第5話焼印と天使と精神論者と
裁判所を出てすぐに、とても大きく人相の悪い人魚2人に囲まれた。どちらも全長10m近い。
「オラ、ジッとしてろ」
「ジッとしていてください」
そのうちの一人がタイヨウの尾ひれと首を掴み、寝かせる。フィネーゼが翻訳してくれたので、タイヨウは恐怖を感じながらもなすがままとなった。
ふと、背中に熱気を感じた。それがじわじわと近づいてきて、急に肌に触れる。
「ひぎい! んぎゃあああああ!」
「オラァ! おめえも戦士に産まれたんだろうが! このくらいでガタガタ抜かすんじゃねえ!」
もの凄く熱い何かだった。一瞬で肌が焼き焦がされる。体の芯まで熱気が届く。
「ふぐううう! んふぐううう!」
叫びたい。暴れまわりたい。いっそ死んでしまおうかと思うほどの苦痛。涙がどばっと溢れる。全身が震える。脂汗がわっと滲み出て、呼吸が苦しくなる。だが痛みは止まらない。
大きな人魚はタイヨウを開放した。タイヨウは手足を上下させて痛みをこらえようとする。しかし、動けば背中の痛みが酷くなったので、ピタリと固まる。そのままプルプルと震え続ける。
「背中に鉄板で焼印を入れたのです。兵役の終了日が公用語で書いてあります。罰を誤魔化さないために、この国ではこれが採用されているんです」
フィネーゼがやや苦い顔で説明する。タイヨウは心の中で叫んだ。
死ね! そのルール作ったやつ死ね!
「ふぐう、んふぐううう」
それからしばらく、タイヨウは悶え続けた。できる限り同じ体勢を維持することで、背中に余計な刺激が来ないよう意識した。潮風が憎かった。
「ぷくくっ。ブタみたいな泣き方ですわね」
「やだ。ゾクゾクするわ。あの子で遊びたくなってきちゃった」
「趣味悪いわねえ。うふ」
公聴席にいた美女達が、苦しむタイヨウを見て笑っていた。主にエスっ気を刺激されたためである。タイヨウは情けない男なので、彼女達をチラチラと見て、その笑顔を癒しとしていた。
5分もすると、美女達は飽きたようでどこかへ行ってしまった。タイヨウにとっては最後の拠り所を奪われた気分である。しかし、その頃にはタイヨウも叫ばなくていい程度には回復していた。
「はっ、はっ、はっ、はっ。ぐっ」
顔はダラダラと汗まみれになっており、水滴に視界が遮られるほどだ。汗は背中にも伝い、焼かれた肌に染み込む。これがまた痛い。しかし耐えるしかない。
ふと、フィネーゼが近づいてきた。手に何かの葉を持っている。
「お疲れ様でした。どうぞこれを。塗り薬の効果があるアロエです」
今までの淡白な表情とは異なり、優しい笑みを浮かべていた。
苦しい時に手を差し伸べられることが、どれだけうれしいだろうか。しかもそれをしてくれるのはかなりの美女なのである。
タイヨウはフィネーゼの笑顔に見とれてしまった。しかし、はたと我に返り、アロエの葉に手を伸ばした。
「あ、ありがっ。いたああい!」
が、腕を動かすと連動して背中の皮膚が動いた。受け取る直前で、痛みによって萎縮してしまう。
「す、すみませんが。塗っていただけますか?」
「しょうがないですね」
フィネーゼは控えめに笑みを漏らし、請け負ってくれた。
タイヨウは顔を赤くしてフィネーゼに背を向ける。女の子に優しくされると、不思議な快感を覚える。母の手の中にいるような懐かしい気持ち。
後ろから女性の匂いがする。胸がドキドキする。ひんやりしたアロエが背中につく。分泌液が背中にしみる。
「ひぎいっ、ふぐうっ」
思わず変な声を出してしまった。
「ジッとしててくださいね。包帯も持ってきてますから」
落ち着いたやさしい声。作業の中で、女性の柔らかい手や胸が体に当たる。胸が温かくなる。幸せを感じた。
無能とか思ってごめん。君は天使だったんだね。
フィネーゼはアロエの分泌液を塗った後、包帯を持ってきた。
「痛いですよ」
「大丈夫です」
タイヨウはそう答えたが、包帯が背中に当たると本当にかなり痛かった。
「ふぐいいっ! んぎゅうっ!」
「ふふっ」
叫ぶのを我慢したせいで、また変な声が出た。しかしフィネーゼの笑顔は癒しそのもの。タイヨウはその笑顔と、女の子の匂いと、肉の柔らかさに神経を集中することで、痛みを中和することにする。痛みは変わらないが、中和できることにする。
そうしているうちに、幸せな時間が終わりを迎える。
「はい。できましたよ」
フィネーゼは最後にとんとんと肩を叩いた。タイヨウは少し悲しかった。
しかし、胸は感謝でいっぱいだ。笑顔でフィネーゼに振り向いた。
「ありがとうございました。あなたには助けられっぱなしです」
心からの感謝を込めて、少年のような笑顔だった。
「いえいえ、これくらい。感謝されるようなことではありません」
フィネーゼは控えめに笑みを浮かべる。その仕草、そして発せられた言葉に、タイヨウはさらに感動した。
まさか謙遜だなんて。このやさしさ、控えめさ。まるで大和撫子の理想のようだ。
「チッ」
しかし、不意に舌打ちが聞こえた。
音の方を見ると、例の日本語を理解できる警備兵、ジュウベエがいた。
タイヨウとフィネーゼの甘い空間を見て、気分を害したらしい。
「オラ、下級三等兵。チンタラやってんじゃねえ。もう兵役は始まってんだぞ」
ジュウベエはタイヨウに近づき、その腕を乱暴に掴む。どこかへと引っ張っていく。
「え? ええっ!? こ、この体で? ですか?」
引っ張られているのだから、今すぐ訓練というのは分かっている。しかし、タイヨウは不安を口にせざるを得なかった。
「アホか。その程度の傷でごちゃごちゃわめくな。戦場じゃ敵は待ってくれんぞ」
ジュウベエはタイヨウを蔑むように言った。彼はむしろ軽い傷だと思っているようだ。
死ぬかと思ったんだがな。俺。
しかし、言ってもさらなる怒りを買うだけだろう。タイヨウは何も反論できず、トボトボとついていく。名残惜しそうに振り返る。フィネーゼに別れの挨拶をしようと思った。
「えっ」
ところが、フィネーゼは既にタイヨウに背を向けて、どこかへと泳いで行っていた。
この程度の扱いなのか。まあ、所詮他人だもんな。
上がり切ったフィネーゼへの評価は、再びガクンと下がったのだった。
「おい。そろそろ自分で泳げ。背中引っぱたくぞ」
ジュウベエはそう言ってタイヨウから手を放す。
「はい」
タイヨウはうつむき気味に言った。その態度が癇に障ったようで、ジュウベエは醜く眉間を吊り上げた。
「声が小さい!」
突然怒られてタイヨウはビクンとしてしまった。目の前の男は狂ったのかとさえ思う。
しかし、表情を見てみてなんとなく察した。精神論を振りかざす体育会系の監督やブラック企業の社長が、生徒や部下を苛める時の顔に似ていた。
こういうやつか。ならば従う以外に何をやっても無駄だろう。
「は、はいいい!」
タイヨウは声をぶつけるつもりで叫ぶ。ジュウベエは満足したらしかった。
タイヨウはジュウベエの後ろを泳ぐ。なかなかに速い。徐々に身体に疲労が溜まって行く。
ところが、ジュウベエはさらにスピードを高めた。かなり飛ばさないとついていけない。
「スピードを上げるぞ。根性でついてこい」
「は、はいいい!」
ジュウベエはスピードを上げてから言った。タイヨウはこいつ性格悪いなと思った。
タイヨウの身体に中距離走のような負荷がかかっていた。長くは持ちそうにない。苦しい。
タイヨウは定期的に息継ぎを交える。人魚のジュウベエに息継ぎは必要ないので、その度に距離が開いてしまう。向こうは待ってくれないので、余計に速く泳いで追いつかなくてはならない。
手足と尾ひれが疲労で重くなっていく。辛くなってきた。
ふと、ジュウベエはタイヨウへ振り返った。
「基本的な公用語を覚えなきゃ、比喩でなく話にならんからな。泳ぎながらでいいから今すぐ覚えろ」
無理難題である。ただでさえ苦しいのに頭など使っていられない。
「オラァ! 返事はどうしたァ!」
ところが、頭だけでなく返事までしなくてはならないらしい。これでは持つはずがない。
「はい」
「声が小さい!」
泳ぎに影響が出にくいよう小さめの声で言ったが、許してくれなかった。
「はいい!」
「小さいっつってんだろうが!」
腹に力を入れて大きな声を出したのに、まだ認めてくれなかった。
やはり精神論者は脳筋だ。消え失せろ。
「はああァ! いいいィ!」
タイヨウは憎しみを込めて叫んだ。ジュウベエはやっと満足したらしかった。
「ふん。いつもそれくらいで答えろ。なんでも全力でやれ。やる気のない犯罪者など生きる資格すらない。訓練中、手を抜いたら容赦なく殺してやるからな」
ジュウベエは脅すように言った。その文言はやはりタイヨウの知っている精神論者のものに似ていた。
次々と不満が沸いてくる。口には出さないが。
常に全力なんてできるわけないじゃん。アホ。つーか今も限界。背中の傷も開いちゃってるし、絶対に効率とか考えてないだろう。非科学的。無能すぎる。
ふと、ジュウベエが振り返った。酷く眉間を寄せた怒りの形相だった。
何が気に障ったんだ。口には出さなかったのに。
「オラァアアアア! 返事はどうしたアアアア!」
「いいっ!?」
そっち! というかどのタイミングで返事!?
タイヨウは頭の中で叫ぶ。
まさか、殺してやると言われた時に、はいと言えってこと!? そんなのないよ! でも、言わなくちゃ殴られそう。酷すぎるよお。
「は、はひいいいい!」
タイヨウは再び叫んだ。不満や不安が混じったために、女の子みたいな声になってしまった。
ジュウベエは、怒りの表情を変えない。タイヨウを殺さんばかりに睨んでいる。
「もう遅いわアアア!」
「ひっ! いやっ!」
ジュウベエは両拳を構え、タイヨウに突っ込んだ。
すさまじい速度だった。タイヨウの防御は間に合わない。そもそも防御したら余計に怒られるからやり辛い。
がら空きの腹部に、ジュウベエの右ストレートが突き刺さる。
「ふっ、んふぐうううう!」
深く深く刺さる。拳はとても硬く、手ではなくハンマーに殴られたような衝撃だった。タイヨウはすさまじい傷みと圧迫感に襲われた。目が飛び出るかと思うほどだった。視界が一時暗くなり、よだれが勝手にダラりと垂れた。
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