ブルマン・モロー.02

 ――親方は、金に汚い男だった。金儲けの臭いがすれば、どんなところにでも顔を出し、どんな仕事でも請け負った。そのくせ、自らが直にその仕事をすることは絶対にしない。そんな男だった。


 だが、モローは彼を尊敬していた。

 商売に綺麗も汚いもない。需要があるから稼ぎが生まれる。死体を漁ろうと、糞尿にまみれようと、金が払われるということは、その仕事に価値があるということだ。多くの人が目を背け、蓋をするような光景からも、その価値を拾い上げてみせる親方は、モローにとって最高のお手本だった。


「――いつもより奥へ、ですか?」


 頭頂部から足先まで、すっぽりと覆う極所用のスーツ。すでに耐用年数も過ぎ、劣化したスーツの中、モローはくぐもった声で通信先の男に尋ねた。彼の周辺には同じような格好をした作業員が数人。突然の通達に、みな一様に困惑の色を見せている。


『そうだ。奥を担当している班が、建物の崩落で足止めを受けている』


 淡々と状況を説明する男の声に耳を傾けながら、モローは周囲へと目をこらした。擦り傷だらけのアクリルレンズ越し、視界に入る色は僅かだ。白か――黒か、あるいは灰か。

 モローが僅かに白い地面を踏みしめると、乾いた音と共に煤のようなものがふわりと舞い上がり、彼の眼前を横切っていく。それを追って空を見上げるモロー。その視線の先にあるはずの空もまた、ここでは濁りきった乳白色に染まっていた。


「その――活動時間は足りるんですか? 僕達のスーツ、みんなボロボロで――」

『……それについては心配ない。作業内容に関しても同様だ』


 自らの身につけるスーツを見つめ、不安げに尋ねるモローに対し、男はつとめて平坦な声でそう答えた。


 ここは死界――オールセル最南端に存在する、禁断の領域。

 いつ、どうしてこのような場所が生まれたのかは、モローも知らない。彼が知っていることといえば、死界では何も育たず、何も住まず、そして――何も動かない。万が一、生あるものが立ち入れば、たちまち生気を失って衰弱し、動けなくなる死の世界ということだけ。


 モローの仕事は、この死界から出土する旧時代の品々を回収すること。理由は不明だが、この死界でみつかる旧時代の遺物は、全く劣化していないのだ。親方はどこからかその話を聞きつけ、死界で活動可能なスーツを用意――これも、出所は不明だが――遺物を回収し、売買の種として利用していた。

 利発で機転がきき、忠誠心も備えていたモローは、年若くして作業班のリーダーを任されていた。彼は逡巡したのち、他の作業員に視線で承諾を確認すると、通信先の男に対し奥へ向かうことを伝えた――。


(僕の見立てが正しければ、親方の一番大きな稼ぎはここから出てる。間違いない)


 モローは知っていた。自分達が回収する旧時代の品々よりも、遙かに状態が良く、物によっては完全動作するような代物を、奥へと向かう班が回収していることを。

 もちろん、死界の奥へと向かえば危険も増す。だが、尊敬する親方が原資とする商売の秘密を知ることが出来るなら、一度や二度の危険など望むところ。モローは降って沸いたこのチャンスに、極所用スーツの中で笑みを浮かべた。


  ◆     ◆     ◆


「なん、なんですか……これは」


 死界の奥。目の前の光景に、モローはただ立ちすくむことしかできなかった。

 モロー達が普段、作業をしていた場所と同様。白と黒、灰色の世界。だが――。


(( おーい! こっちでサッカーしようよ! ))

(( ぼく、ブランコで遊ぶ~! ))


 白い輪郭と黒い影。そして、滲むような灰色の染みで出来た町並み。呆然と立ち尽くすモロー達の目の前で、見慣れない構造体がひとりでに前後に揺れ、その上で、白く濁った小さな影が盛んに足をばたつかせている。


(( あはは! お前こぐの下手だな~ ))


 その人影と同様、やはり白い影としか言い表せないナニカが指をさすような仕草で笑い声を上げる。 ――声? なんだこの声は。これは、この影が発している声だというのだろうか。


『――どうした。目的地は間もなくだ。立ち止まれば帰れなくなる、急いで現地へ向かえ』

「ちょ、ちょっと待ってください! 誰か、子供が、遊んで――死界、なのに――!」


 不意に、耳元からの通信によって意識を引き戻されるモロー。モローはからからに乾いた喉を振るわせ、必死に現状を伝えようとする。


『……それは死界特有の幻覚だ。お前達が危害を加えられることはない。初めてで驚いただろうが、すぐに慣れる』

「幻覚――。わ、わかりました」


 なんとか絞り出したつばを飲み込み、モローは通信を終える。彼と同様、信じられない光景に混乱する班員を落ち着かせ、まずは先を急ぐよう説得するモロー。当然、そんな言葉で落ち着けるような現象ではない。だが、影とは違い、スーツの活動限界は明確に彼らの命を脅かす。それはみな理解していた。


(( ほらほら、もうすぐごはんの時間だから帰りましょう? ))

(( え~! まだ遊びたい~! ))


 一切の生命活動を感じない。それは今も変わらない。にも関わらず、足早に先を急ぐ彼らの周囲から聞こえる声。ただ声が聞こえるということが、こんなにも心をかき乱すのか。


(これは、幻覚なんかじゃ――ない)


 何かがズレている。モローは、そう感じていた。

 奥へ進めば進むほど、街を構成する建造物は真新しさを増していく。窓ガラスにはヒビ一つ無くなり、美しい町並みの片鱗が次第に露わになる。だが、それら全てに色はない。白く滲む輪郭と、黒い影から本来の姿を伺うことができるだけだ。


(僕達は、いままで何を拾っていたんだ?)


 混乱し、恐怖しつつも、モローは必死に観察していた。

 通常、コロニーは上層こそ地上に露出しているが、その構造のほとんどは地中深く埋没している。だが、死界は地上に存在しているにも関わらず、建物や遺物がそのまま残っている。500年もの間、分厚い氷の下に閉ざされていたはずなのに――。


(死界のせいで中の物が劣化しないのなら……。もしかして、いまいるこの場所は、とんでもなく昔の街ってこと? でもそれじゃあ、あの人達はいったい……)


 指示された場所へと無言で進む班員達。彼らの横を、白く塗りつぶされた人影がいくつも通り過ぎていく。みな、モロー達に気付かない。肩がぶつかり、足がもつれようとも、彼らはモロー達の存在を認知することは無かった――。


『――よし。そこでいい。今回はその建物から回収しろ』

「ここから、ですか――」


 指示された場所。視線を向けたモローは再び困惑する。

 どこか、懐かしさすら感じる形の屋根。丁寧に手入れをされた小さな庭。その庭先には子供用の自転車が置かれている。おそらく、ごく一般的な民家の類いなのだろう。


『急げ。活動限界で死ぬぞ』


 耳元に伝わる声。すでにモローは、その声すらもどこか遠い場所のことのように聞いていた。


 外壁と同じ。滲んだ白いドアを開けて建物の中へと入る班員達。建物の奥からは、なんらかの放送の声が聞こえてくる。モローはスーツの胸元にある活動時間の残りを確認し、他の班員達に指示を与える。そんな彼らの横を、小さな影が横切る。


(( パパー。明日の発表会は絶対にきてね。ぼく、まってるから! ))

(( ははは。わかってるよ ))


 その声に動揺する班員達。モローも跳ねるような心臓の鼓動を押さえつけ、呼吸を深く保とうとする。


「大丈夫。外でだって、あの影は僕達に気付かなかったじゃないですか。さっさと回収して、早く帰りましょうよ」


 モローはことさら平静な態度でそう言うと、早々と回収作業に取りかかる。

 普段、彼らが回収するのは旧時代の電子機器や芸術品だ。多元連結理論によって飛躍的な進歩を遂げたとはいえ、それ以前の機械にはやはり相当な値打ちがある。芸術品も同様だ。

 広い廊下を進み、左側面にある扉から一つ目の部屋に入る。そして部屋の中に設置された品々に歩み寄ると、手にとってスイッチやレバー、パネルの有無を確認する。あらゆる色が失われている死界では、外観からその物品の機能を推し量るスキルも求められる。わずか数分で持ち運ぶ品に目星を付けたモローは、腰の作業用ベルトからガンバンジーを引き延ばし、固定。手慣れた様子でそれらの品を屋外へと運び出す。


 時間にして10分と少し。他の班員達も運び出しを完了。モローは全員揃ったことを確認すると、その建物に背を向け、立ち去ろうとする。だが――。


(( あら? あなたー、掃除機どこにあるか知りませんか? ))

(( ママー! 電子レンジもなくなってる! ))

(( こっちはモニターだ! まさか、泥棒―― ))


 突然背後から聞こえたその声に、モローは心臓を鷲づかみにされたような衝撃を受けた。

 冷や汗がどっと流れ落ち、呼吸が浅く、下腹部が締め付けるように痛み、口の中に不快な味が広がる。モローは震えた。「気づくのか」と。


「は、早く! 早く逃げましょう!」


 同様にうろたえる班員達。もはや、モローは彼らをなだめようとは思わなかった。完全にパニックに陥ったモロー達は、外へと運び出した品々もそのままに、脱兎の如く街の外を目指してかけだしていく。途中、何度か引き返すよう指示する声が聞こえた気がしたが、いまのモローにとって、それはもはやどうでもいいことだった――。


  ◆     ◆     ◆


 日が暮れようとしている。

 予定では、今日は昼までに仕事を終え、今頃は小屋で読みかけの本の続きを楽しんでいるはずだったのに。モローはふらふらとした足取りで、夕焼けに照らし出された美しい浜辺に辿り着いていた――。


  ◆     ◆     ◆


「――すみません、親方。あの街から回収するのは、その――なにか、盗みを働いているような気がして――」


 数時間前。死界から一目散に逃げ出したモローは、クビを覚悟で親方の前に立っていた。指示を無視し、業務を遂行しなかった。彼の知る親方の気性であれば、クビどころか、その場で叩きのめされてもおかしくないことだった。


「――モロォー。俺はお前に期待してるんだ。お前は頭が良い。他の馬鹿共とは違う。こんなことで、がっかりさせるんじゃあない」

「申し訳、ありません……」


 装飾を施されたボトル。その中のアルコールをあおりながら親方が口を開く。だが、その口調は予想外に柔らかい。モローは恐る恐る顔を上げると、再び謝罪を口にした。


「しかし、あれが盗みとはずいぶんとおかしなことを言うじゃねえか。あいつらは幻だ。百歩譲って幽霊か? ばかばかしい。そんなことを気にしてどうする?」


 親方は胡乱な瞳でモローをみやり、二度、三度とボトルに口をつけて肩をすくめる。


「で、でも……いえ、なんでもないです」

「鳥の巣から獲物を持ち出したら盗人か? 俺達は普段から、いくらでも他のやつらを殺して食ってるじゃあねえか。あれだって立派な商売ってもんだ。そうだろう?」


 親方の言葉は正しい。モローの思考はそう判断している。だが、モローは自身の内から、形容しがたいどろどろとした感情が渦巻いているのを感じていた。


「――いいか、モロー。お前にだけ、特別に教えてやろう。もともとこのオールセルは、死界の発掘を元手に興った場所なんだよ。昔はそりゃあ大勢死んだらしいが、そんなもの、金に比べればたいした問題じゃねえ。いまのオールセルの価値観だって、そこは変わらねえだろうが。はっきり言ってやる。盗みだったらなんだ? あれが盗みだってんなら、オールセルそのものが盗人だ――」


  ◆     ◆     ◆


 夕焼けの浜辺。波間に沈む赤い太陽を見つめるモロー。彼は、自分にとって辛いことがあったとき、よくこの場所で海を見ていた。


「どうしたんだろう。何も、辛いことなんてないのに」


 商売に綺麗も汚いもない。いま、こうしてオールセルが巨大な商業圏として発展することができたのは、死界という特別な領域の存在があったから。

 初めて知ったその事実は、いかに利発とはいえまだ年若く、多分に純粋であったモローの価値観を大きく揺さぶった。


 あの場所で見た影。生きているのか、死んでいるのか。そもそも生物なのか。いまの彼には一切がわからないし、わかろうとも思わなかった。ただ一つ確かなことは、かつてはっきりと見えていたはずの何かが、いまの彼にはもう見えなくなっていたということ――。


「――簡単なことだったんだ。僕は、何を悩んでいたんだろう」


 太陽に背を向け、踵を返すモロー。その後、彼は二度とこの場所を訪れることはなかった。


 さきほどまで真っ赤に燃えていたはずの太陽も、蒼い海も。いまの彼には、全てが等しく白と黒。そして、灰色に見えるようになっていたのだから――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る