裏切り.02

「この――裏切者がぁ!」

「ぶほぉっ!?」


 モローの肥えた体が跳ねるように船内通路の壁面にへばりつく。鼻孔から流れる血を必死で押さえ、驚愕に見開かれた目を襲撃者へと向けるモロー。

 その先には、ボリュームのあるアフロヘア。


「見損なったぜモロー……てめえは、オールセルの商人が越えちゃいけねえ一線を越えちまった!」


 ジークフリート・リドル。拳を握りしめ、敢然とモローの前に立ち塞がるその顔には、普段の彼からは想像もつかない激情の色が浮かんでいた。


「り、リドル!? なぜここに――いや、いまはそんなことはどうでもいい! そこをどきなさい! この船はもうすぐ爆発するんだぞ!」


 床を舐め、這いつくばってジークの横を抜けようとするモロー。だが、ジークはその首根っこを万力のような力で締め上げる。長年の整備作業でごつごつと節くれ立った手が、モローに動くことを許さない。


「カジノの裏で聞いちまったんだ――お前が、クランの奴らと話してるのを。俺は自慢じゃねえがお人好しでなあ――お前がクランと関わっていても、お前が正当な商いで勝負するってんなら、受けて立つつもりだった」


 ジークは体重をかけ、モローの巨体を引きずり起こす。痛みと激情に醜く歪んだモローの顔から大量の汗が流れ落ちる。ジークはモローの鼻先まで自身の顔を近づけ、その瞳を射貫いた。


「店は土。品は海。心は空――! 俺たちオールセルの商人は、この土地があったからこそ儲けてきた――」


 ジークの拳が握られ、振り上げられる。ジークの頭髪がざわざわと逆立ち、溢れんばかりの憤怒によってアフロヘアのボリュームが増す。


「――それを汚染するだぁ? 俺達の商売の種に、勝手なことしてんじゃ――ねえええええええ!」

「ぶっばあぁぁっ!?」


 強烈な右ストレート。再び吹き飛ばされるモロー。吐き出された血と共に三本の金歯が散らかり、ジークが歩み寄る。


「立て! このままユニオンに突き出してやる!」


 のたうつモローを再び引き起こすジーク。だが、その時モローは――。


「――――だと? この私が、? 勘違いも甚だしい!」


 口角から血の泡を飛ばし、大声で笑った。

 血走った目。流れ落ちる汗。だくだくとしたたり続ける血――。

 ジークはそれまで、モローが自分と同じ商人だと、オールセルで生きる、同じ価値観を持つ人間だと信じていた。だが、いま彼が目の当たりにしているモローの狂気。それは、彼に自身の認識が、誤りであったことをはっきりと教えていた。


「モロー……てめえ!」

「間抜けで強欲なオールセルの商人などと一緒にしないでもらいたい! 私はブルマン・モロー! ブルマン・モローだ!」


 言い終わり、モローの歪んだ口が閉じられ、引き起こすジークの顔めがけ、口内にたまった大量の血が吐きかけられる。驚き、手を離すジーク。支えを失ったモローは一度地面へと叩き付けられたあと、なんとか起き上がって通路後方へと駆け抜けていく。


「ま、待て、モロー! くそっ!」

「死ね、死ね死ね死ね! 滅びて消えろ! 金も、人も、全て消え去れ!」


 浅い呼吸。引きつった笑い声――。

 薄暗い通路に、モローの革靴が打ち付けられる音が響く。


(貴様らは死んでも、私は死ぬわけにはいかない――そうでなければ果たせない。支配、隷属! 最後に勝つのは、私だ!)


 背後から迫るジークの声。モローは揺れる船内で何度も転び、体を打ち付けながら狭い通路を走る。血と汗が混ざり合い、どろどろに溶けたアイスのようなモローのその顔には、なぜだか満面の笑みが浮かんでいた。

 そして、ついに唯一の出入り口である昇降はしごへと辿り着くモロー。そのはしごが伸びる正円のハッチは、モローの巨体がしっかりと通れるように設計されている。モローは荒い呼吸でハッチへと続くはしごを登り、分厚く重い金属製の取っ手を掴む。汗で滑り、すでに感覚もなくなった腕を必死で押し上げ、最後には頭まで動員してその扉を開いた――。


 船内に吹き込む大気、そして煙と粉塵にまみれた乾いた風。薄くなった頭髪が乱れ、半身を乗り出したモローが大きな深呼吸をついて倒れ込む。


「ここまでくれば――あとは、脱出用の小型ポッドで――」

「――ポッドで、どこにいくの?」

「それはもちろん、身を隠し、ほとぼりが冷めるまで――」

「ふーん……それ、私が許すと思う?」


 甲板に倒れ伏すモローに影が落ちる。はっとなり、訝しむモロー。上げた視線、その先に滞空する深紅の飛空挺――クリムゾンアップル。そして、ゴーグルの下の瞳に怒りの炎を燃やす赤髪の少女。リーゼだ。


「――な!?」

「とりゃああああ!」


 飛び降り様、繰り出される見事な跳び蹴り。クリムゾンアップルから伸びるガンバンジーに掴まり、軽やかに着地したリーゼは、自身の跳び蹴りで意識を失ったモローを見下ろし、得意げに笑った。


「あーすっきりした!」

「リーゼ!」

「リーゼちゃん!?」


 モローの船上空。崩壊した会場へと急降下したクリムゾンアップル。それを見たカタナは、飛び降りたリーゼに向かって嬉しそうに声をかけた。

 そして、それとほぼ同時にリーゼの足下から現れたジーク。だが、リーゼの位置から見た彼の姿は、ハッチから突き出した黒いタワシのようにしか見えない。


「お、おじさま!? どうしてこんなところに?」

「アッハッハ! まあ、かっこよく言ゃあ、こいつを一発ぶん殴りに――ってとこだな」


 気絶したモローの巨体を押しのけ、髪型を整えながら胸を張るジーク。その様子にリーゼは嘆息しつつも安堵の笑みを浮かべた。


「また無茶なことしてたのね……でも、それならおじさまの用事は済んだでしょ? あとは私達に任せて、早く逃げて!」

「任せてって……リーゼちゃんはどうするんだ?」

「おーい、リーゼ!」


 そこに、眼下からカタナの呼びかける声が届く。リーゼは飛空挺の縁から身を乗り出すと、カタナに向かって声を上げた。


「カタナ! カーヤが、フォートレスをなんとかできるのはあなただけだって!」

「お、俺が!?」


 リーゼのその言葉に、困惑の表情を浮かべるカタナ。

 ――無理もない。カタナには、せいぜい人ひとりを次元跳躍させるくらいの力しか残っていない。ミドリムシを殆ど使い果たしたいまの彼に、いったいどうしてあれほどの金属塊をなんとかできるというのだろう。

 カタナは俯き、ブレードを持つ左手を見つめる。自分では、フォートレスを止めることは難しい。それは、カタナ自身が一番よくわかっていることだった。


(俺に、できること……)


 逡巡するカタナ。その視界に、穏やかに明滅する緑光が映る。

 その光は彼を励ますように優しく寄り添い、ゆっくりと、踊るようにくるくると回り、カタナの頬を掠める。そして最後にカタナの頭上で一回転すると、一筋の尾を引いて天へと昇り、方々へと散った――。

 見えなくなった緑光を見届けたカタナは目をつむり、大きな深呼吸を一つ。確かめるように両手のひらを開いて閉じる。そして、誰にともなく頷くと、リーゼに向かって力強く応えた。


「よし、わかった! ちょっと待っててくれ!」


 言うと、カタナはブレードをホルスターに収める。そして背後へと向き直ると、彼らを見守っていたオルガ達に歩み寄り、笑いながら声をかけた。


「ってわけで行ってくる。みんなのこと、よろしくな」

「カタナさん――あなたは、あれをなんとか出来るのですか?」

「たぶんな! やるだけやってみる!」 


 煤に汚れたオルガの顔には、カタナを初め、この街の住人達を心配する色がありありと浮かんでいた。カタナはそんなオルガを安心させるように「ありがとな」と礼を言い、頭をかいて笑う。


「ま、待て! お前がいなくなったらあの男はどうする!? オルガ様も観客達も、みな殺されてしまうのでは!?」


 オルガの隣から進み出たのは護衛のブリッツだ。彼の言葉ももっともだった。カタナがいなくなれば、当然ベリルはオルガ抹殺を遂行しようとするはず。だが――。


「それなら大丈夫だ。な――そうだろ?」


 振り向くカタナ。声をかけた相手はベリル。カタナから視線を向けられたベリルは、無表情のまま瞳を閉じ、静かに口を開いた。


「――必ず、あれを止めると誓え。大地と、風の息吹に」

「ああ、任せとけ!」


 カタナはベリルの言葉に力強く頷くと、残り僅かな緑光を纏って跳躍。リーゼのいる飛空挺まで飛び移る。その背に向かい、オルガは大きな声で呼びかけた。


「カタナさーん! ありがとうございましたー!」

「気にすんなって! じゃなー!」


 僅かに振り向いて手を振ると、カタナは片膝と片手をついて飛空挺上方、リーゼのとなりに着地する。その横で気絶するモローと、並び立つジーク。カタナは彼らに向かって片手を上げ、自信に満ちた蒼い瞳をリーゼに向けた。


「遅すぎ! 早くしないとカーヤがやられちゃうわよ!」

「か、カタナくん。君、まさか適応者なのかい!?」

「んないっぺんに話しかけられてもわかんねーって!」


 急かすようにカタナの腕を取るリーゼと、軽く十メートルの高さを跳躍してきたカタナに目を丸くするジーク。二人を一旦制すると、カタナは傾いた飛空挺の船上で気絶するモローへと視線を向けた。


「ちょっと手伝ってくれよ! 俺にいい考えがあるんだ!」

「いい考えって――また死んだふりみたいなのだったら却下よ?」

「ちげーよ!」


 釈然としない表情のリーゼに対し、カタナはいつもと変わらぬ笑みを向ける。カタナ達三人はそのまま数秒の作業を行うと、流麗なエンジン音とともに暗雲渦巻く空めがけ駆け上っていった――。


  ◆     ◆     ◆


「あ、あの――」


 残されたオルガ達とベリル。直立不動のまま目を閉じるベリルに、オルガがおずおずと声をかけようとする。横に控えるブリッツは当然臨戦態勢だ。


「――フォートレスのもたらす汚染は、大地そのものを殺す。それを看過することは、許されない」


 静かに口を開くベリル。その言葉に、オルガは二の句を告げようかと逡巡した。ベリルは――目を閉じたまま。


「ありがとう、ございます――」


 ほんの僅かな間。ベリルの顔をじっと見つめたあと、オルガは頭を下げ、ブリッツとともに負傷者の救助を行うため、その場から離れていった――。


「――アー。アー。ターゲットは見逃す。邪魔なヤツは殺さない。完璧裏切りだぜ? どう落とし前つけるつもりだ? アァ?」

「――知っていたな? 知った上で俺に隠していた――。フォートレスの投入を」


 ベリルの背後から、のっそりと現れる短髪の男――マスクを失い、素顔を晒すミストフロア。ミストフロアはベリルの問いかけにも気怠げな表情を崩さない。しかし、その声色はどこか喜悦を含んでいた。


「そりゃあ隠すに決まってんダロ? スーパーナチュラリストマンのお前がんなこと知ったら、いまみてーに邪魔になんだからよ」


 ベリルの周囲に霧が漂い始める。ベリルが目を見開き、クロスボウをゆっくりと構える。


「違うな。お前の狙いは初めから俺――。気でも触れたか」


 クロスボウをミストフロアの眉間へと向けるベリル。まさに一触即発。だが、それを見たミストフロアは、半ば閉じられていた力ないまぶたをはっきりと開き、その瞳を煌々と輝かせ、満面の笑みを浮かべた。


「ギャハ。ギャハハ。ギャハハハハ! 大正解。俺はハナから、お前しか狙ってねえんだよ! ベリル!」


 瞬間。ミストフロアの周辺領域が湾曲。霧が渦を巻き、大気が圧縮。強烈な爆音と共に長大な火柱を生む。その火柱の向こう――翡翠色の長髪を乱れさせたベリルは動かない。ただ渦巻く粒子の先を見据え、クロスボウのトリガーを引いた――。 

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