Chapter 14
ブルマン・モロー
その日。ブルマン・モローは、大声で怒鳴り散らす男の剣幕で目が覚めた。薄暗い部屋。隙間だらけの壁から見える景色は暗い。
「親方、昨日も夜通し飲んでたんだ……ってことは、昼は酷いぞ」
肌寒さを感じた彼は、固い寝床の横に畳まれたしわしわの作業着に手を伸ばすと、大きなあくびと共に着替えつつ、ひび割れた手鏡を見ながら身だしなみを整える。そしてそのまま、ひからびた猫の鳴き声のような音を立てるドアを開け、灰色の地面を踏みしだいて小屋の裏手へ。羽虫の幼虫が泳ぐ溜め桶から水をくみ、喉を潤す。
「ふー……虫のいる水は安全安心ってね」
モローは顔を上げ、周囲を見渡す。彼の目に映るのは、暗闇の中で点々と続く灰色の光。まだ夜明けまでは数時間あるが、彼らの仕事は間もなく始まる。
「今日も働けることに感謝。お金を稼げることに感謝。どんな仕事でもやりますよ、僕は」
空を見上げ、満面の笑みを浮かべるモロー。大きな瞳と利発そうな顔立ち。小柄だが、日々の労働で鍛えられた四肢。彼の胸にはいつか自分の手で事業を興し、このオールセルで一番の商人になるという夢があった。
「よーし、親方はどうせ昼まで寝てるんだ。その前に終わらせて一抜けしよっと!」
言って、モローは水桶の横に置かれた山のような作業具を背に、灰色の小高い丘を下っていく。彼の周囲に灯る、いくつもの灰色の光。その光の中に混ざりきる前に、彼はもう一度だけ頭上に広がる黒い空を見上げた。
いま、彼が見上げる空に星はない。だが、彼は自分の内に光る夢をはっきりと見ていた。それが、過酷な日々の労働に耐える原資だった――。
◆ ◆ ◆
「ん――っさん! 起きろおっさん!」
「――ん? んん?」
自分へと向けられる声と、耳元で鳴り響く風の音に目を覚ますモロー。視界はぼやけ、焦点が定まらない。同時に、全身に走る痛み。驚いて手をあてると、大きく腫れ上がった右まぶたが瞳をほとんど覆っていた。
「こ、これは? 私はいったい――」
「やっと起きた! 大丈夫かおっさん?」
顔を振り、必死で目の前の光景に焦点を合わせようとするモロー。心配するように覗き込む蒼髪の少年と、その向こうに広がる灰色の空。そして眼下に広がる黒い海と、深紅の飛空挺――。
「空? クリムゾンアップル!? な、なぜ私がこんなところに!?」
焼けたように痛む顔面の傷に、容赦なくぶち当たる風圧。モローは痛みに顔をのけぞらせ、悲痛な叫び声を大空に響かせた――。
――先ほど会場を飛び立ったリーゼ達は、一度ガレージへと戻ってジークを降ろすと、そのままフォートレスめがけて飛翔した。
荒れ狂う空と海を背に加速するクリムゾンアップル。その先では、未だにラピスⅦを中心としたフォートレスへの抵抗が続いている。
「本当にこんなやつが役に立つの!?」
「たぶん!」
前方に座るリーゼが苛立ちと共に声を上げる。彼女の視線の先では、いまも複数の閃光と爆炎が巻き起こっている。カタナは後部コクピットに手をかけ、機体胴体部分に身を屈めて凄まじい風圧を凌いでいた。座席はモローの巨体で満員だからだ。
「な、なぜ私をこんな所に連れてきたんです!? オールセルにクランを引き込んだ罰を与えるとでも? いまさらそんなことをしても、フォートレスは止めらませんよ!?」
「ちがうって! おっさんに頼みがあってさ」
大きく腫れた顔を更にゆがめて叫ぶモローに、カタナはそっと手を添える。その手には穏やかに光る僅かな緑光――。カタナの見せたその行動に、ぎょっとなって痛みに身構えるモロー。だが、カタナがモローの傷口に触れるのと同時、先程までジンジンとうずき続けていた痛みが消え、腫れが少しずつ引いていく――。
「こ、これは……?」
「頼む。あのでっかいロボットを止めるには、おっさんの力が必要なんだ!」
カタナの蒼い瞳が、まっすぐにモローを見つめる。モローは無意識のうちにその瞳から視線を逸らした。彼の心の奥底から、どろどろとした、タールにまみれた何かがあふれ出ようとしている――。モローは、その感覚を好ましいとは思えなかった。
「な、何を馬鹿なことを――。あなた方のせいで私の計画は台無しです! なぜそんな相手の頼みを聞かなくてはならないので?」
カタナの瞳から目を逸らしたまま、苦々しげな表情で拒絶を口にするモロー。
「この――よくもそんなことが言えるわね!?」
その言葉に、リーゼは怒りも露わにモローへと視線を向けて叫んだ。だが、その時――。
「リーゼ! 右に飛べ!」
辺り一帯、目に見える全ての景色が白色に染まる。
リーゼ達の眼前で、ラピスⅦと交戦していたフォートレスが紫色の閃光を放った。その一閃は、オールセルの大地と海と空を切り裂き、線上にある全てのモノを蒸発。大気ごと削り取られた空間は、真空と蒸気によって凄まじい爆風と衝撃波を巻き起こした。
「きゃあああああ!」
「くっそ!」
爆発より一瞬早く、カタナの指示に反応して右側へと機体を横倒していたリーゼ。全てを吹き飛ばす閃光と、それに続く暴風。ちょうど、それらを受け流す体勢へと移行していたにも関わらず、クリムゾンアップルは為す術もなく木っ端のように弾き飛ばされる。
「ぎょえええええ!?」
ぐるぐると回る後部座席で白目を剥いて悲鳴を上げるモロー。だがリーゼはそんな中でも前を見据え、機体の制御を取り戻そうと操縦桿を引き絞り、気流の間隙を伺っていた。
「このっ――くらい!」
リーゼの瞳が、風の道を捉える。操縦桿を引き倒し、スロットルレバーをフラットに。一度エンジンを停止し、風の流れに機体を委ねる。その状態で数秒。リーゼが捉えたレールに、クリムゾンアップルが乗る。
「いま!」
瞬間、リーゼはスロットルレバーを全開。スラスターに炎輪が生成。操縦桿を前倒し、一直線に海へと降下。機体の限界速度まで一瞬で加速し、気流を強引に切り裂いて制御を取り戻すと、海面激突寸前で急上昇。大気の渦から離脱する。
「見てカタナ! ラピスⅦが!」
大気の渦から離脱して喜んだのもつかの間。リーゼが目を向けた先で真っ逆さまに墜落する瑠璃色の飛空挺。閃光の直撃は避けたようだが、大型な分、まともに衝撃波を受けてしまったのだろう。
他にも、リーゼと共に戦ったレース参戦の高速艇が次々と荒れ狂う海面に着水、もしくは墜落し、パイロットが空中へと脱出していく。
「やりたい放題しやがって……」
眼下に広がる破壊の爪痕。その光景に、カタナが呟く。
フォートレスの攻撃によって、見るも無惨に破壊されたオールセルの島々。線上の破壊は海底にすら及んでいる。幸いなことに、人口密集地への直撃はなかったようだが、陸ではすでに激しい火の手が上がっていた。
「ミドリムシでなんとか出来ないの!?」
「――俺じゃだめだ。俺はここのこと、なんも知らねえ」
高度を取り戻したクリムゾンアップル。悲痛な表情をカタナへと向けるリーゼ。カタナはリーゼに答えながら、荒れる風の中、身を屈めて再びモローへと声をかける。
「おっさん。あんた、ここを壊したいって思ってる――。どうしてだ?」
「フン……なぜそんなことを話さないといけないので? オールセルの強欲な商人共は、この百年間十分すぎるほど稼いできた。この凄惨な光景も私から見れば――。フホッ! 滑稽きわまりない、極上のショーのようなものです!」
自分を見つめるカタナへと向き直り、狂気すら孕んだ瞳で語るモロー。カタナは動じず、モローを見つめ続ける。
「理由なら簡単。私はこの土地が嫌いなのですよ! 人も、海も、この島も! 消えてしまえばせいせいする! どうです、これでよろしいですかな!? フッホホホホ!」
大粒の汗をその額に浮かべ、つばを飛ばしながら一息に語り続けるモロー。その様子は、正にとりつく島も無い。
だが――、そんなモローをじっと見つめるカタナ。その傍らで――。
緑光が、僅かに輝きを増していた。
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