの向こう側だけの出来事だと思っていた銃声だった。


 部屋に突然投げ込まれた|閃光弾(フラッシュ・ボム)の影響で、キラリの目は眩み、PC画面がよく見えない。

 耳も目も痺れたようになって思うように動いてはくれない。それどころか手も、足も、指さえも満足に動かせないのだ。


 心臓の鼓動が、徐々に弱まってくるのがわかった。


 たった10秒前に体中に撃ち込まれた9ミリパラベラム弾の衝撃、焼け火箸を刺されたような熱さと激痛――。


 それすらもう、現実感の無い遠い出来事にさえ思えた。


 PCデスクの前で崩れ落ちたキラリに、全身黒ずくめの男たちが冷たい銃口を向けたまま慎重な足取りで接近してきた。


 キラリの自室である8畳ほどの部屋の中には、「特殊部隊」といった全身黒ずくめの装備に身を包んだ男たちが侵入し、短い銃身の対テロ用の自動小銃を構え、少年が事切れるのを待っていた。


 ゴーグルを上げて青い目を出したリーダーらしい男が、たどたどしい日本語で静かに語りかけた。


「You……ユーはテトリスト。我が国の人工衛星を破壊・・した。毎晩ユーの部屋から強力な粒子ビームが発射されていた事、知らぬはずが無いデース」


 凍るような低い声色で男は告げると、部屋の中を調べるよう仲間達に指示を出した。


 ――ビーム? なんの……こと?


 キラリは薄れ行く意識の中、困惑する。


 思い出せるのはいつもの学校の風景と繰り返される日常だけだ。

 進学と同時に始めた都会での一人暮らしにも慣れてきて、――正直、一人の晩御飯だけは慣れないままだったけれど――、自由な暮らしは嫌いではなかった。


 夜になるとお楽しみのゲームにアニメ、そしてエロゲ攻略と忙しくも楽しく充実したシングルライフを謳歌していただけだ。

 二次元美少女達のあられもない姿に興奮し、抗いがたい熱い血潮の猛りが腰に集まってくる感覚。そして男子なら仕方の無い肩を揺らしながらの自家発電・・・・行為。


 テロリスト呼ばわりされるような事など何も無いはずのだ。


 当然、衛星軌道上の人工衛星を破壊するような兵器なんて、この部屋にあるはずなど無かった。

 今日は今日とて、やっとたどり着いたご褒美エロシーンでお楽しみと、ズボンとパンツを下ろしたところだった訳で……。


 ――って僕、丸出しじゃん!?


 キラリはそこでガクリ、と白目になる。


「ユーの身体は解剖させてもらうデース。体内に希少金属レアメタル骨格フレームを有するミュータント……! 発電と粒子加速を……骨の中で行うユーは我らにとって貴重なサンプ――」


「お願い、せめて……パンツはかせ……て」


 難しい話は良く分からないが、まずはパンツだけでも履かせて欲しかった。これでは死んでも死に切れない。

 だが、全身が痙攣し口から血を吐くと、キラリは最後の言葉を発して事切れた。


 星園キラリ、享年16歳。


 短い人生で最後に発した言葉は、せめてパンツはかせて――、だった。


 ◆◆◆


『――目を覚ますップル!』


 実に耳障りな声が聞こえてきた。

 アニメに出てくるマスコットキャラのような甲高い声だ。


『おーい、聞こえてるっプル?』


「……ん?」


『ほしぞの……キラリ(プッ)くん?』


「――って、今笑ったな!?」


 がばっ! と星園キラリは、飛び起きると同時に叫んでいた。名前を笑った相手は誰であろうと修正してやる! と言わんばかりの勢いで。


 ちょっと(?)キラキラネームな「キラリ」という名前を笑われる事は、キラリにとって最大の地雷だった。


『あ、やっと起きたっプルー』


 だが、声は聞こえども肝心の相手の姿が見えない。


「あれ、ここは……?」


 きょろきょろと辺りを見回すと、光あふれる雲の中のような場所だった。


 上も下も右も左も真っ白で、ところどころピンク色を帯びている。例えるなら綿飴の中にいるような、ふわふわとして暖かい感覚が全身を包んでいる。


「あれ、僕は……銃で撃たれたはずじゃ?」


 ぱっぱっと全身を手で触りながら、身体と自分の手のひらを確かめる。だが、身体には穴も開いていなければ血も流れていない。


 ――そんな! 確かに部屋で特殊部隊みたいな連中に撃たれて……

 

 と、そこでザワつく冷たい予感が心を締め付ける。


「そうか……死んだんだ」


 母さんにも父さんにも、犬のワッフルにも……もう会えないのか。

 ホロリ、と頬を涙が伝う。


 そもそも、何故にあんな目にあったのだろう?

 

 突然乱入してきた特殊部隊は、自分が人工衛星を破壊したと言っていた。レアメタルの骨を持つ? そんなバカな事があるのだろうか? 

 何かの間違いで殺されたのだとすれば、死んでも死にきれない。キラリは拳を握り締めた。


「……ねぇ、ここは天国? それとも地獄?」


 キラリは絞り出すように、姿の見えない「声」に問いかけた。


『……ここはまだ、そのどっちでもないっプル! まぁボ……いや、神様・・が創った保留空間スナップ・ワールドとでも言うべき、多元世界の狭間っプル』


 なんだか良く分からないが、まだ何処でもないらしい。


「そもそも、君は……誰?」


 さっきから声は近くで聞こえるのに、姿の見えない声の主にキラリは話しかけた。


 この状況を説明してくれそうなのはこのアニメ声しかいないのだ。……語尾がやたらとウザいのが気になるけれど。


『ボッ!? ……ボクはホ、ホイップル。姿は……ええと(こんな……もんで……ガサゴソ)』


 ギクリとした気配と共に何やら声が乱れ、まるで舞台裏・・・で何かをしているかのような音さえ聞こえてきた。


「……?」


 キラリが訝しげに目を半眼にして回りを見回していると、次の瞬間。


 突然目の前にピンクの煙が噴き出したかと思うと、ぽんっ! とはじけて、可愛らしい謎の生き物が飛び出してきた。


「うわー!?」

『これでどうだっプルー!』


 きゅぴんっ! と空中に浮かんだまま回って見せるのは、半円形のぷにぷにした身体に数本の触手のような半透明の腕、色は青いゼリーのような「クラゲのオバケ」といったものだった。


 不思議な事にふわふわと浮いていて、適当に描いたような円らな瞳と笑みを浮かべた口がついている。

 なんともまぁ安易なマスコットキャラ的な造詣である。


「き、君が? クラゲ?」

「失礼っプルねー! ボクはホイップル。誇り高き…………ジェリービーン一族の…………勇者っプル!」


「ねぇ、いちいちそのは何? 今考えてます、ナウ・ローディングみたいな」


 キラリが半眼でクラゲを睨む。……怪しすぎる。


「かっ、考えてないっプル! え、えぇと、そうだ、ボクは神様の使いっプルー!」


 目線と身体を同時にフワフワと泳がせて、ホイップルと名乗る青色ゼリーがクルリと回って背中を向けた。

 

 ――って!


「背中にチャックあるんだけど!?」

「えっ!? 無いっプルよ! ここ、これは……超時空アンカーといって多元宇宙を(ごにょごにょ)」


「君さ……ホントは神様なんじゃないの? 手違いでボクが死んだ事を、他の神様にバレないようにモミ消そうととか、そういう『設定』ってよくあるよね……?」


「なな!? ないない! ないっっでござ……プル! ていうか人間界の設定にそんなの無いっプルー!」


 その動揺っぷりたるや怪しさ120%だ。語尾さえもブレそうになる始末。


「そ、それはそうと、生き返りたくなないっプル? キラ……リ(プッ)くん」

「笑うな! ってあれ?」


 キラリはそこで気がついた。


 身体がどんどん落下している感覚が強くなりと共に、空が徐々に暗くなり、ものすごい勢いで世界が流れてゆく。

 

 ――ボクも責任・・を感じてるプル! だから……せめて他の世界で余生を――

 

「まってホイップル! 他の世界って………!?」


 キラリの意識は、そこで完全に途切れた。

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