はじめての決断(3)
「メル、アンタは正気なのかい?」
孤児院に戻ってその話を喜ばしいことと思い楽しげに明るく告げると、マーサは意外にも呆れ顔をこのわたしに向け、そう言って来た。
てっきり、喜んでくれるものだと思ってたのになぁー。
「ええ、もちろん本気! なんだけど…………いけない?」
「その方は、歩いて……と言ったんだろう?
それはね、メル。そこがとても歩いて行けるような距離ではないから、敢えてそんな言い方をしたんだよ。
つまりはね、遠まわしに断られたんだ、お前は。分かるかい? メル」
「……」
マーサの話によると、メルキメデス家の屋敷はここから馬車を使ったとしても三時間以上は掛かる場所にあるらしい。《政都庁舎》で地図を貰い確認したら、今のマーサと同じようなことを役人の人達も言っていたから、その距離は間違いないのだろうなと思う。
『行くだけ無駄に終わるだろうから、辞めておいた方がいいよ。お嬢ちゃん』
『きっと可愛そうな結果で終わるだろうから、最初から行かない方がいいと、私なんかは思うがねぇ~』
と、その場に居合わせた役人の人たちは一同に苦笑い、そんな私のことをからかう様にそう言っていた。
それがなんだか癪には障ったけど、教えてくれた場所と地図を見ても、そこがとても遠い場所なのはこのわたしにだって想像くらいなら出来る。だから怒る前に、ため息の方が先にでてしまう……。
おまけに、どうも途中から街道からも外れているし……どうやら広大な領地内の奥にこの屋敷の本宅が建っているみたい。
聞いた話によると、大人の足でどんなに頑張って歩いたとしても七~八時間は掛かる距離らしい。とても子供のわたしが歩いて行けるような所ではないんだってさ。
だからマーサがわたしのことを心配する気持ちだって、本当のことを言うと分かりはする。
でもね……。
「だけどその人は、そうすれば『面接はする』って言ってくれた! 本当よ! だから!!」
「そりゃあ、そうかも知れないがねぇ……でも本当に、それで採用してくれる保障はあるのかい?」
「……」
マーサが言う通り、『合格の保証はしない』とも同時に言っていた。
恐らくはマーサの言うのが本当で、遠回しに断ったのかも知れない。
だけど、
「……わたし、それでも行く! 絶対に行く! だってこんなチャンス、きっともう二度と無いから!!」
「メル……アンタのその頑固さにも、本当に困ったものだよ…」
マーサは呆れ顔でこちらを見つめていた。だけど、わたしはもう決めたんだ。何もしないでこのまま諦めるくらいなら、やれるだけのことをやってからの方が良い!
そう思ったから。
それから今日もいつもの様にマーサの家事を手伝い、夕食の支度をする。そのあと孤児院のみんなに経緯を話し、明日の早朝にはここを発つことを伝えた。つまりこれでお別れになる。それで泣き出す子も何人か居たけど、仕方ないもんね?
わたしはその子を優しく慰め、何とか理解してもらう。そして今晩は昨日よりも早く眠ることに決めた。
大人の人の足でそんなに掛かるとしても、朝早くからここを出発さえすればきっと夕方には着けるだろう……と、そう思って!
翌日、まだ朝日も上がらない内からわたしは飛び上がるように起きだし、皆の朝食の用意をする。
マーサはそれに遅れあとからやって来て、そんなわたしを呆れ顔の困った様子で遠目にしばらく見つめていたけど。間もなく肩をすくめ、わたしと一緒に朝食の準備を手伝ってくれた。
それから朝食をマーサと一緒に感慨深く頂き、道中で食べる物と飲み物を大袋の中へと入れる。
「メル、行く前にこの服に着替えなさい。せめて格好だけでも、ちゃんと見せておかないとね?」
「わ! ありがとう、マーサ!! 凄い綺麗っ!」
それはとても素敵な服だった。
縫い合わせたボロボロの服しか持ってなかったから、まるで新調されたような切れ目のない縫い合わせ一つない服に、わたしは思わず感動してしまう。
それでわたしは、満面の笑みでマーサに抱きついた! マーサもその瞬間だけ驚いていたけど、直ぐに笑顔を見せ、そのあと涙目にわたしのことを優しく抱いてくれた。
そうして、昨夜支度を整えていた荷物を持って、わたしはこの施設の玄関口へと立つ。
外はまだ、薄暗かった。
「メル……途中で辛くなったら、これを開けなさい。
この袋の中には少ないけれど、お金と手紙が入ってあるから。親切な通りがかりの人に事情を話してコレを渡せば、ここへ戻って来られると思うからね。そうなさい」
「……ありがとう、マーサ! でもね、本当にありがたいとは思っているんだけど……でも、これは受け取れない!
だってホラ! 人って不思議と、楽な方向へ楽な方向へと気持ちが流れていってしまうコトってよくあるものでしょう? だからこんなものが手元にあると、ついついわたしはコレに頼ってしまう気がするのよ……」
わたしはマーサから渡された袋を押し返し、それから肩をすくめて見せた。
「でも……メル。お前…本当にこれが無くても大丈夫なのかい?
もし途中で倒れたりでもしたら……」
「大丈夫! まったくそんな心配はないから、安心して吉報を待っててよ。マーサ!」
楽天的に言うわたしをマーサはそれでも心配そうに見つめ、ため息をついている。
そんなマーサの背後から思ってもみない顔が幾つもひょっこりと現れてきたので、わたしは瞬間驚いた。
「メルねぇちゃん、待って! 本当にもう行っちゃうの? 毎週、帰って来られる?」
「ねぇ……ここにはいつ、戻ってくる予定なの? 寂しくなるよ……行かないでよ!」
「……」
孤児院でわたしよりも年下の子で、いつも懐いていた二人がまだ眠たい眼を擦りながら現れ、寂しく悲しそうにそう聞いて飛びついて来たのだ。その二人の背後にも、心配げな表情でこちらを見つめているこの施設の子たちが他にも沢山並んで居た。
わたしは抱きついてきた二人の頭を撫でながら、優しげに笑顔でこう答える。
「ここの皆や、あなた達二人がもっと大きくなったら……いつか、きっとね♪」
そうしてわたしは手荷物を持ち立ち上がり、この孤児院から明るく元気よく手を大きく振りながら旅立つ。
それは思っていた以上にとても心切なく寂しいものだった。一瞬でもここで振り返ってしまえば、そのまま踵を返し孤児院へと走り帰り戻ってしまい兼ねないほどに……辛く心に染み感じている。
正直なことをいうと、この孤児院は大好きだったし、出来ることならずっとここに居続けたいとも思っていた。それがわたしの本当の正直な気持ちなのは確か。だけど規則があるから、それは叶わない夢。
だったらせめて近くで……と、そう思ってはいたんだけど。結局は良い仕事先がついに見付けられなかった。
凄く情けない話なんだけどね……?
住み慣れた州都アルデバルの街並みを遠目に見渡せる小高い山の峰にまでようやく辿り着き、わたしはここで一度立ち止まると、その場で深呼吸しゆっくりと整えて。それから心の中へ勇気を一気に募らせ、『グッ!』と後ろを振り返り、この年齢までわたしを健やかに育んでくれた大好きな孤児院と美しき街並みを潤む瞳で遠目に見つめ回し心に焼き付けた。
「……マーサ。じゃあわたし、行ってくるから!」
新たなるこの国の指導者を生み出し続けている尖塔状の高層建築物 《科学アカデミー》と《政都庁舎》を中心として円形に広がる、人口二百万人も住む州都アルデバル。
ここはわたしが育った思い出深い故郷、そして……始まりの地になるんだ!
やがてこの国の歴史に大きな名を残すメル・シャメールはその記念となる第一歩を、この日・この瞬間に力強く歩み出し始めた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます