奴隷兵の生存戦略

第6話桜国軍隊のノリ

 第二王子の愛人達は、王子のおもちゃを手に入れるべくタイヨウの行き先を部下に調べさせた。優秀な部下は競うように主の下へ帰り、手に入れた情報を伝えた。

 女達は一様に不満な表情になった。


「西与那国基地。あいつのいるところじゃない」

「腐れ縁と言うのかしら。せっかく追い出したところですのにね」

「遠いわね。あんな田舎行きたくないわ」


 しかし、愛するものを手に入れるため、また地位のため、何もしないことはない。少しでも王子の気を引きたい。家族のつても考えながら、それぞれに策を打つ。



 殴られた腹が痛くて、焼かれた背中も痛くて、息は苦しくて。タイヨウは泣きたいのを我慢して泳ぎ続けた。ジュウベエはスピードを緩めない。やがてタイヨウの体力に限界が来る。遅れ始める。

 ジュウベエは嫌らしい笑みを浮かべて振り返った。タイヨウ目掛けて逆に泳ぎ始めて、隣で止まる。タイヨウの背中の近くに手を掲げる。

 まさか!

 思った時には遅かった。


「オラァ!」

「んひゅぎゅううう!」


 ジュウベエはタイヨウの背中を叩いたのだった。ちょうど焼印を押されたところをだ。

 血が滲む。痛みで涙が溢れる。


「遅れてんぞ。しっかりついて来い」


 そう言って泳いで行く。タイヨウはまだ動けない。


「返事はどうしたアアアア!」

「か、かひゅっ」

「声が小さい!」


 今のは返事ではなく、痛みで声が漏れたのである。


「もう一回!」

「は、はひゅっ」

「何だって!」

「はひ。は、はいいいいい!」

「ふん」


 ジュウベエは見下すように一瞥し、再び泳ぎ始めた。

 タイヨウは決心した。いつか俺の方が偉くなったら、こいつを社会的に抹殺してやろう。


 このようなやり取りが何度かあった。背中を叩かれる度、痛みで脂汗が出た。生命の危機を感じた。それでも、ジュウベエほど速く泳ぎ続けるのは不可能だった。根性の問題ではない。疲労、痛み、嗚咽。それらが混ざり合い、過呼吸寸前まで来ていた。それでも騙し騙し泳いだ。ジュウベエはほんの少しだけ情けを見せ、速度を落としていた。そのためにタイヨウは命を繋ぐことができたのだった。


「ここだ」


 いくら泳ぎ続けただろうか。1時間では足りないはずだ。

 本当にタイヨウの体力ギリギリのところで、やっとジュウベエが止まった。


 二人の眼前は雑多に入り組んだ岩礁地帯だった。木々の生えた小さな島もチラホラ見える。

 タイヨウは黙ってその岩の1つに近づいていく。目の前までくると、うつぶせに倒れこんだ。


「はっ、はっ、はっ。ひいっ、ひいっ。ぜひゅうっ、ひいっ、ひいっ、ひいっ」


 死を感じるほど呼吸が乱れていた。全身も恐ろしく重い。ダルい。もう動けない。苦しいという表現では生ぬるい。


「はあ、はあ、はあ」


 ふと、ジュウベエはパンパンと手を叩いた。


「よし。休憩終わりだ。ついてこい」


 一分も倒れてから経っていない。鬼である。

 タイヨウは心の中で叫んだ。

 ぶっ殺すぞこの野朗が! お前が苦しんで死ねや!


「返事はどうしたァ!」


 もちろんタイヨウの思いは通じない。ジュウベエは怒りの表情でタイヨウに近づき、手のひらを掲げる。また背中を叩くつもりなのだろう。


「はひ! はひいいいい!」


 心で怒っても何も意味はない。従うしかない情けなさよ。

 タイヨウは泣きたい気持ちで叫んだ。


 再びジュウベエについていく。西与那国基地周辺は岩が多いので、訪問者はジグザグに進まざるをえない。天然の要塞である。ジュウベエもあまり速くは動かなかった。背丈と足がある分タイヨウの方が有利であり、予想外に楽だった。

 兵士達は訓練中らしく、声の揃った雄たけびが聞こえてきた。高い声も聞こえる。女性や子どももいるようだ。


 やがて訓練所が見えてくる。浅瀬と陸の両方に、兵士らしき”人”達がいる。全部で200人くらいだろうか。種族も様々だ。サメ、タコ、うなぎ、カメ、などなど。体がタイヨウより大きい者も少なくない。一番大きいのは、頭から尾ひれまで10m程度ある。一番小さいのは、1m程度でかわいらしい。平均すると、2m50cm程度である。女の子も約2割いた。フィネーゼのようなすごい美女もいた。

 これでかつる!

 タイヨウは心の中で叫んだ。

 なお、2割の女の子におばさんは含まれていない。おばさんを含めば。女性は3割くらいになった。それだけ若くて綺麗な女の子が多いということである。


 指導する側の人、教官は、首から高そうな札を提げていた。一番大きい教官が全長8mくらいある。小さいのは3mくらいだ。平均すると、全長5mくらいだろうか。

 兵士達はチラチラとタイヨウの方を見ていた。そのうち、全長5mくらいの渋い面の教官が、ジュウベエの下に近づいてきた。


「おお、ジュウベエじゃないか。そいつはどうした?」

「新しい奴隷だ。京国から逃げてきた臆病者らしい」

「またそんなやつか。全くあそこは情けない。やはり猿に統治を任せてはならんな」


 2人は公用語で話す。タイヨウには内容が理解できない。しかし、自分をバカにしていることは分かった。

 ふと、ジュウベエがタイヨウを見た。


「オラ! 挨拶しろボケ! 俺が特別に訳してやる!」

「は、はひいいいい!」


 反射的に返事をした。が、その行動を考えると気が重くなる。これだけの人前で、しかも精神論者に囲まれて、晒し者のように自分を語らなければならないのだ。

 もっとも、ここに来るまでに受けた苦痛に比べれば大したことはないが。苦しんだ分だけ緊張に強くなるというやつだろうか。精神論者が好んで使う文句だが、当たっている。数学者もそうなる確率が高いと認めるだろう。だが、精神論者は苦痛のために恨み辛みが溜まることを鑑みない。損得を比較せず、苦痛の美点だけを妄信的に称えるので、褒める気にはなれない。それが今のタイヨウの考えである。


「全員に聞こえるようデカい声で言えよ! 気の抜けた声出したら俺がぶっ殺すからな!」


 ジュウベエが言った。


「は、はひいいい!」


 タイヨウは反射的に叫ぶ。叫んだはいいが、どうするか。

 教官も兵士達も、訓練を続けている。無視し続けている者もいるが、時折敵意丸出しでタイヨウを睨む者もいる。視線だけで射殺されそうだ。敵地のど真ん中で置き去りにされたような空気。

 こんな人達と仲良くなりたくない。もう帰りたい。

 もちろん帰る場所はない。逃げ場はない。やぶれかぶれでも、自己紹介するしかない。


「きょ。京国から来ましたあああ! 水野太陽ですううう! よろしくお願いしますううう!」


 タイヨウは思いっきり叫んだ。声に出すと、少し気が楽になった。

 しかし、いつまで経ってもジュウベエは訳さなかった。不遜な顔でタイヨウをチラ見するだけだ。兵士達も、一瞬怪訝な顔をしただけだった。タイヨウを無視して訓練を続ける。

 ふと、ジュウベエが怒鳴った。


「オラァ! 聞こえてねえだろうが! 声がちっちぇえんだよォ!」


 理不尽である。タイヨウは全力で言ったのだ。むしろ、目の前で訓練している大半の兵より、声は大きかった。

 絶対聞こえたでしょ!? わざと無視してるだけでしょ!? なんて理不尽な!

 怒りのあまり、タイヨウはジュウベエを睨みつける。


「チッ」


 ジュウベエは舌打ちし、タイヨウの後ろに回った。またアレだ。


「いたああい!」

「返事しろ! ボケ!」

「はひっ! はひいいい!」


 背中を叩いてきた。避けてやろうと思ったが、敵地で権力側の人間に反発する勇気はなかった。殺されてしまえば、今まで耐え忍んできたこともパアになってしまう。


「はい! もう一回!」

「は、はひいいい! 京国から来ましたあああ!」


 その後、タイヨウは何度も何度も自己紹介を繰り返した。兵士達は見向きもしてくれず、タイヨウはその度にジュウベエに背中を叩かれた。血が溢れ、目から涙が溢れた。それでも逆らわず、我慢して全力で叫び続けた。

 イジメなのは分かっていたが、耐えようと決めていた。逆らったら終わりだろうから。生きていれば、幸せになれるチャンスはやってくる。


「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ。ごほっ」


 喉も痛くなってきた。いつまで続くのだろうか。

 そう思ったとき、ふと拍手が聞こえた。

 ジュウベエと話していた教官が、笑顔で手を叩いていた。


「臆病もんと思っていたが、なかなかどうして。いい根性してるじゃないか」


 公用語なので、言葉の意味は分からない。が、褒めてくれているのは分かった。

 その教官に続いて、他の教官も拍手を始めた。教官の周りの兵士もだ。例の美女もだ。受け入れてくれるようだ。

 やっとかよ。

 喜び少々。それ以上に感じたのは呆れだった。


 ジュウベエも拍手を始めた。今までとは違い、認めるような表情で、にやりと笑っていた。

 認めてくれたのはうれしいが、むず痒い。これが不良が犬を助けると途端にいい人に見える現象か。

 タイヨウは苦い顔になった。やや遅れてジュウベエが真面目な顔になった。


「水野下級三等兵! 本日より貴様を西与那国(にしよなぐに)基地雑用とする! しっかり訓練に励めよ!」

「は、はいいいい!」


 返事は反射的にできた。ジュウベエはそれだけ言って去っていった。

 ジュウベエを擁護するなら、彼にはスパイを見分ける必要があった。タイヨウを散々挑発し、怒らせていたのは、ある程度意図してやったことだ。挑発に対する反応を見て、人間性を確かめていた。ここまでやっても素人の反応しかないのだから、スパイではないだろう。ジュウベエはそう結論付けた。

 もっとも、タイヨウにはそれを考える余裕はなかったが。


 今は自分のことで精一杯である。

 雑用と言われた。奴隷じゃないだけましと考えるべきか、そもそも雑用という名の奴隷なのか。

 また、日本語を話せる人が消えてしまった。大丈夫なのだろうか。他に話せる人がいるのだろうか。これだけ人数がいればいると思いたいが。


「アウカウハラブレン」


 渋い顔の教官が、笑顔でタイヨウに話しかけた。さっぱり意味が分からない。


「や、大和語しか分からないんです! すみません!」

「オン大和ウイ? マルガカイアウパ」


 言ったはいいが、向こうも分からない様子。

 翻訳者ー、早く来てくれー!

 タイヨウの望む人は現れない。皆、タイヨウなどいないかのように訓練を続けている。

 ふと、渋い教官は笑顔で手招きした。こっちの来いというのだろう。それは分かる。タイヨウは素直に近づいてみる。

 渋い教官はタイヨウを連れて訓練の現場に近づいていく。ふと、とある兵士の手前で止まった。この兵士は全長4m近くあり、なかなかいい動きをしている。渋い教官は兵士の横で彼の動きの真似をした。


「アウパ! サルバアペ!」


 叫び、拳を一突き、二突きする。その勢いやすさまじく、拳の周りの水が目に見えるほどうなり。そのうなりが広がり、タイヨウの身体が押されるほどだ。


「アウサルメ! カルロス!」


 教官は拳を下げ、笑顔で言った。

 やってみろと言うのだろう。そういう流れのはずだ。

 タイヨウも真似してみることにする。


「アウパ! サルバアペ!」


 声を出し、拳を一突き、二突き。

 どうだ?


「ナイト! エンガナンカン!」


 ダメだったらしい。渋い教官は怒り出してしまった。

 しかし、言葉が分からない。何がダメか分からないから、次も間違えて怒られるかもしれない。これは苦労しそうだ。

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