はじめての旅路(2)


「どうしよう……困ったなぁー…」

 あれから昼食を頂き、布切れで二重に靴全体を覆い結び靴底の穴を塞ぎ直していると、間もなく雨が急に降り始めた。空を見上げてみると、とても厚い雲が上空に広がっている。

 当分、降り止みそうにない。


「……仕方ないな」

 このままここでこうやって時間を無駄にすると、夕方までに屋敷へ辿り着けなくなりそうだったので。わたしは雨雲を見上げるのもほどほどに、リュック袋の中から布切れを取り出し、小瓶に入った調理用の油を手に適量取り、布切れに油をゴシゴシと擦り込み広げた。

 それからその布切れを頭から被り立ち上がると、この雨が降りしきる中、屋敷へと向かい再び歩き出す。


 油が雨を弾いてくれるので、上半身だけはどうにかびしょ濡れにはならずに済んだけれど。膝から下はどうしても濡れてしまうし、時間が経つに連れて、全身泥まみれにもなってゆく。

 更に、靴の中に雨水が溜まるので、休憩の度に靴をひっくり返し、中に溜まった泥まじりの水を出す。

 でも、歩き出すと直ぐにまた雨水が溜まるから、靴や服が重たく歩き難いので参ってしまう。


「夕方までに着けるといいんだけどなぁー……」

 ようやく目印となる川が左手に見えて来たので、現在地が解りホッとしたけど。ここから更に進むと橋があり、その橋の手前にある右手の道を更にずぅーっと進んだ先にもうひとつの大きな目印となる大木があって。その近くにある三叉路から右手の道を進んで行くと、メルキメデス家の屋敷があるらしい。


「思っていた以上に遠いな……」

 しかも、この手書きの地図がどこまで正確に描かれてあるのか、不明で。見る度に、なんだか不安で思わずため息が出てしまう。この地図が正確なものなら、まだ半くらいしか歩いて来ていないことになってしまうから。

 今はむしろ、この地図に間違いがあって欲しいとさえに思えるほどで。


「……足、痛いなぁ」

 この雨風と冷え込みで、足の痛みも治まるどころか、尚更に疼きがひどくて参る。

 正直いって、これ以上歩き続けるのが辛く感じてきた。空を見上げると、太陽が全く見えないので、今が何時くらいなのかもまるで分からないから困ってしまう。


 夕方までに辿り着けなければ、途中のどこかで野宿し、次の日の朝に訪ねるしかないんだけど。この辺りはどうも野党とか出そうでとても怖いから、それだけはどうにか避けたかった。つくづくマーサの言うことをちゃんと聞いておけばよかったなぁ~と後悔ばかり感じてしまう。


 でも、思っていたよりも早く橋が見え始めたので、わたしはそこでホッとし。歩みを速め、橋の手前にある右手の道へと疼き痛む足を庇いながら一歩一歩確実に足を引きずり進み向かう。


「……案外、この地図はいい加減なのかもしれないな?」

 少しだけ光明が見えた気がした。

 ここへ来てようやく雨が止んだので、わたしは頭から被っていた布切れを長めに折り畳み、抱える袋の紐に括り結んで巻きつけた。

袋の中へこのまま入れると、油や雨水で袋の中が汚れてしまうと思ったから。


「うわあー!」

 疼き痛む足を優しく擦り、それから再び顔を上げ前方を見ると。急に綺麗な虹が前方の空にかかり始め、それはとても素敵だった。


 あれだけ厚かった雲も今ではすっかりと切れ青空が顔を出し、空から差す光と共に晴れ間が眩しいほどに広がり始めている。道の左手の川もよく見ると、とても澄み切っていて。なんだか心踊り嬉しくなる。しかも遠くの方に、目的にしていた大きな木が見えていた。 


 あった! あれがきっと目印の大木だ!!


 そう期待し、あんなにも疲れ疼くほどに痛みを伴っていた足が今では軽く感じられる。

 といっても……その木は想像していたよりも遥かに大きく立派で、到着までに思っていたより時間がかかってしまった。それにしてもこの木、わたし5人分ほどの横幅がある!


 わたしはその大きな木を呆れた思いで見上げながらそう感心したあと。これから向かう方を、ソッと目を向け覗ってみた。

 思ったとおり、この大きな木から少し進んだ先に三叉路が見える。


 間違いない、この地図の通りだ!


 だけど同時に、そうやって喜ぶわたしの頬に赤い夕日が差し込み始め。わたしはその沈む夕日を悲しげにほぅと遠目に見つめ……元気なく静かにため息をつく。


 もう今からではとても間に合いそうにないことを悟ったから。

 それに、この足も限界だしね……?


 それからあと、隣に立つ呆れるほどに大きな木を改めて遠目に見つめ、グルリとその周りを歩き見上げていると。思ってもみないことに、その木の根元から1メートル弱くらいの高さ真ん中辺りに大きな穴がポッカリと開いていて、わたし1人くらいなら十分に入れそうな気配だった。


「……この中で、今晩だけでも泊まれないかな?」

 わたしはそう零し、その穴へと近づき向かう。だけど、『中から何か、急に飛び出てきたりして?!』と、わたしはおっかなびっくりそう思い。とりあえずその場に手荷物をゆっくりと静かにに気づかれないようにソッと置き。代わりに、近くに落ちてあった太い木の枝を両手に持ち換えてから、上段に構え、いつ相手が襲って来ても大丈夫なように備えた。そのあとソッソッ……と、こっそりこっそり一歩一歩近づいてゆき、その真っ暗な穴の中を注意しながら横目で覗きみる。


 ……取り合えず中には、呆れるほどに誰もいなかった。


 穴の中へ更にそっと顔を入れ覗き見ると、上は天井が見えないほどに真っ暗で高く。底は底で、土が見えてしまっていて『これが本当に木の中??』と驚くほどだった。


 どうもこの木は化け物みたいに大きいけど、中心部分は何かに食べられちゃったのか?吹き抜けていて、それこそ拍子抜けするくらいの空っぽだった。奥行きはゆうに1メートルくらいはあると思う。寝転がり眠ることは無理だけど、座り足を伸ばして寝ることは楽に出来そう。

 ただ、かなり薄気味悪い……いつどこから毒虫とかヘビが出て来ても不思議じゃないほどに不気味。

 うへ。


「といっても……外で野宿するよりはマシよね??」


 わたしは手にしていた木の枝をその場に立てかけて置き、手荷物のある場所まで戻る。それから手荷物を胸元で抱え木の穴の傍まで持って行き、一旦そこへ置いた。それからリュック袋の紐に結んで置いた雨具代わりの布切れを解いて、先ずはそれをサッと手早く広げ、木の穴の中へ半身を入れ片足を上げながらもそっと底に敷く。

 その上から更に、汚れていない布切れを隙間無く敷いた。


 これで随分と中は快適になったと思う。


 そのあと手荷物を木の穴の中へ放り込み。その時に、なにやら怪しげな変な音がしたけど。余りそこは気にせずゆっくりと足を踏み入れ、木の中へと降り立った。が、


 グシュ……☆


「え……ぐしゅ? うわっ!? ひいやあゃああああ――!!」


 明らかに虫か何かを踏んだような鈍い感触が、足元から音と共に耳にまで伝わり。足先から背筋を通り過ぎ頭の先まで凍るほどにゾッとし。わたしは慌てて手足四つ器用に獣みたく使いその木の中から外へと這い蹲り飛び出し、猛ダッシュで二メートルほど離れた。

 目尻に涙が溜まり今にも泣きそうなほどに顔面蒼白でガタガタと震え、後悔な気持ちで一杯になる。


 随分と前にマーサから『虫たちにもね。命は私たちと同じように、ちゃんとあるんですよ』と教えられたことがある。その事をこんな時になって、わたしはタイミング悪く急に思い出し。今となっては罪悪感でわたしの心は苛まれ、あの感触を思い出し想像するだけでもぅ嫌になる。


 きっとわたし、これで地獄に落ちるんだ……!

 そう思って。

 

 しばらく経ち……ようやくわたしは落ち着きを取り戻して、ため息をつき立ち上がった。

 過ぎたことをくよくよと考えても仕方がない、そう思ったから。だけど、この中で寝るのだけは辞めにしよう……。薄気味悪いし。


 そう思い、再び木穴の方へ荷物を取りに嫌々ながらもゆっくりと近づき。恐る恐る穴の中へ半身を入れ、気持ち体だけは引いた状態で手だけを指し伸ばしてみたけど。あとほんの少し数ミリのところでどうしても届かなかった。


 指先だけなら何度か触れられたんだけど、このままだと無理があるみたい……それで仕方なく怖いなと思いながらも更に身体を中へと入れ、荷物に手を伸ばし掴む。で、『やった!』とばかりに満面の笑顔で喜びそれを引き上げようとした――ら……ドサッ!と、逆に木の中へ。自分の方が身体ごと、しかも今度は頭から落ちてしまった。

 と、ほぼ同時に。『グシャリ☆』とした音と感触が手のひらやら顔から直接伝わり、わたしは言葉にもならない悲鳴を自分でも驚くほどに叫び上げ。この木枝で幸せそうに寝静まっていただろう小鳥たちも驚き逃げ出すほどに中で独り大暴れに大騒ぎし、間もなくその場で身を小さく縮め『もうこの場から、絶対に動かないっ!』と顔面蒼白に思い力強く頷く。


 なにを踏んだのかわからないけど、そういうのはもう考えないでおこう。


 でも……そうはいっても、やはりどうしても気になって仕方がないので。ため息をつき、わたしは恐る恐る床に敷いた布切れの下を覗き見る。と、そこには枯れ木や腐りかけの葉などが沢山あった……。

 どうやらさっきの感触は、その草木だったらしいことが分かる。それでようやく一安心出来た。


「な~んだ……もうー勘弁してよ。わたし独り、さっきから馬鹿みた…………――ひあっ!!」


 そう思い零す間もなく手の甲の上に一匹の虫が止まり、気持ちこちらを恨めしそうに見つめていた。

 いや、そんな気がしただけなんだけどね……?

 その虫を指でそっと掴み近くに置いて、わたしは手荷物の中から食べ物と飲み物を取り出し、一口だけパンをかじったあと、また元気なくそのパンを静かに見つめる。


「なんだか………もう疲れちゃった…」

 やがて木の穴の向こう側に蒼い月が見え始め。わたしはそれを遠目にほうと眺め、少しだけ気持ちが安らかになれた気がする。


「明日は、晴れるといいな……」

 蒼い月は不思議なほどとても綺麗で、このわたしのことをまるで優しく見下ろし包んでくれているかのようにメルは独り感じ、知らぬ間に眠ってしまっていた――。



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