Home.02

 ――光る海。


 225番コロニー外れの浜辺。薄手の外套をまとった一組の男女が、降り注ぐ緑光の中で輝く波間に目を向けていた。


「わあ――見て、母様! ミドリムシがこんなに沢山!」


 まだ子供と呼べる年頃の少年が、その双眸をきらきらと輝かせて振り返る。蒼い髪、蒼い瞳のその少年は、周囲を舞い踊る緑光の粒子に手を伸ばしては、すり抜けるその光を見て屈託のない笑い声を上げた。


「そんなにはしゃいで、転んだりしないようにね?」


 母親とおぼしき女性は少年のその様子に苦笑しつつも、優しげな表情で少年を見守っている。純白の長い髪を一つにまとめ、機械的な程に整った美しい容貌。しかしその両目はしっかりと閉じられ、足が不自由なのか特殊な形の杖をついている。


「これが、ぼくの兄様の力なんだね――。いまのぼくにはとても真似できないよ」

「それでいいのよ。あなたには、あんな力よりもっと素敵な力があるんだもの」


 ふと、残念そうな顔を見せる少年をなぐさめ、励ますように、母と呼ばれた女性はまぶたを閉じたまま少年の側に歩み寄り、少年の蒼い髪を優しくなでた。


「うん――わかってる。ぼく、兄様に勝てるように頑張るから」

「――焦ってはダメよ。あなたまで失ったら、私は生きていけないわ」


「はい、母様」そう返事をする少年を優しく抱きしめたあと、母は浜辺に背を向けて歩き始める。


「それに、それほど先の話ではないわ。あなたが、を倒せるようになるのは」


 先ほどまでの穏やかな声色から一転。

 明確に殺意と憎悪をはらんだその声に、少年は僅かに怯えた表情を見せる。だが、少年はすぐに気を取り直して笑みを浮かべると、母の後を追い、その手を握った。


「ぼくがやるよ。母様の代わりに、ぼくがなんでもやってあげる」


 呟くように言った少年はしかし、ふと何かを思いついたように握った母の手を離すと、背を向けた浜辺を振り返り、笑みを浮かべて声を上げる。


「せっかく兄様の側に来たんだ。記念に少しだけ持って帰ろっと!」


 空に向かってかざされる少年の手。その手には、刀身のない漆黒のブレード。次の瞬間、ブレードを中心に赤色の放射が正円に広がる。形成されたのは、半径10メートル程度のエネルギーフィールド。周囲を楽しげに舞い踊っていた緑光がフィールドに触れ、次々とその色を変えていく。緑から、赤へと――。


「もしかしたら、これで気付いてくれるかも知れない――。兄様、また今度ね」

「――気は済んだ? さあ、行くわよ。カタナ――」


 そのまま、二人の姿は夜の闇に消える。後に残されたのは少年の作った小さな円。

 あらゆる色を失い、黒と白――そして灰色のみとなった、小さな死界であった。


  ◆     ◆     ◆


 クラン襲撃から一夜が明けた。


 オールセルを構成する島々。そこに点在する街の各所で、建物や施設を修理する音と、それに伴う白い煙が立ち昇っている。人々は昨日の災禍など忘れたかのように笑顔を浮かべ、街は活気に満ちていた。

 クランの、特にフォートレスの攻撃では多くの被害が出たが、攻撃によって出た死者は驚くべきことにゼロ――。否、恐らく、それはゼロに『なった』のだ。

 なぜなら、救出された者の中にはリーゼ達が戦い、容赦なく撃墜したクランのメンバーすら混ざっていたのだから――。


 人的被害が出なかったとは言え、盛大に破壊された建物まではどうしようもない。だが、こちらもオールセルは商魂たくましい商人の街――。

 物が壊れれば、次は彼らの出番。破壊は商機。既に多くの商人が今回の損害とそれによって生まれる利益の計算を開始。多数の物資をオールセルへと運び込んでいた。


 そんな活気溢れる街の上。どこまでも広がる青空と寄せては返す青い海。いま、それらの青に複数の影を落とし、ユニオンの大船団が、225番コロニーに寄港しようとしていた――。

 

「お兄様!」

「オルガ――無事でよかった」


 225番コロニー。軍事用メインドック。オルガはタラップから降り立った金髪の青年に勢いよく抱きつく。その青年の背後には銀髪の少年と少女。二人はやや不満げな表情でそのオルガと青年を見つめた。


「お久しぶりです、オルガ様。第二基幹艦隊、要請により入港完了しました」

「キアラン提督。この度は神都への帰還のさなかにお呼びだてしてしまい、すみませんでした」


 オルガは兄と呼んだ金髪の青年――メダリオンから離れると、姿勢を正して見事な髭を蓄えた壮年の男性、キアランに対して頭を下げた。

 見れば、彼女のその着衣は汚れたままで、自身も随分と煤をかぶっている。彼女がこの島で受けた苦労は、キアランやメダリオンだけでなく、その場に居合わせた全員が容易に推しはかることができた。


「メダリオン猊下。キアラン提督。第四基幹艦隊所属。ラジャン・シン。及び、アニタ・グランツェールです」

「うむ。二人とも、この度はご苦労だった。貴官らの働き無ければオールセルはより大きな被害を出していただろう。今回の活躍は盟父にもお伝えすることになる。また勲章が増えるな」

「身に余る光栄。感謝します」


 オルガの後方に控えていたラジャンとアニタがすかさず最敬礼を行う。それに対してキアランは労をねぎらうように二人に頷いた。


「しかし今回の件、我々が受けた要請では、フォートレスと――」

「はっ! しかし、フォートレスは……」

「ニンジャによって撃破された――。そうですね、オルガ?」


 そこで、メダリオンはその穏やかな瞳をオルガに向けそう言った。その言葉に彼女は一瞬驚いたように目を見開くが、すぐに兄の持つ超越者の力に思い至ったのか、気まずそうに目を逸らす。


「――そういうことでしたか」


 オルガのその様子に、キアランは後方に控える神経質そうな青年に目配せする。青年は一歩前に進み出ると、その手に持ったモニターボードをキアランに手渡した。


「実は我々も一週間前にニンジャと交戦したのです。詳細はこれから確認しますが、まずは盟父にご報告を、と」


 キアランはモニターボードの画像をオルガに向ける。そこには間違いなく、崩壊した会場でオルガ達を守るために戦った蒼髪の少年の姿。そして画像に重ねて表示される討伐対象の文字――。


「ま、待って下さい! あの方は、お父様やお兄様が言っていたような、恐ろしい方ではありませんでした!」

「オルガ様の言うとおりです! 我々はフォートレスに対してあまりにも無力でした。少年の協力がなければ、いまごろ我々も全滅していたことでしょう!」

「――大丈夫。私も、あなた方と同意見です。なにより、オルガが力を使わずに済んだという事実は、我々にとっても非常に大きい」


 メダリオンは二人を安心させるように言うと、その金色の瞳でオルガを真っ直ぐに見据える。吸い込まれるような瞳の直視に、オルガの頬がにわかに染まり、鼓動が早まる。


「お兄様――ありがとうございます」

「彼のことは私に任せて下さい。父上には、私から報告します」


 メダリオンは言いながらオルガとラジャンの横を通り過ぎ、そのままメインドックへと歩みを進め、スピカとカルマがその後に続いた。


「猊下、どちらへ?」

「彼を探してみます。まだ、先日受けた借りをお返ししていないもので――」


 微笑みを返し、メダリオンはメインドックのゲートから、コロニーへと抜ける道へと姿を消した。


「なんだか、お兄様が楽しそう――。あんなお兄様、初めて見ました」

 

 どこか呆然とメダリオンを見送るオルガに対し、


「無論、我々も見たことはありませんな」


 どこか優しげな笑みを浮かべて同意するキアラン。彼は副官から渡されたモニターボードに再び目を落とすと、確認するようにオルガに尋ねる。


「負傷した上級士官は全員治癒。一時は死体同然だった者もほぼ完治とは――。これも、あのニンジャの仕業ですな。 ところで、本件の首謀者であるクランの適応者について、何か手がかりのようなものはありませんか?」

「すみません。私には何も――」


 そう言ってオルガは周囲を見渡した後、頭上に広がる青空を見上げる。彼女の視線先では、一筋の飛行機雲がまっすぐに空の彼方へと伸びていた。


(カタナさん、ベリルさん。いつか、また会える日を楽しみにしています――)


 オルガは一見正反対に見える二人の姿と有り様を思い浮かべ、いつかまた、必ずこの地を訪れようと心に決めた――。

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