はじめての決断(2)

 わたしが住む共和制キルバレスという国は、科学者カルロス技師長を筆頭とした《科学者会》が元老院として列し。その他に、市民選挙により選ばれた《多数の評議員》と一部特権で認められた《貴族員》が治める、民主共和制の国家で。近年になり急激に経済力を増し、軍事力も増大させ、その支配版図を拡大させている軍事大国であった。


 その支配範囲は、数千キロにも及ぶと話に聞いている。


 かつてコーデリアという国の首都であったこの大都市アルデバルも、今ではその共和制キルバレスが支配する一つの属州都として、《政都庁舎》を中心に政治が執り行われていて。そこから聳え立つ尖塔状の高層建築物である科学アカデミービルが、現在ではこの州都の権威・象徴として存在している。


 《政都庁舎》は見渡すのも大変なほどにとても大きく豪華絢爛な建物なんだけど、それもその筈で、元々はこの地を治めていた領主様が住んでいた王宮殿を改装し、現在の《政都庁舎》として利用しているから。


 今では色々な手続きがここの中だけで済む、とても画期的で機能的な施設となっていた。就職案内なども実はここで紹介して貰えるんだけど、孤児院育ちであるわたしにはいつも良い仕事先を紹介してくれない、意地悪なところでもある。

 だからわたしは内心、ここがとても嫌いだった。



「すみませんが、もう少し良い仕事先はないんですかぁ?」

「と、言われてもなぁ~……こっちだって気安く紹介なんかやって、信用を無くすのはとても困るんだよ。結果として他の人の迷惑にもなるからね。

どうしてなのか、その理由はわかるかい? お嬢ちゃん」


 そんな理由なんか、知る訳も無い。理解もできない。仕方ないからここは大人しく肩をすくめ困り顔を見せた。

 そんなわたしを見て、正面に座る二十歳半ば程の役人の人はやれやれ顔に再び口を開いてくる。


「まあ、いいや……。

とにかく今は、学も実績も無い君をそう易々と気安く紹介なんか出来やしない。だから先ずは実績を積む意味でここくらいのところでいいんじゃないのかぁ? 

な? そうしなよ、頼むからさ」


 そう言われた仕事先は、賃金も余り期待出来そうにない家の子守と掃除だけの仕事で、しかも短時間。これではとても自立なんて無理だろうなぁ?と思えるくらいの悲惨な紹介内容だった。

 単に仕事を探すだけではなく、自立出来なくては意味がない。だってこのあと施設を出ないと駄目なんだから……。


 わたしは困り顔をその役人の人に向け、何も答えずただただ小さくため息をついた。そんなわたしの反応にその役人の人も同じ様にため息をつき、困り顔に口を開いてきた。


「何せ、君一人だけでもう二時間だ。他の後ろで待っている者たちの身にもなってみてくれよ。な?」

「――え?」


 言われて驚き、目を見開いて後ろをそっと振り返り見ると。わたしが終わるのを待つ人の列が、後ろにズラリと並んでいた。流石にそれを見てしまっては申し訳ない気分にもなる。


「あ、えっ、と……だったら、せめて! ……住み込み? そう! 住み込みが出来るところだと凄く助かるので、そういう所を一度探してはくれませんか? 

それならば多少賃金が安くてもなんとかなると思うので!」

「住み込みねぇ……。まあ、こっちも仕事だから一応探してはみるが…余り期待はしないで居てくれよ? 

何せ、この不景気なご時勢だからなぁ~……」


 役人の人は、とても面倒そうながらも再び探し始めてくれた。わたしはそんな様子をため息をつき遠目にほぅと眺め、静かにその結果を待つ。


 今日はこれでダメだったら、また出直すことにしよう。


 そう思い、わたしは再びその場でため息をつく。と、二メートルほど左手にある隣の椅子に、とても立派な服装と装飾類を身につけた貴婦人が優雅に座る所だった。


 貴婦人が座ったそこは、わたし達とはまるで立場が違う、《雇い主側》の受け付け場所。

 その貴婦人の姿を遠目に見るなり、隣の担当役人は滑稽なほど慌てた様子で駆けつけ、揉み手に作り笑顔なんかやっている。


 随分と調子がいいものよね? わたしの時と余りにも応対が違うから、思わず呆れちゃうよ。


「これはこれは! スコッティオ様ではないですか。今日は一体、何用でこちらへ?」

「お久しぶりですね、アンディー。実は一人、ハウスメイドをと思ったものでね……」


「メイドを……ですか? と言いますと、あのメルキメデス家の?」

「もちろん、そうですよ。他に何があると言うのですか?」


 威厳たっぷりにそう返し言われ、そのアンディーとかいう役人の人は『そりゃあ~、まあそうだ』とばかりに弱った顔で、頭の後ろの方を軽く掻いている。


 その様子を見つめ、貴婦人は軽くため息をつき、その厳しかった表情をそこで穏やかに緩め口を開いた。


「まあ、急なことだから仕方がないのでしょうがねぇ……。

実は先月、雑務をこなすハウスメイドが二人うちを辞めた上に。近々、ケイリング・メルキメデス様もこちらの屋敷へお見えになることになってね。それで人手が少々足りなくなったんですよ。

だから用事ついでにここへ立ち寄ったんだけど。誰か良い娘が居るか、今すぐに確認しては貰えないかしら? 

今は時間がとても惜しいの。

言って置きますが、……という訳ではありませんからね。相応しくない者しか居ないのなら、紹介は初めから無用です」

「そりゃあ~、あのコーデリア王家……いや、失礼。《貴族員》メルキメデス様の御屋敷ともなるとという訳にはいかないでしょうからなぁ~。やれやれ、コイツは大変なことになったぞ!

いや、まあとにかく……調べてみますので、少々ここでお待ちください!!」


 隣の貴婦人はとても権威のある人らしく、いつもわたしの前では偉そうにしているあの役人がヘコヘコと、バカみたいに頭を下げながら応対しているので、わたしは目をまん丸に思わず驚いて見てしまう。


 反面、呆れてもいたけどね?


 そんな思いでジーッと見つめていたこのわたしと、貴婦人の目線がその時にふと合い……。瞬間だけ、ジッとその人もわたしのことを真剣な眼差しで見つめていたけど、わたしの着ている呆れ顔をし、直ぐに興味もなくむしろ無関係者よろしく目を反らしていた。


 いま着ている服が、ボロボロの古着を縫い合わせたものだったから。もしかすると物乞いくらいに思われたのかも知れないなぁ~……?

 はぁ……。


「あ、あのぅー……」

「……」

 わたしが勇気を出して声を掛けると、その貴婦人はこちらへと再び横目だけをそっと向ける。

 でもその視線は細く、しかも冷ややかに感じるほどだった。印象はかなり最悪。でも、


「え、と……こ、こんにちはー! あはは♪」


 この人がどういった家の人かは知らないけど、きっと今紹介されているところよりは良いところだと想像くらいはできる。だからわたしは勇気を振り絞って、満面の笑顔で挨拶をし、切欠だけでも作ろうと思った! んだけど……。


「…………」

 その貴婦人はわたしの顔をしばらく澄まし顔の無表情で見つめたあと、何故かこのわたしに対してではなく、今わたしの目の前に座る担当の役人に訪ねていた。


「ちょっと、悪いんだけど……この子は、どこの誰なんだね?」

「――え? ああ……この子ですか? この子は、この街外れにある孤児院の子ですよ。

今は求職中ですが、とてもメルキメデス家に紹介出来るような子ではありませんので、お構いなく」


「孤児院? この娘が……そぅ…それはとても残念なことだね」


 貴婦人はわたしのことを瞬間驚いた様子で再び見つめ、小さくため息をついている。


 それに、残念だなんていま言ったけど、まったく残念そうに見えない!


 それから再び、もう興味を無くしたかのように正面を見つめ。わたしのことなどもうまるっきり忘れたかのような様子で、それどころか無関係者よろしく目を静かに閉じた。


 やはり、孤児院の出ではダメなのだろうか……?

 それにしてもヒドいな、この態度!!


 普段から慣れていることだとは言え、わたしは思わずため息をついて、元気も無くし俯いた。

 それにしても、この役人……もう少し気の利いた言い方とか出来ないの?

 ホントーに、呆れちゃうな! 


 それから間もなくして、再び先ほどの役人がその貴婦人の前へと作り笑顔の揉み手で戻って来た。


「あいにくと今は、メルキメデス様に紹介出来る程の娘は居ないようです。

近々こちらでなんとかしますので、申し訳ありませんがそれまでの間、どうかお待ちください。紹介出来る者がこちらへ来次第、こちらから先ずは電報を打って、そちらへ伺わせることに致しますので!」

「……そうですか、分かりました。少々残念でしたが、それならば仕方がないですね」


 貴婦人はそういうと、ゆったりと席を立ち上がり、一枚の黄金に光るコインを机の上にそっと置き、再び口を開く。


「では、その際は頼みましたよ。

それと、これは今回の手間賃です。これで足りているかしら?」

「あ、はい! そりゃあー、もう十分に!! ええ!」

「…………」

 

 わたしはそれを見て、思わず呆れてしまう。

 だってさ! 足りるも足らないも……さっきのあの対応だけで金貨一枚は間違いなく多いと思う! それだけのお金があれば、宿屋に一週間でも十日でも楽に泊まれるくらいの大金。こんな高額な手間賃なんて、見たことも聞いたこともない。

 役人の人は見るからに嬉しそうにしているし……。恐らくはきっと、自分の懐にでも終うつもりなんじゃないのかなぁ?


 もしもそうなら、それはとてもズルイ!


「――あのっ! いくらなんでもソレは、なんじゃないかと思います!」


 わたしは体を横へとずらして、勢いよく立ち上がり、役人の人が手にしている金貨を力強く指差し口を開いていた。


 それを聞いたその役人の人も、その貴婦人の方も、そしてこの役所の中に居た大勢の人たちも、一斉にわたしとその役人の手に注目する。

 そんなことなんか構わず、わたしは更に感情任せでこう言い繋げてやった。


「今の対応くらいなら、銀貨1枚でも多いくらいだと思います! 払わない人だって普通にいるんですからっ!」


 わたしは真剣な表情のままその役人の人が手にしている金貨を睨みつけ、不愉快げに素早く近づいて、それを手のひらからサッと奪い取り。それを貴婦人に摘まんだままグッと差し出した。


「はいっ、お返しします! どーぞっ!」

「え?」

 貴婦人はなんとも驚いた表情を見せたまま目をパチクリとさせ、仕方ないなさそうにそれを指先で摘まみ受け取ったあとで、

「それは……どうも、すまなかったねぇー」と、何故か呆れ顔に謝ってくる。


 もしかすると、私が怒っているとでも勘違いしたのかも知れないな?


 しかもそれは、この場のお二人ばかりではなく、普段から人も多く喧騒なこの役所全体が今のこの時だけ何故か驚くほど静まり返り、こちらを一斉に注目していた。


 どうやらそれが自分の仕業によるものだとハッと気がつき、わたしは急に気恥ずかしさから小さく肩をすくめ、そのあとで静かに席へと戻って座り、しばらく潜めることにした。


 それでようやく役所内はまるで何事もなかったかのように、いつもの喧騒な雰囲気へと戻った。


 わたしはそこでようやく、ホッと息をつく。


 こんなことでここを追い出されでもしたら、堪ったモンじゃないものっ!


 わたしがそう思っていると、目の前に座るいつもの役人の人はそんな私の顔を呆れ顔で黙ったまま今も見つめている。

 その役人に対してだけはわたしも強気で、『なんですかあー? 何が言いたいんですかぁ!?』と不愉快気な表情を向けてやった。それで目の前の役人の人は『まあ~、いつものことかぁ……』と再びの呆れ顔でため息をついて、与えられた仕事の続きを始めている。


 そんな役人の様子を遠目に眺め、わたしはため息をつき。改めてその場で肩をすくめ、大人しくする。


 ところがそんなわたしの様子を、隣の貴婦人も呆れ顔に見つめていることに気がついた。

 どうもこの人、金銭感覚には呆れるほど乏しい人みたいだけど……お金持ちであることは間違いないと思う。


 わたしはその人から見つめられているのを肌に感じながら、でも勇気を振り絞り、横目で伺うように小さな声で訊ねてみることに決めた。


「あ、あのっ! そのぅ~……メイドをお探しなんですよねぇ~?」

「……」


 貴婦人はわたしのその問い掛けで初めてようやく気づいたかのように、改まった真面目な表情に変え、わざとらしく軽く咳払いし、そのあとでわたしのことを厳しい表情で見つめ直し、口を開いてくる。


「えぇ……そうですよ。だけど、まあ……これはアンタには関係のない話だろうがね?」

「――!!」


 想像さえもしていなかったほどに冷たい態度と言葉で返され、わたしは思わず呆然とし、その場で絶句してしまう。


「それからね……アンタはもう少し、まあ何て言うんだろうねぇ……。世間様ってモノをもっとよく知って。あとは、まあ……そうだね。出来ることなら、その軽はずみな行動と言動をもう少し直しといた方がいいんじゃないのかねぇ?」


 そう言い切るとその貴婦人は澄まし顔で立ち上がり、

「では、アンディー。今日の手間賃は日を改めて渡しますから、メイドの件。よろしく頼みましたよ」と厳格なまま告げ、ゆるりと立ち上がる。


 わたしはその貴婦人の言葉と態度に対して、内心腹立たしさを感じた。



 世間様……? 

 それを言うのならアナタだって、その《金銭感覚の無さ》を相当に直した方がいいじゃないのぉー?って、思ったわよっ!



 流石にこれは声に出さなかったけど、わたしは不愉快気な表情で口を尖らせ、そう心の中で思い、その立ち去りゆく貴婦人の後姿を思い切り『あかんべー!』してやりたい思い一杯の半眼で見送ってやった。というよりも、ちょっとだけ小さくして


 そんなこんで舌を出してるわたしに、担当の役人の人がようやく何かを見つけたらしく嬉しげに声を掛けて来た。


「よっし! なんとか一件だけあったぞ、お嬢ちゃん!! ホラ、こっちを向いて喜びなって♪」


 わたしはそれを耳にし途端に嬉しくなり、明るい笑顔でにこやかに正面を向き、大いに希望を抱く!


「但し、仕事内容が多少きついかも知れないなぁ?」


 ……え?


「所在地も、鉱山都市アユタカだから。少々というか……いや、コイツはかなりが多いだろうなぁ……。

しかし、贅沢も言えないからな? なっ♪ そうだろう??」

「…………」


「それに、アレだ! 君は見た目も華奢だし、見目も良い。だからきっと、雑務が主になるかも知れないし、希望だってある! 

更に運がよければ、そこの責任者から目をかけられるかも知れないし。ほら、玉の輿ってヤツさ!

で、どうする? 

って――おい!! なんだよ急に!? どこへ行くんだよ??」

「――ご、ごめんなさいっ!! 今日はこれで帰りますっ!」

 

「これだけの手間と時間を散々掛けさせておいて、そりゃあーないだろうー!!」


 わたしはその役人からの話も途中で、をし、机が壊れるくらいの勢いで両手をついて立ち上がり、先程の貴婦人を追い駆けるため、急ぎ向かった。


『ちょっと嫌な感じのある人だけど……このチャンスを逃したら、きっとわたしは生涯後悔をする!』


 そう思ったから!!



 《政都庁舎》から急いで飛び出し、沢山の馬車が行き交う大通りをわたしは慌てながら隈なくグルリと見回す。流石に二百万人も住む大都市のそれも中心地だけあって、行き交う馬車の数も人の数も非常に多く。時間を余り掛け過ぎると、見失ってしまい兼ねない焦りが今のわたしの中にはあった。


 そうしてようやく、そこに面した道路沿いの一角に停車している豪奢な馬車へと乗り込もうとしている貴婦人の姿をわたしは見つけ、ホッとする間もなく、そこへ向かい急ぎ駆けて行き、息を「――はぁはあ!」と切らしながらも真剣な思いの顔を上げ、まるで叫ぶようにしてこう言った。


「お願いです! 一度だけでも……せめて、面接だけでもいいので、受けさせてはもらえませんかぁ?」


 貴婦人は驚いた表情でこちらを振り返り見つめ、間もなく呆れ顔へと変え、吐息をつき口を開いてきた。


「……そんなにもうちに来たいというのなら、その元気そうな足で、来ることだね。『面接だけの条件』としては、それだけで十分だよ。

少なくとも『やる気』と『根性』だけは、それで窺えるからね」


 思ってもみなかった言葉に、わたしは心躍った!


「ほ……本当に…? 本当にそれだけの条件で、ですか!? 約束ですよっ!!」

「あぁ……本当に歩いて来られるものなら、勝手にそうすればいいさ。

――但し! 何度も言う様で悪いがね、が《絶対条件》だよ。

屋敷の場所は、そこの庁舎で聞いたら誰かが教えてくれる筈だから。自分のその目で、先ずはその『』を確かめてから、真剣にどうするか決めなさい。

……が、それで合格の保証もしないからね。そこは当然、覚悟した上で自分の判断で考え決めて来るように。

いいですね?」


「分かりましたっ! 行きます。絶対にそこまで歩いて行きますから!!」


 わたしとしては、『こんなチャンス、きっともう二度と無い!』とそう思っていたから、その場所も距離も確認しない内にそう言い切った。

 すると、


「……ホントに、変わった子だねぇ~。アンタは」


 貴婦人は呆れ顔でそう言い残し、手をサッと騎手の人に合図し、馬車を走らせるように指示をする。それを受け、騎手の人は鞭を打ち、馬車を走らせ去ってゆく。


 わたしはその馬車が走り去るのを、夢見心地でほぅ…と見送っていた。



  ◇ ◇ ◇

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