第11話




「――だーかーらー、何で今度はオマエなんだよ……!!」



 いい加減ウンザリして、ヒクつくコメカミを指で押さえつつ、俺は背後を振り返った。

 そこには……まるで“デ・ジャ・ヴュ”のような、つい昨日に見たばかりの光景。

 一定距離を保ちながら俺の後をついてくる、自分と同じ制服を纏った一人の男子生徒の姿―――。



「兄妹そろってヒトの後つけるのがシュミなのか! ――そこの神代かみしろ・兄!」



 ――そう……それに気付いたのは、ほんのつい今しがた。

 フと気配を覚って背後を窺ってみたところ、今度は、雪也ゆきやの格好した月乃つきの、ではなくて、正真正銘、雪也の方が、そこに居たのである。

 ようやく月乃の方が片付いたと思った矢先に、今度はコレ。

 本当に何か俺にウラミでもあるのか、この兄妹は! と。

 それに加えて、学校を出てから今の今まで、こうやってつけられていることに気付かなかった自分にイラッときて、思わず振り返ってしまったのだった。



「――それは言いがかりだよ」

 振り返って人差し指を突きつけた俺を相変わらずの無表情で見つめ返しながら。ただその声音にのみ不服そうな色を微かにだが覗かせて、おもむろに雪也は、口を開いた。

「そもそも今日一日、声を掛けようとしていた僕を避け続けていたのは、君の方じゃないか」

「そ、それは……」

 思いもかけない反論に、俺はややたじろぐ。

 なぜなら、――その言葉の通り、だったのだから。



 確かに今日一日、俺は校内で神代兄妹の見かけるたび、視線も合わさらないうちに、その場からきびすを返し続けてた。

 昨日の月乃との一件が、おそらく雪也にまで伝わっていないだろうはずはなく、それについてを妹の方からのみならず兄の方からまでも何くれと言及されるのなんざ面倒だ。――そう考えたこともある。

 だが、最たる理由は……“俺を〈生徒会長〉に”という例の話を、再びヤツらの口から蒸し返されるのが嫌だったからだ。



 昨日のあれやこれやで、とりあえず月乃との話には決着がついた。――と思う。

 どんな意味であれ、まがりなりにも自分が『好き』だと告白した相手の意向を全く顧みない、なんてことは、サスガのアイツでもしないだろう。――と思いたい。

 とはいえ、当の言いだしっぺである張本人とは、まだ何の話もついていないに等しいのだ。

 昨日のうちに月乃の口から、俺が〈会長〉なんて役に就くことなど望んでいないと、おそらく伝わってくれてはいることだろうが……しかし、それで雪也が素直に納得してくれるとは考え難い。

 なぜなら今回の会長指名騒動は、今期生徒会役員ぐるみで、既に動き始めてしまってることだから。

 あの武田たけだ先輩まで巻き込んでは入念な下調べをしたようなコイツのこと。

 妹の進言だからと、それを唯々諾々と鵜呑みにしてくれるハズもないだろう。

 …だって、考えてもみろよ?

 相手は、『どんなに「記憶の引き出しカッぽじって考えて」みたところで、僕の周りには「入学してこのかたマトモに会話を交わしたことの無い人間」しか居ない』なんてことを堂々と言えるくらい、他人のことには無関心、って人間なんだぜ?

 それだけ、誰に対しても公平に冷徹で接せられる、っていうことじゃないか。



『僕の選出基準に信頼関係の有無なんて必要ない。信頼は、これから作っていけばいいだけのことだ』

『どうしても信頼できないような〈会長〉だって判ったら、その時点でリコールすればいい』



 まさにヤツ自らが言った言葉の通りだ。

 自ら、信頼関係を『これから作って』いこうと言った、その信頼を寄せるべき〈会長〉を、意にそぐわなければ簡単に切り捨てることも厭わない、てーんだからな。

 それを悪びれもせず言いのけたのだ。あたかも、言った自分には、言った言葉には、全く非の打ちどころが無いだろうとばかりの堂々とした素振りでもって。

 そんな様子から考えるに……おそらく雪也は、誰の言葉も信じない。噂を、他人の意見を、鵜呑みになんてしない。

 ――なぜなら、誰に対しても“無関心”だから。

 自分の目で、耳で、実際に確かめたものだけしか信じない。

 自身で確かめてはじめて、裁定を下すのだ。色眼鏡のない視点で公平に…そして冷徹に見極めて。

 だからこそ、人と人との関係に於いても、簡単にやり直しが利くと思っているんだろう。

 ダメだと判った時点でサッサと切り捨てて次へ、ってのを、まるでルーティンワークのように繰り返すことが、イコール人間関係というものだとでも考えているに違いない。

 それゆえに、妹相手でも…ほかの身内や、信用を寄せるに足るどんな相手に対してでも、きっとコイツのスタンスは変わらないんだろうな。確実に。

 ならば俺のスタンスだって変わらない。

 既に告げた通りだ。――少なくとも“信頼関係”というものを“幾らでも取り替えが利く”と考えているような……そんな相手とは相容れられる気がしない。同じ日本語を喋っていてさえ、話が通じ合える気にもならない。



 だから避けたのだ。

 月乃のこと以上に、この雪也を。

 遠くで姿を見かければ、さりげなくその場を去り。視線が合おうものなら、即“回れ右”のうえ猛ダッシュで逃げ。

 何とかして、コイツが俺に話しかける隙を作らないようにした。

 所詮、相手は人同士の付き合いのイロハも知らない、徹底した無関心男。

 俺がそうやって逃げ続けていれば、そう時間をかけずに、相手も脈ナシと覚って諦めてくれるだろう、と……そう踏んでいた。



 だが……コトは、そう思う通りには進んでくれなかったらしい―――。



「君は今日ずっと、僕の姿を見る都度、ことごとく避け続けてくれたみたいだから。それで仕方なく、見つからないよう、こうして後をつけることにしたんだ。でも、ついてきたはいいけど、今度は何て声をかけたらいいのかと迷ってしまって。どんな言葉をかければ君は逃げずに話を聞いてくれるかな、と、考えながら機会を窺っていたところだった」

 君の方から声をかけてくれて助かったよ。…などと、やはり鉄壁の無表情を崩さずにシレッとそんなことを告げた雪也に、思わず面食らって眩暈まで感じてしまった。

 ――なんだよ……じゃあ振り返らず無視し続けてりゃーよかったんじゃねーか……!

 そのまま掛ける言葉に悩ませたままにしておけば、ひょっとしたら逃げ切れたかもしれなかったのに。せっかくの今日一日の苦労が水の泡だ。…己の堪え性の無さを恨むぜチキショウ。

 やれやれ今日一日逃げ切れたぜー、と軽く気を抜いていたところに、まんまと不意を突かれた形になってしまった。

 こんなにも…帰宅する俺を追いかけてくるほどまでに、雪也が諦めの悪いヤツだとは思わなかった。



「――おっ…、俺の方には! オマエと話すことなんて、無いからな一切ッ!」



 慌てて…とはいえ、それを覚られないよう必死に表情から押し隠し、平静を取り繕って俺は怒鳴るように叩き付ける。

 己の堪え性の無さがゆえにウッカリチャンスを与えてやるハメとなった、だなんて、そんなのあまりにもカッコ悪すぎて、当の相手には絶対に覚られたくはないじゃないか。

「昨日、生徒会室で言った通りだ。もう話は済んでるだろ」

 だからそのまま、まるで言い捨てるかのごとく、即座に踵を返して立ち去ろうとした。

 そんな俺を、「逃げないでよ」と、相変わらず冷静な声が追いかけてくる。

「話はまだ済んでない。君がそうやって逃げ続ける限り、僕はまた追いかけるだけだ。それじゃ何の解決にもならないだろう?」

 その言葉に、再びイラッとして振り返った。

 ――この期に及んで、まだ『追いかける』などと言うかコイツ……!

 すると、そこにはあまりにも真っ直ぐに俺を射抜く、ヤツの視線が待ち構えていた。

「君と僕との間に足りないのは相互理解だ、って、有澤ありさわ先輩に言われた」

「――『相互理解』、だとぉ……?」

 ヤツが何か言う毎に、更に苛々が募ってゆくようだ。

 苛々に任せ、再び怒鳴るように言い放った。

「俺たちの間で、そんなものが成り立つハズも無いだろうが!」

 有澤先輩もどうかしてる。

 あの時の会話を聞いていたなら、俺たちの間に相互理解なんざ成り立たないだろうことなど、明らかに目に見えて解りそうなもんなのに。

「俺たちが互いに相容れないことは、あの時のやりとりで判ったはずだろうが」

 寝ぼけたこと言ってんじゃねえよ! と続けかけた俺を、ふいに「判るはず無い」という言葉が遮った。

「君の言う『あの時のやりとり』が、昨日の生徒会室でのことであるならば尚更だ。『互いに相容れない』などということが、君に判るハズも無い」

「なんだと……!!?」

「だって、そうだろう? あの時、君は僕の言い分など全く聞かずに席を立ってしまったんだから。お互いの言い分を知りもしない、聞こうともしない者同士の間で相互理解できるか否かなど、そもそも判りようハズがない」

「…………!!?」

 途端、アタマに血が逆流したようにカアッと熱くなったような感じがして、思わず思考が真っ白になった。

 ――なにを言ってるんだコイツは……?

 何も考えられなくなった。

 アタマに浮かぶのは、ただその疑問ひとつだけ。

 そんな俺の様子に気付いてか気付かないでか、更に淡々と雪也は言葉を継ぐ。

「その判断を下すためにも、君は、まず僕の話を聞いてみるべきじゃないのか」

「――――!!」

 その言葉が終わるのを待たず、衝動的に手が動いた。

 我知らず、咄嗟に俺は雪也の胸ぐらへと掴みかかっていた。

 空いている片手でヤツの胸元を掴み、自分の方へと引き寄せる。

 ――苛々する。

 こうまでされてさえ尚、顔色ひとつ変えずにいる、その端正な顔。

 それを至近距離で見下ろしたら更に苛々が募ってくるようだ。真っ白なままの思考の中で、ただコイツを殴り飛ばしたいという、暴力的な衝動だけが身体中を駆け巡ってる。



「あんだけ聞きゃー充分だ……!」



 ヤツを睨み付けたまま、低く、脅すような声音でもって、俺は告げた。

 だが同時に、それは自分の衝動を押さえ付けるためでもあった。

 ――俺は、あくまでも平和主義者だ。感情のままに拳は振るわない。絶対に。

 無意識のうちに、俺は力いっぱい下唇を噛み締める。



 感情の赴くままに何をしてもいいというのなら、それは動物と同じ。

 だが所詮、人間だって動物だ。

 しかし、他の動物には無い、人間にしか持ち得ないものがある。

 ――それこそが理性。

 それが無ければ、人間は簡単に獣になれる。

 人間の本性は動物。ゆえに人間は、牙を持たない狡猾な獣だ。

 その本性を人間たらしめているものが、理性の有無。

 感情や衝動を抑えるのは理性だ。

 ふとしたきっかけで噴き出してくる獣の本性を抑えるには、理性を総動員すればいい。――ただそれだけのことなんだ。



 今ここで苛々に任せコイツに拳を振り上げるのは簡単だが、そんなことしたって何の解決にもならない。暴力は、ただ壊すだけで何も生まないのだから。

 そんな無駄なこと、俺はしない。

 そんなもので今の俺を止めることなど、ほかでもない俺自身が許さない。

 そんな簡単なことで、コイツに付け入られるかもしれないような“弱み”だって、絶対に与えたりしない。してたまるか。



 ――なら一体、どうしろというんだ……!! どうすれば逃れられるんだ、コイツから……!!



「…殴らないの?」



 ふいに間近で聞こえてきた、その声で。

 ハッと我に返り、下唇を噛み締めていた力が緩んだ。

 見下ろした俺の視線の先には、相変わらず無表情さを湛えた端正な雪也の顔が、さきほどと変わらず、そこに在る。

 その無表情の下で、刹那に浮かんだ俺の逡巡までをも、コイツには見透かされてしまったような気がして……きまりの悪い想いを覚え、おもむろに視線を外した。

 だが、そうして外れた俺の視界の外側で、雪也の視線は、まだなおコチラを射抜くように見つめているのを感じる。

 そして、おもむろに言葉が紡がれた。



「…それとも、の?」



「――――!!?」



 言われた途端、ざあっと全身を鳥肌が駆け抜けたような…そんなソラ恐ろしい感触を、覚えた―――。



 何故かギクッとして。なんだコイツ、と思って。

 咄嗟に息を飲み込んで振り返っていた。

 再び視線が、俺を射抜く雪也の眼差しを捉える。

 と同時に、掴んでいたヤツの胸ぐらを突き飛ばすようにして手放していた。

 何か得体の知れないモノを目の前にしているような。すべてを見透かされているかのような。

 ――そう、まるで恐怖だ。

 目の前に立つ雪也に、今まさに俺は、恐怖というものを、感じた。



 ――コイツは……一体、んだ……?



 そう…そうだ、そういえば。――そもそも俺は、知っていたハズじゃなかったのか? 解っていたハズじゃなかったのか?

 コイツが、あの武田先輩までをも巻き込んでは俺について入念に下調べをしていたことを。

 誰に対しても“無関心”であるコイツなら、自分の目で、耳で、実際に確かめたものだけしか信じないだろう、ってことを。

 それが『神代雪也』という人間のスタンスであると……俺は理解していたハズじゃ、なかったのか……?

 我ながら考えが甘すぎる。

 その雪也なら、俺に関する情報のすべてを知っていたとしてもおかしくはない。

 ――むしろ、知らないハズなんて無いだろう……!

 そんな素振りさえカケラも見せず、まさに自然体のままヤツは、するりとガードをかいくぐり俺の核心を突いた。

 ほんのフとした一瞬の間に、俺の奥底にある一番触れられたくない部分に踏み込んできた。

 まさに、それは俺に対する“挑発”だった。

 それを覚ると同時に湧き上がってくる、驚愕、狼狽、困惑、――そして怒り。

 様々な感情が交錯し、混乱する。

 その混乱が、俺の中に恐怖に似た何かよくわからない感情すらもたらす。



「――オマエに何が分かる……!」



 無意識に、唇から言葉が零れていた。

 自然と視線が、雪也を見据えて睨み付けていた。

 知らず知らずのうちに握られていたこぶしに力が籠もり、徐々にぎゅうっと締め付けられていく。

 それでも先刻のように、その拳が衝動のままに眼前のヤツへと向かうことは無かった。

「オマエに俺の何が分かるっていうんだよ……!」

 自分でも、自分が何を言っているのか、何を言いたいのか、分かってはいなかった。

 ただ混乱する思考が、闇雲に浮かんだ言葉を唇から吐き出そうとしていた。



「何も知らないクセに……! 俺以外の人間が、知ったように俺を語るんじゃねえッ……!」



 明らかに、それは混乱がもたらした咄嗟の虚勢だった。我ながらそう思う。

 だからこそ……あくまでも静かに穏やかに、返された言葉に狼狽え、戸惑った。



「『語る』だなんて……そんなつもりは毛頭ないよ」



 そう淡々とした口調で、雪也は言った。

「僕はただ、君のことを知りたいだけだ。あまりにも僕は君のことを知らな過ぎるし」

 相変わらずの無表情で。だが、先刻に比べて少しばかり瞠られたようにも見える瞳で、真っ直ぐに俺を見つめて。

 その形の良い唇が、なおも言葉を紡ぎ出す。

「だから君と話をしたいだけだ。君という人を少しでも理解してみたい。僕にとって君は、はじめて興味を惹かれた対象だから」

「え……?」

「とりあえず話をしてみて……有澤先輩が言ったような『相互理解』というものをし合える関係に、僕たちはなれるのものなのか、まずそれを知りたい」

「…………」

「僕がそれを君にもと望むことは、君にとって、そんなに気に障ることなのか?」



 ――なにを言ってるんだコイツは……?



 面と向かって発される、そんな言葉たちを聞きながら……俺は、咄嗟に張り巡らせてしまった虚勢がゆるゆるとほどけていくのを感じていた。

 聞いているうちに、俺の中に大きく膨らんでいた混乱や狼狽といった感情までもが、あたかも空気の抜けた風船のように、ふしゅーと音を立てながらみるみる萎んでいったのが分かった。

 いつの間にか絶句していた。いつの間にかポカンと開いていた口が、開いたまま塞がらなくなっていた。

 さっきまで、あんなにも得体が知れないとまで思って恐ろしくさえ感じられていたコイツが……途端、単なる普通の高校生の姿になった。

 つか、“普通の高校生”でも言い過ぎなんじゃないかとまで思うぞ、コイツには。

 …だって考えてもみろよ?

 イマドキの高校生…っていうより、齢十六にもなった立派な男が、面と向かってそんな小っ恥ずかしいこと言うか普通?

 イマドキ小学生だって、もうちょっと上手いこと言えるだろうに。



 ――『友達になろう』ってことくらい。



 …要は、そういうことだろ?

 なんでそんな簡単なことを簡潔にヒトコトで言えないんだよコイツは。

 ワザワザ『「相互理解」というものをし合える関係に僕たちはなれるのものなのかどうか』なんていう、持って回ったような回りくどい言い方なんてしやがって。

 しかも黙って聞いてれば何なんだよ、あの言い草も。

『君のことを知りたい』とか『理解してみたい』とか『はじめて興味を惹かれた』とか……あんなん、まるで愛の告白じゃねえか。

 そんな“告白もどき”をされれば、普通に恥ずかしさとか照れくささとか感じてもおかしくなさそうなものだが。なおかつ、俺のどこに興味を持たれるところがあったんだろう? っていう疑問も、当然のごとく浮かんできそうなものなのだが。

 とにもかくにも、まず呆れた。呆れ果てた。それ以外に無い。つか、ありえない。

 呆れ果てたあまりに、出す言葉までもが無くなった。

 言葉だけじゃない、咄嗟に湧いてきた感情やら疑問やらそういった何やかやの全てが、一気に纏めて遥か彼方にフッ飛んでしまったほどだ。

「――オマエ、なぁ……」

 やっと出てきた言葉は、ほぼ呻きに近い呟きのみ、で。

 加えて、深々としたタメ息までも追加される。

「ホントにオマエ、どこまでディスコミュニケーションなんだよ……」

 そんな俺の呟きに、まるで意味が分からないとでも言いたげに首を傾げた、そのキョトンとした無表情が脱力を誘う。――この呆れ果て度合いに更に拍車をかけてくれやがったなコンチクショウ。

 そんなんでよくここまでの人生渡り歩いてこれたよなーと、ある意味ほとほと感心する。

 …つか、むしろ人としてどうなんだよそれは?



 ――ここへ至ってようやく、俺は理解した。

 というより、むしろ“認識を改めた”とでもいうべきかもしれない。

 偉そうに他人のことばかり言えやしない。――知ったように語ってたのは、むしろ俺の方だ。

 俺は、大して知りもしない会ったばかりのコイツのことを、その上辺だけで判断して、いっぱしに理解したつもりになっていただけだったのだ。

 コイツは、少なくとも“信頼関係”というものを“幾らでも取り替えが利く”と考えているようなヤツでは無かった。

 単に、人間関係そのものを極端なまでに“知らない”、というだけのヤツだった。

 そりゃー、な……知らなきゃ知らないなりに知ろうとして、自分が納得できるまで食い下がったりとか、するよな普通に。興味や好奇心から、相手のことを調べようともするかもしれないよな。

 なんてこった。そうやって考え直してみたら、これまでの“相容れない”と思った雪也の言動のすべてに、全部説明がついちまうじゃねーか。



 神代雪也。――コイツの対人コミュニケーション能力は、小学生以下だ……!



 だが、それが解ったからとはいえ、俺が生徒会長になる云々の話とは、それはそれでまた別物である。

 そもそも、そこが分からないことについてはコレッポッチの変わりがないのだから。

“俺を理解すること”と“俺を生徒会長にすること”とが並び立つ道理が、サッパリ理解できないし。

「一体オマエは……俺に何を望んでるんだよ?」

 また洩れた深々としたタメ息に混じって、ボヤきにも似た独り言めいた問いかけ。

 それは、雪也の言う『話をしたい』発言を受け入れるに等しいものだと、自分でも解ってはいたけれど……それでも言わずにはいられなかった。



「なんで俺を、生徒会長なんかに指名したんだよ……?」



 ひょっとしたら、俺も……ここへきて、だんだん『神代雪也』って人間を理解してみたいと考えるように、なりかけているのかもしれない―――。



 俺のその言葉を受けて、何となく…本当に“何となく”としか言い様のないほど微かにだが、一瞬そこで雪也の表情が緩んだ――ように、俺には見えた。…単なる目の錯覚かもしれないが。

 だが、その一瞬に目を奪われていた。

 コイツにも無表情なりの表情ってもんがあるんだな…なんていう、ほんのちょっとした発見に。

 そして、何故だかそのことに対し無性に安堵を覚えているような自分が、不思議だった。

「――やっと、だね」

 相変わらず淡々とした…なのに、まるでホッとしたようにさえも聞こえる口調で、雪也は言う。

「やっと僕の話を聞いてくれる気に、なってくれたんだ」

 結局のところ、そう言うヤツの思惑にまんまと嵌まってしまっただけのことじゃないか、と。

 そこでフと我に返ってみれば、そう思えて仕方なくて。

 少しだけ悔しくもなり、意地でも肯定の返事なんぞ返してやるかとばかりに俺は、むっつり唇を引き結んで黙り込んだ。



 ――まさに、その時のこと。



 ふいに耳へと飛び込んできたのは足音だった。それも多数の。

 アスファルトの表面をざりざりと擦るような音を立てて、背後からコチラに近付いてくる、何人もの足音。そして一緒に近付いてくる不穏な気配。

 ――ひょっとして、もしや……?

 イヤな予感に振り返ろうとしたと同時、

「…おい、テメエら」

 そんな低い声が、間違いなく俺たちへと向けて、投げ掛けられた。

 振り返るまでも無いが、とりあえず振り返ってみた俺の視界に映ったのは、――見覚えのある制服のグレー。

 灰色がかった珍しい色の学ラン、なんて……見間違えようハズも無い。

 ――昨日、テツの件で俺に難癖つけにきた連中。

 しかも、こちらへと向かってくる人数は、昨日よりも更に増えている。おまけに各々の手には竹刀やら木刀やら鉄パイプやらが握られているし。

 考えたくも無いが……それもこれも、あの月乃のブチかましたケリ一発が、最大の理由に違いない。

 人間一人を軽くフッ飛ばしたあのケリは、よっぽど連中の――というよりフッ飛ばされた側の当人の怒りを、無駄に煽り立てる結果となってしまったらしい。

 ――だぁら、こういうことになるから、あれほど……! くそ、あの単細胞馬鹿オンナがーーーっっ……!!

 などと、今この場に居ない月乃への文句を心の中で絶叫したところで、現状が打開されるワケでもない。

 ああホントに何て面倒な…と、またもや洩れ出てきた深いタメ息と共に頭を抱える。

 この人数がいれば、ほどなく俺たち二人がその中へと囲い込まれることになるのは自明の理。とはいえ、とりあえず背後だけはとられないようにと、雪也と共に傍らのブロック塀を背にするよう後退した。

 それとほぼ同時にして、先頭きって歩いていた目立つ金髪頭の男――確か月乃のケリでフッ飛ばされた張本人だったような気がするソイツが、にやにや薄ら笑いを浮かべながら俺たちの目の前に到着する。

 昨日は、相手をジックリ眺めてる余裕も無い上に、すっかり薄暗くなってた時間だったから、さほど目立ってたカンジは無かったけど……そうそう、確かにこんなカンジの金髪頭だったような見覚えはある。なんとなくながら。

「また会えたなァ、嬉しいぜェ」

 言ったヤツの背後を見渡せば、そこにいる連中は皆、同じような薄ら笑いを浮かべていた。

 薄ら笑いを浮かべながら、なおもたらたらと歩みを進め、俺たち二人の周囲を遠巻きながらも徐々に取り囲んでゆく。

 …どうやらコイツらは、他人を痛め付けるのが楽しくてしょうがないらしい。

 所詮こっちは二人、大人数で囲めば抵抗らしい抵抗なんて出来ないに決まってる。…ということを重々承知しきっている、下卑た笑み。

 俺は思わず眉をしかめた。

「おいおい、せっかくこっちからわざわざ会いに来てやったってェのに、そんな渋いカオはするこたぁねえだろうが」

 半ばせせら笑うようにソイツが言うと、つられたように、周囲からも笑い声が上がった。ついでに、木刀やら何やらの武器が各々の手の中でもてあそばれては、ぱしぱしと乾いた音を立てる。まるで準備万端とばかりに。

 金髪のソイツも、手にした木刀を俺たちに見せびらかすようにしながら軽く肩へと掛けてみせて。

 ようやく、ここへ来た用件を告げてきた。とても楽しげな口振りで。



「なァに、ちょっとしたお礼参りだ。――昨日のこと、忘れたとは言わせねえぜ?」





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