《第2話》

はじめての旅路(1)

 もうお昼ごろとなり、随分と歩いた気がする。

 ここへ辿り着くまでの間、ある程度歩いては五分ほど休み、再び歩き出すというのをもう何度も繰り返して来たんだけど。流石にちょっと疲れて来たし、足も正直なことを言うとかなり痛くなって来ているので参った。


 でも急がなければ、夕方までに御屋敷へ到着出来ないかも……?


 そう思うと自然に歩みも早まって来るし、休む時間だって惜しいと思えてしまう。とは言っても、体の方がクタクタで限界を感じ始めているのが分かる……余り無理は出来ないかな?

 はぁ、参ったなぁ-。


 現在の場所を確認しようと一休みついでにその場で立ち止まり、地図を開いて見たんだけど。現在地を確認出来るほど目立った建物などが周辺にはまるでないので再び参った。


「……もうしばらくすると。左手に大きな川が見えてくる筈なんだけどなぁ~…?」


 そう思い、前方を遠目に見つめてみたんだけど。青い草木だけの荒涼とした寂しい景色が地平線の向こうまで広がっているばかりで、どうにも困った。州都で育ったわたしとしてはなんだか不安になってしまう程に人気がなく、次第に心寂しくなってもくる。だって道を訊ねようにも人がいないから。もう長いこと誰ともすれ違ってないし。

 困り顔に再び地図を改めて見つめため息をつき、つい独り言を零してしまう。


「なんだか……とても寂しいところにこの御屋敷はあるんだね…?」


 その屋敷はこの街道から更に外れた場所にあると、その地図は指し示していた。

 今更だけど、マーサの言うことをもう少しちゃんと聞いて置いた方がよかったのかもしれない。自分がこれから勤める御屋敷がこんなにも辺鄙な所だとは、想像さえもしてなかった。まさかこんなにも田舎だなんて……今更だけど、なんだか思わずため息が出てしまうよ……。


「――痛ッ!」

 再び歩き出して間もなく、急に足元から痛みを感じた。それでソッと足を上げ靴底を覗き見ると、靴底に見事なほど大きな穴が開いている。これにもかなり呆れ顔で参った。


 靴の予備も用意して来るべきだったなぁ……? とにかく布切れでも巻いて、応急処置するしかないよね?


 わたしはそう思い、近くにいい木陰はないものかと辺りをキョロキョロと見回す。

 と……その時。後ろの方からカシャカシャという音が聞こえ、『何かな?』と思い振り向くと大きな駅馬車が後方からやって来るのが見える。それは本当にとても大きな六頭引きの駅馬車だった。するとその駅馬車は、このわたしの傍で何故か急に止まる。

 思わぬことに驚いたわたしは、びっくり眼の表情で目を見開き見上げた。


「お嬢ちゃん。こんな辺鄙へんぴなところで独りなにをやってるの? この近くの家の子なのかい??」


 その大きな駅馬車の騎手の人が顔をこちらへと向け、心配げな表情を浮かべ見せていた。その傍らには体躯の良い男の人も居て、怪訝な表情で顎鬚に手を当てこちらの様子を伺い見つめている。

 良かった。悪い人ではないみたい?

 わたしはそう思い、ホッとひと安心する。


「えっ、と……ずっとこの先にあるらしいお屋敷まで向かっている所です。この場所なんですが、分かりますかぁー?」


 そう言い地図を手渡すと、騎手の人はその地図を見つめたまま間もなくため息をつき、口を開いてきた。


「ここからだと、まだまだ相当歩かなきゃいけないよ、お嬢ちゃん。どうやらこの辺りの地図には疎いようだけど。一体、どこの村からやって来たんだね?」

「この先にある、州都アルデバルから……ずっと歩いてここまでやって来ました」

「──アルデ……って。ちょっ、冗談だろう!? ここから二十キロは先にある街じゃねぇーか!」


 騎手の隣に居た体躯の良い男の人がそう言って驚き、中のお客さんもそれを耳にして驚いた顔と呆れ顔を一同複雑に見せ合っていた。


 それにしても二十キロ? もぅそんなにも歩いて来たんだなぁ……靴にこんな大穴が開いてしまうのも仕方ないことかぁー。

 わたしがそう思い、ため息をついていると。騎手の人が同じようにため息をつき、口を開いてくる。


「お嬢ちゃん、悪いことは言わない。あいにくとこの中は満員だがね。この屋根上の荷物置き場になら、嬢ちゃん一人が乗るくらいの場所はある。

乗り心地は相当に悪いが、その代わり、格安で乗せて上げるよ。だからそうなさい」

「……」


 その厚意は嬉しいし、とても助かるんだけど。そうすると、あの傲慢な貴婦人との約束を果たせなくなるからそれを受け入れる訳にはいかなかった。

 面接の絶対条件は『歩いて』屋敷を訪ねること。つまり、ここで駅馬車なんかに乗ったら、あの傲慢で陰険な貴婦人を喜ばせてしまうだけだもの! なので、ここは断る他にない。正直なことをいうとそのことが気持ちとても辛く感じてしまう。

 だってさ! 目の前のいい人たちの好意を裏切るような気がしたから。


「あのっ、とても感謝しています! でも……どうしてもそういう訳にはいかない理由があって……」

「そうはいかない理由? それは一体、どういう訳なんだね?? 何か特別な理由でも?」

「お金のことなら心配ないよ! ソワンジの兄さんも、マルホイの兄さんも、君からお金を貰おうだなんて端から考えちゃいないもん。 

オイラには何となく分かるんだ。ヘヘ♪」


 唐突に駅馬車の屋根の上にある荷物置き場から、わたしと同じ年齢くらいの男の子が唐突に半身を乗り出しそう言ってきたのだ。

 わたしは予想もしていなかったから、びっくり眼でその男の子を見つめた。


「こら、コージ。お前は! 他のお客さんの前で、なんてバカなこと言うんだ!! そんな特別な扱い、出来る訳がないだろう! 

ハハ……どうもすみませんねぇ~。コイツと来たら本当にバカなもんで。は、ハハ……はぁあ~…」

「うっわ! ごめんよぉ~、マルホイのお兄さん!!」


 男の子はそれで、頭を引っ込めた。

 そのマルホイと呼ばれた騎手の人は、中の客に頭を下げたあと。わたしの方を改めて見つめ直し、そのあとで困り顔に頭を軽く掻き、それから残念そうにその場で「はぁ~……」とため息をついている。

 もしかすると本当にあの男の子が言った通り、わたしだけ特別に無料で乗せてくれるつもりだったのかもしれないなぁ?

 そのマルホイさんの表情を見て、そんな気がした。


「まあ別に、それでも良いんじゃないのかね。なぁ~みんな、そうだろう?」


 中に居た乗客の一人であるお爺さんが、突然にそう言い出したのだ。

 それを受け、他の人たちも互いに顔を見合わせ、黙って真剣な表情で力強く頷き合っている。


「ああ、そうだな。私もそれで、全く構わないと思うよ?」

「ええ、そうね……このままではとても可愛そうだもの。そうして差し上げましょうよ!」


 駅馬車の中に居た十数名みんなが同じ意見でそのことを容認してくれていた。

 それらの意見を聞いて騎手のマルホイさんは嬉しそうに、わたしの方へ満面の笑顔を向け口を開いてくる。


「――だ、そうだっ! で、どうするんだね? あとは、君次第なんだよ」

「……」


 本当に……ありがたい、とは思ってる。

 涙が出るほどに嬉しいと感じてはいるんだけど。でもそうはいかないから、正直いって困ってしまう。

 そうは言っても……マルホイさん達だって、理由も無く断らわれたら直ぐには納得出来ないだろうなと思う。それに、気分もよくないよね?

 そう思い、わたしは断るしかない理由を正直に伝えることに決めた。



「なるほどねぇ……だから『歩いて』そこまで向かう、って訳かね?」

「はい。なので、皆さんのご厚意はとてもありがたく感謝の気持ちで一杯なのですが。お受けする訳にはどうしてもいかないもので……」


 わたしのその言葉を受け、駅馬車の人たちはみんな残念そうに見つめ合い、ため息をもらしている。それからまた、他にいい方法はないものかと考えてくれているようだった。

 その気持ちがとてもありがたいな、って思え凄く嬉しかった。


「それにしてもその屋敷の主っていうのは一体、どういう神経をしているんだろうね? 

こんなにも小さな子に、歩いて来させようだなんてさ……まったく、バカな話だよ。呆れちまうね!」


 駅馬車の中のふくよかなおばさんがそう言ってくれたのだ。

 わたしは肩を竦め見せ、口を開く。


「その方は、が少々普通とは掛け離れた人で。多少、なところもあるお方だったんですけど。決して根は悪い人ではないと思います! 

ええ! きっとそうだと、今は信じています!

親切にもこのわたしの欠点を指摘してくれましたしね?」


 わたしの立場としては、こう答える他なかった。これからお仕えするかも知れない方の悪口なんて、とても言えないもんね?


「親切に、欠点を、ねぇ……」

 おばさんは何故か呆れ顔を見せ、やれやれとばかりにため息をついている。


 わたし、何か拙いことでも言ってしまったかなぁ??


「それで? その屋敷というのはどこにあるんだね……ちょいとその地図を見せてはくれんかな」


 お爺さんがそう言うので、わたしは手にしていた地図をそのまま手渡した。

 するとお爺さんは間もなく、それまで有るのか無いのかよく分からないほど細かった目を驚くほど真ん丸く開き。その目を何度も何度も、擦り擦りわたしの顔と地図とを交互にパチクリと見つめ返し、

「ま、まさか……! こ、こりゃパレスかぁ?? いいや……お嬢ちゃんの様な子が、これから向かうところなんだから、幾らなんでもそんな訳はないと思うんじゃが……」と呟き、わたしにそのまま黙って手を震わせながら恐る恐る地図を返してくれた。


「――? あ、あのぅー……」

 どうにも気になってしまう反応だったから、直ぐにその理由を聞こうかと思ったけど。その前に、先ほどのおばさんがわたしに話し掛けてくる。


「なんにしても、性悪そうな人が屋敷の主となると。凄く可愛そうに思えてしまう話だよ。

そうまでして行く価値がその屋敷にあるといいんだけどねぇ~……?」


 おばさんはため息をつき、そう言う。

 すると、それに遅れ隣のお爺さんは口を夾むようにしてこう言った。


「その屋敷がもし、本当にあの《パレス》ならば。その価値は十分にあると、ワシは思うんじゃがなぁ……」


 ぱれす……?

 再び気になる言葉を耳にした。


「なんだい……さっきから、何かと気になることばかり爺さんは言ってるけど。爺さんはこの子がこれから向かう屋敷のことを、何か知っているのかね?」


 おばさんは腕を組み、そのお爺さんを疑うような瞳で見つめていた。

 それに対し、お爺さんはおばさんの気迫に推され、身を小さく縮めながらもため息をつき呟くように言う。


「知っているも何もないさ……この先にある鉱山都市に住む者ならば誰しも、知らぬ方が寧ろおかしなくらいの話だろうよ?」


 それを聞いたおばさんは、ようやく何かに『ハッ!』と気づいた様子を見せ。それから直ぐにわたしが持つ地図を奪い取り、その位置を確かめ、間もなくわたしの顔を驚いた表情で見つめて来るなり、

「アンタ、大したモンじゃないか!!」と耳が痛くなるくらい大きな声で言い、大いに高笑っていた。

 駅馬車の中の人たち一同も、その地図を後ろから『どれどれ?』と覗き込み見て、途端にざわめき始めている。

 わたしには、その理由がよく分からないから参る。


「だけど……そうなるとますますアレだねぇ~。その約束は守り通した方が、いいんだろうね?」


 ますますと言われても……わたしはこの会話の中で独り置いてきぼりだ。


「ふむ……しかしそれならばここに居るみんなが、つまりはそのぅ……ホレ、アレだよ。このコトをさ、誰にも言わず漏らさず、黙ってさえいればバレやしないのだから。そうすりゃそれで、済む話ではないのかね? 

――ン? 

なんじゃあ……ワシゃ何か、凄く拙いコトでも言うてしもうたかのぅ……??」


 お爺さんのその一言を受け、客室の中のみんなと騎手の人は驚いた表情を一旦は見せ、そのあと直ぐに半眼の呆れ顔を一斉に向けていた。

 それから『これに、どう答えるのだろう?』と伺うかのように、わたしの方をジーッと見つめてくる。


 きっと、わたしがそれに頷けば、駅馬車のみんなはその気持ちを汲み取り、それを押し通すつもりなのかもしれない。そういう雰囲気がその場にはあり、十分なほど感じられた。

 だけど……わたしは肩を軽く小さく竦めて見せ。それから、そのお爺さんに笑顔をひとつ見せ口を開く。


「でも、それだと。本当の意味で『約束を守り、果たしたことにはならない』と思うんです……だから、それはとても残念なことですけど。わたし、このまま最後まで歩き続けようと思います!

もちろん……そのご好意については、とてもありがたい、って思ってはいるんですけどね?」


 わたしが困り顔にそう答えると、他の人たちも吐息をついてそれに頷き同意してくれた。

 そして同時に、おばさんはお爺さんの背中を強めに叩いている。お爺さんはそれで、「ぐほっ、ぐほっ」と少し咳き込んでいた。


 結局のところ、その『歩いて』という約束がある限り、どうしようもないんだ~ってことに。わたしを含め、その場に居合わせたみんなが改めて気づかされたのだ。

 そりゃあ~正直なことをいうと、凄く残念な気持ちで一杯なんだけど……こればかりは仕方がないものね?

 そうして駅馬車は、いよいよわたしを置いたまま再び走り出す。


「昼食の食べ残しのパンですまないけどね。お腹が減ったら、これを食べなさい。それくらいなら別に構わないんだろう?」

「……」


 《歩いて》が絶対条件だったけど。その他には、特になにも言われてなかった筈。だから問題はないかな?


「ええ、ありがとうございます。とても助かります!」

 そのわたしの答えを聞いて、おばさんは他の乗客の人たちにも、「ホラ! けちけちしてないで、ジャンジャンこの袋に入れてやりなさいよっ!」とチーズやらハムやら飲み物を袋の中に沢山積み込んで入れ、駅馬車の窓から半身を乗り出し、涙目でわたしに手渡してくれた。


「どんな理由があるにせよ、無理だけは絶対にするんじゃないよ! いいね? 

疲れたら無理せず、しっかりと休んだ方がいいから! わかったかい?」

「くれぐれも、体だけは大事にのぅ~。元気でまた、いつかどこかで会えるといいがなぁ~……」

「はい。本当に……みなさんには感謝しています! この御恩は一生、忘れませんから!」 


 駅馬車はそうして名残惜しそうにゆっくりと走り出し、やがて見えなくなった。

 乗客のみんなと屋根裏のコージという少年がずっとわたしに笑顔を向けたまま、両手を大きく横に振り振り振ってくれていた。

 わたしはそれに応える様に、静かに手を大きくゆっくりと左右に振って見送り……それから寂しげに、その場でため息をつく。


 ついさっきまで賑やかだったから、人寂しさを感じて……。

 でも、元気を出さなくちゃね!


 街道には、所々に大きな木が植えられてあって。そこで旅人達が休めるような配慮がされてあった。

 わたしは近くの目に付いた木の木陰へと向かい、腰を下ろし。頂いたばかりの食べ物をそこで広げ、昼食を頂くことにした。


 あ、そう言えば……『パレス』ってなんのことか聞くの、すっかりと忘れてた!


 わたしは今更ながらそのことを思い出し、小さくその場でため息をつく。


   ◇ ◇ ◇



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