第7話チグハグは罪ですか

 タイヨウは明らかに悪目立ちしていた。渋い教官の言葉が理解できず、怒られる。見よう見まねをするが、渋い教官は決して満足しない。


「ナイトナイト! ヤンアッタクナイン!」

「も、申し訳ありません」


 真面目にやっているのか、何故こんなこともできない、と言っているように思えた。しかし本当に何が間違っているのか分からない。

 渋い教官は突然タイヨウの目の前に移動した。そこで拳を構えた。


 マズい!


 そう思っても逃げるわけにもいかない。避けたら余計に怒るのは目に見えている体。

 渋い教官は「アウパ!」と言って突きを繰り出した。拳はタイヨウの腹に深く突き刺さった。


「ふんぐううううっ」


 やはり鋼鉄のように硬い拳だった。衝撃もすさまじい。痛みと圧迫感で脂汗が出る。意識が朦朧とする。

 さて、渋い教官は何と言っているだろうか。


「これが硬化と強化だ! 分かっただろ! さっさとやれ!」


 硬化と強化、どちらもこの世界の基本的な技である。文字通り硬化は特定部位を硬くし、強化は特定部位の運動能力を高める。

 渋い教官はタイヨウも当然それができると思っていた。できなければ、クジラとして、戦士として生きていけない。それが世界の常識である。今は体術の訓練中であり、強化と硬化を使わなければ始まらない。だからやれと言っていたのだ。言葉が通じなくとも、このタイミングでやるべきはそれしかない。バカでも分かるはずだった。しかし、タイヨウはもちろん強化も硬化も知らなかった。


「教官、こいつ筋金入りのアホですぜ」

「それか京国ってのはよっぽど甘やかしてるんじゃないですか? 強化なんてママの言葉より先に覚えておかしくないもんですよ」

「はははは、やっぱ猿の国は滅ぶべくして滅びてんなー」


 近くの若い兵士達が、タイヨウをバカにして笑った。


「コラ! お前達は訓練に集中しろ!」

「へーい!」

「分かりましたー!」


 渋い教官は若い兵達に怒鳴る。彼等は生返事をして訓練に戻った。


「もう嫌だよお。なんで怒られたんだ。なんで殴られるんだよお」


 タイヨウはうつむき、泣き言を言っていた。実際目からは涙がこぼれている。追い込まれると幼女っぽい口調になるのが彼の癖である。

 その姿が、渋い教官には情けない子どもに見えた。ジュウベエから、タイヨウは戦争が怖くて京国から逃げてきたのだと聞かされていたから、疑うこともなかった。

 過保護に甘やかされてきたから、自分で考えることができないのだろう。ならば、あえて特別視はしない。

 渋い教官は、タイヨウを放って別の兵士の下へ向かった。


 タイヨウにはわけが分からなかった。しかし、ジッとしているのは怖かった。何かしら頑張っている所を見せないと、やる気がないと見なされてしまう。

 タイヨウは人当たりの良さそうな人魚を探した。大きい人魚はほとんどが柄が悪そうだ。小さい人魚も、柄が悪い連中もいるが、タイヨウを見て怯えた子もいた。こういう大人しい子の近くで訓練下方が安全だろう。

 早速その子の下へ移動することにする。

 人の隙間を縫うように、タイミングを計ってジグザグに移動する。しかし、ある時タイヨウの行き場を阻む人魚がいた。

 全長4mくらい。おそらくサメの人魚。タイヨウが右を抜けようとすれば右に動き、左に抜けようとすれば左に動く。おまけにバカにしたような笑みで見下してくる。間違いなく技と通せんぼしているのだろう。

 そこで、頭に衝撃があった。


「オラ邪魔だ!」


 1m80cmくらいの小さい人魚がタイヨウの側頭部を殴ったのだった。こいつも殴ってから邪魔と言う性格のいい男である。もっとも、タイヨウは言われても言葉を理解できないが。


「何すんだチビ!」


 理不尽な扱いが続いて、感情を抑えるのが限界だった。相手が自分より弱そうだからいいか、という勘定もあった。しかし、とうとう怒りを口に出してしまったのだ。


「おい! おめえ奴隷のクセに!」

「下級風情が中級人に舐めた口利いてんじゃねえ!」

「ぶっ殺すぞオラァ!」


 周囲の人魚が怒りの表情でタイヨウに詰め寄ってきた。


「な、何を」


 途端に恐怖が襲ってくる。声を出してしまったことに後悔する。


「痛い!」


 ふと、後ろにいた人魚が、タイヨウの尾ひれを殴った。

 それを契機に、次々と人魚が突っ込んでくる。


「痛い痛い痛い! やめて! やめてよお!」


 顔、腹、背中、尾ひれ。6人程度にぼこすか殴られる。特に背中がとても痛い。反撃したいが、痛みのあまり体が硬直して動かない。


「ゴラァアアアア! 訓練中だろうがアアアア!」


 そこで不意に、教官の怒鳴り声が響いた。全長5m程の強面のシャチの獣人だった。


「ひいっ」

「す、すびばせん!」

「ただいま戻ります!」


 イジメに参加した人魚達は、逃げるように持ち場に戻った。

 しかし、初めにタイヨウを通せんぼしたサメの人魚は、強面の教官にそのまま話しかけた。


「違うのです。教官どの。彼は下級三等兵という身分にも関わらず、彼等中級の訓練の邪魔をし、そのくせ謝るどころか逆切れしたのです」

「あん? だとしても訓練中だ! 全体の流れを崩すような真似をするな!」

「す、すみません! いたっ」


 サメの人魚は結局拳骨を食らってしまった。

 頭を押さえ、痛みに耐える。憎しみが沸いてくる。


「あの野朗」


 彼の視線の先には、ボロ雑巾のようになって水面に浮かぶタイヨウがいた。

 あいつのせいで教官に殴られた。後でボコボコにぶん殴ってる。

 タイヨウは気絶している間にも、とても理不尽な因縁をつけられていた。


 強面の教官はタイヨウに近づき、首根っこを捕まえた。


「よっこらせ」


 そう言って肩に担ぐ。周囲をうかがい、人のいない隅を見つける。


「おいお前。邪魔だから隅で大人しくしてろ」

「わ、私のせいですか。私が何をしたんですか? 孔明の罠ですか?」

「チッ。言葉が通じねえってのは、面倒だな!」

「ふひゃあっ」


 強面の教官は突然大きく体を捻り、捻り戻す。その勢いに合わせてタイヨウを投げた。


「うひいいいっ」


 タイヨウは見事な放物線を描いて飛んだ。やがて落下が始まり、着水する。少し間を置いて、地面に尻餅をつく。


「もういやだ。こんなところ。俺が何をしたって言うんだ」


 タイヨウは心が折れてしまった。元々隅っこへ投げられたが、自分でさらに奥のギリギリへ移動した。そこでギュッと身を丸め、静かに人魚達の訓練を眺め始めた。特に、美女を中心に。


 ジッと待っていると、訓練は終わった。集合がかかり、皆が8つの列になって、教官の下に集まって行く。


「おい! お前も来い!」


 不意に、赤髪の美女が後ろを向いて、タイヨウを呼んだ。言葉の意味は分からなかったが、集合した方がいいのだろうと察することができた。

 タイヨウは急いで教官の下へ泳いでいく。先ほどの美女へ礼を言うために、彼女の列の一番後ろに並んだ。一番右に当たる場所だった。


「おい。お前は下級三等兵だろ」


 しかし、そこで目の前に並ぶシャチの獣人に、左後方へと押された。勢いよく押されたので、5つ、6つと列を超えていく。

 どうすればいいか分からないが、戻ったらまた押されるだろう。しょうがないから左から2番目の列へ移動した。


「お前は一番左だろ!」


 しかし、そこでまた怒られ、一番左へ移動させられてしまった。

 そこでは押されることはなかった。笑われたが。

 人によって並ぶ場所が決まっているらしい。それにしたって理不尽な扱いだと思う。知らないだけなのに。

 タイヨウが並んだのを確認し、強面の人魚が話し始める。


「やっと並んだか。では、今日の優秀者を発表するぞ。中級二等兵のジュンゴだ」


 教官が言うと、右から三列目の先頭にいた男が動き始めた。ジュゴンの獣人だった。彼は教官の目の前で止まり、敬礼した。


「おめでとう。今日は食い放題だぞ」

「はい! ありがとうございます!」


 教官がパチパチと拍手をする。それに兵士達も倣った。タイヨウも真似して拍手をした。


「酷かったのは、新人だな。まあこいつは面倒だから、後で罰の説明をしよう。では、国家斉唱を行う。1、2、3、はい。グピグピグッペポー、ンチャチャッチャー。ブタサンマイクデコケコッコー♪」


 教官の合図に合わせ、全員で歌い始めた。タイヨウもぼそぼそと真似をして歌った。音痴のクセに声の大きい人がやたら多かった。

 歌が終わると、皆で拍手した。それから、再び三列目の先頭の男が皆の前に立った。


「我等が身は天地最強の王のために! その栄光を授かることに感謝を!」

「我等が身は天地最強の王のために! その栄光を授かることに感謝を!」


 ジュゴンの人魚が叫び、それに他の皆が続いた。

 タイヨウにはおまじないか何かのように聞こえた。敬虔なキリスト教徒は食事の前に主に感謝を告げる。それに似ていた。

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